ミツバチと共に90年――

信州須坂 鈴木養蜂場

はちみつ家

Suzuki Bee Keeping

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はちぶんのブログ ※鈴木養蜂場で言う『蜂蜜』とはいわゆる『本物の蜂蜜』です。

中国アカシア蜂蜜視察紀行(18)《いざや、五丈原!》 2014/08/05(火)

【三日日】

《いざや、五丈原!》

日本には土井晩翠が作詞した『星落秋風五丈原』という歌がある。

祁山悲愁の風更けて 陣雲暗し五丈原
零露の文は繁くして 草枯れ馬は肥ゆれども
蜀軍の旗光無く 鼓角の音も今しづか
丞相病あつかりき 丞相病あつかりき

夢寐に忘れぬ先王の いまわの御こと畏みて
心を焦がし身をつくす 暴露のつとめ幾とせか
今落葉の雨の音 大樹ひとたび倒れなば
漢室の運はたいかに 丞相病あつかりき

歌はこんな調子で5、6番まで続くが、「丞相」とは言わずと知れた諸葛亮孔明のことで、歌の意味は―――、

重い病に倒れた孔明が率いる蜀軍は、いまや秋風にさらされ旗は弱々しくなびき、戦の合図となる鼓や角笛の音も鳴らずに静まりかえっている。
今は亡き先王(劉備玄徳)の遺言は夢にも忘れたことはないが、孔明が死んでしまったら、いったい漢王室の行く末はどうなってしまうのだろうか。
けっして死ぬことはできないのだ!

とまあこんな感じだろうが、結局孔明はそこ五丈原で命が尽きてしまう。

吉川栄治の『三国志』では、それを『天命』と言っていたと記憶するが、孔明様にとっては死んでも死にきれない心境であったろう。

その終焉の地こそ「五丈原」なのだ!

朝8時45分ロビー集合。
はちぶんのわがままで同行することになった地元の青年たちも、きっといい迷惑に感じていることだろう。

養蜂事情の視察なので、さすがに気が引けたはちぶんは、
「五丈原方面で、何か養蜂と関係する場所はないですか?」
と聞いてみた。

「ひとつだけあります」

(それだ!)
と総一郎さんの顔を見つめれば、

「アカシアが咲く場所と重なります。でも今は時季を過ぎました」

はちぶんはしゅんとしたまま車に乗り込んだ。

車の中で驚いたのは、地元の運転手さんは五丈原という地名は有名なので知っているが、孔明様のことは知らないということだった。

(なんだ君たちはもぐりか!)

とよほど言いたかったがやめておいた。

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果たして国道045号線を西に2時間ほど車からの景色を眺めていると、「蔡家坡」というインターチェンジで降りて南進し、いよいよ五丈原のある「五星村」と書かれた鳥居のような門をくぐった。

「五星村」とは珍しい地名だが、実は孔明様が死ぬとき5つの星が空から降ってきたという言い伝えがある。
土井晩翠の『五丈原』のタイトルにも『星落(ほしおつ)』とあるのも、もしかしたらこの逸話も関係しているのかも知れない。
やはり現地に来てみないと分からないものだ。

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そこからアカシアが生い茂る険しい山道をぐんぐん上り、ついに五丈原の駐車場に到着した。

「ここが……、ここが……!」

はちぶんはものすごく嬉しかったが、先ほどから尿意をもよおしていた。

「ひとまず感激する前にトイレを探さねば!」

そうして見つけたトイレに入ったら……、

そこには文字をもってしてとうてい書くことを躊躇してしまうおぞましい光景がっ!

中国の公衆便所特有の細長く溝があるだけの便器のようなものに……

…………、

いや、やはり食事中の方もいるかもしれないので書くのはやめておこう。

目をつむって小の方を足して、逃げ出すように飛び出した。
するとそこに待ち構えていたのはトイレの管理人のおばさんだった。

訳の分からない中国語を並べて、どうやら
「金を払え!」
と言っているようだ。

(あんなモノを見せられた上に金を払えというのか!)

しかもいくら払ってよいか分からない。
財布の中には日本を出る時に両替した100元札が入っているだけだった。

ちなみに1元が18円の換算だったから100元といえば2000円近くの価値がある。
たかが小便一回にそれはあんまりだ!

そこへノッポさんが助っ人に来てくれた。(頼りになるのう~!)

「5角だそうです」

1角は1元の10分の1だから、5角といえば日本円に換算して約9円。

(そんな細かい金もっとらん!)

そこは優しいノッポさんが立て替えてくれた。

気を取り直して、はちぶんは念願の五丈原に立ち、そこから見える景色を一望した。

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ここに来る前のイメージは、名称に「原」の字が付くことから、ただだだっ広い草原のような場所のように思っていた。
ところが実際来てみると、そこは切り立った崖の上にある
まさに城塞だ!!

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「さすがは孔明様!
こんな場所に陣を敷いたとあっては、さすがの魏の司馬懿(しばい)は手も足も出せなかったに違いあるまい!!」

と感嘆の声を漏らさずにいられない。

そもそも五丈原の「五丈」とは、切り立った山の高さを表しているのだそうだ。
日本で1丈は約3・03メートルだが、もともと古代中国では人の身長を表すのに使われていた単位だそうだ。
それにしても5丈といっても3×5で15メートル。
実際はもっと高いはずである。

後で調べてみるとその標高差は120メートルということだった。
そこは中国人の大ざっぱな性格があらわれていると総一郎さんは笑っていたが、ちなみに「原」とは「台地」の意味で、はちぶんの認識が根本的に間違っていたことを思い知らされた。

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やはり現地に来てみなければ分からないものである。

 

中国アカシア蜂蜜視察紀行(17)《『海泉湾維景大酒店』トイレ事件》 2014/08/05(火)

《『海泉湾維景大酒店』トイレ事件》

部屋に戻ってトイレに入った。

ところが―――

水を流そうとしたところが最初ちょろりと流れただけで、それからは全く流れない。

「こりゃいかん!」

と、酔いで頭をクラクラさせながらあちこち動くところをいじっていたら、

ポチッ!

と押してしまったのが『非常連絡』のボタンであった。
すぐさまフロントから電話が入り、電話口の向こうから訳の分からない中国語が飛んできた。

「わたしゃ中国語わからんアルね。ごめんなさい、間違えました!」

と日本語で対応したが、間もなく総一郎さんが「どうしましたか!」と飛んできた。
仕方がないので、水が流れない事情を話したら、

「日本に比べて中国のトイレはあまりよくないね」

と言いながら、水を溜めるタンクの蓋を開いて弁を調節したら、その後は水が弱々ながら流れるようになった。

翌日ケンちゃん社長にその話を伝えたら、
「オレのトイレも流れないんだよ」
と、どうやら一晩中そのまま流さないでいたらしい。
「おまけにバスの栓も外せなかったから、強引に指ではずしたよ」

そういえばはちぶんの部屋も同じであった。
しかしいろいろ動かすことが好きなはちぶんの場合は、給湯口をものすごい力で回せば栓が空くことを発見していたから、そのことを社長に教えてあげた。

見た目は豪華で申し分ないが、細かいところで「残念っ!」が多い中国のホテルであった。

それはそうと
「今日こそはブログを更新しなければ!」
と、PCを出してインターネットにつなげてみれば、今度は無事に接続できて、養蜂家の王さんのことを記事に書いた。

横になってテレビを付けたら、これが共産主義の国なのか?と思うほど賑やかなバラエティ番組が放送されていた。

街の様子もテレビの内容も、だんだん現代の日本の文化に近づいていることを感じた。

 

中国アカシア蜂蜜視察紀行(16)《蜂蜜談義と日中友好》 2014/07/25(金)

《蜂蜜談義と日中友好》

リュウさんは上機嫌で
「さあ飲んでくれ、飲んでくれ」
と、人に大白酒を飲ます飲ます。

おまけにワンさんまでがカワイイ顔で、
「はちぶんさん、乾杯しましょ」
と杯を持たせるものだから、単純なはちぶんはいい気分になって、アルコール度数のことなどすっかり忘れて、二日目の今晩もベロンベロンになってしまった。

旅慣れたキャリーさんは上手なもので、注がれた大白酒を水で薄める現場を、ケンちゃん社長はしっかり目撃していた。

その間、はちぶんがブログでやっている『はちみつトッピング』で、蜂蜜と何を混ぜたら美味しいかなどの話をしていたが、これまで蜂蜜に関して思っていた疑問をキャリーさんにぶつけてみることにした。
それはもしかしたら蜂蜜を販売する上で最も重要で、かつ根本的な重大問題であるかも知れない。
ともすれば、夜を徹しても結論を見い出すことはできないだろう。

「西洋では大昔から蜂蜜が生活の中にあったのに、日本や中国などの東洋では、どうして蜂蜜は一般的にならなかったのでしょう?」

するとキャリーさんは、
「パンにつけると美味しいからでしょ!
私パンにつけて食べるの大好きなの!」

(おい、それが結論かい!はやっ!)

しかし案外その通りかもしれないと思う。
地域によって気候も地質が違えば当然食材も違って、生まれる食文化はその地域独自の料理を生み出すわけだ。
西洋の主食は小麦からできるパンであるのに対し、日本はお米であり、中国はお米もそうだし饅頭や麺などである。
東洋の主食は蜂蜜で甘くして食べるというより、香辛料で味付けをしたり、日本のように旨味を追及するといった方向へ向かったのも必然だったかもしれない。

しかしはちぶんの持論はこうである。
それは西洋ミツバチと、東洋ミツバチ(日本蜂もこの仲間)の性質の違いである。
西洋ミツバチは養蜂しやすいが、東洋ミツバチは非常に飼うことが難しいためだということだ。
今日見て回った養蜂家も全て西洋ミツバチだし、どうやら蜂蜜需要量のこの格差は、ミツバチの種類によるものではないかと考えている。

結論はどうあれ、とにかく蜂蜜を売らないからには商売は成り立たない。

時間は0時近くになっていた。

「そろそろお開きではないか?」

そんな雰囲気が漂った時、総一郎さんが、
「日本では宴会の席ではどのように終わるのか?」
と聞いてきた。

「社長、あれをやりましょう」
『あれ』とは長野県の北信地方で、酒の席のお開きの場面で一般的に行われる『一本締め』のことである。
本来なら『謡い』など交えてやるが、ケンちゃん社長もはちぶんも『謡曲』を知らない。

僕は一本締めのやり方と「あるを尽くして」の意味を説明し、ならばその前に中国の『乾杯』をしてからそれをやろうということになった。
中国と日本では『乾杯』の意味も発音もほぼ同じなのだ。

リュウさんが音頭を取って
「乾杯!」
続いてケンちゃん社長が
「よ~~~おっ!」
と言った後、全員で「シャン!」と手を叩いた。

中国の国土から見れば、それは非常に小さな小さな人と人とのつながりかも知れない。
しかしそれは、やがてとてつない大きな友情の流れになることを信じて、皆で拍手をし合った。

「ではみなさん、あるを尽くして歓談を続けましょう」

と再び談話が始まり、宴会は続く。

暫くして再び総一郎さんが、
「ほんとにこれで最後という終わり方はないのか?」
と聞いてきた。
「ないこともないが『三三七拍子』というのがある」
と言ったら、
「明日も早いし、それならそれをやって終わりましょう」
と言った。

ケンちゃん社長は「オレはもうダメだ」と言うし、仕方がないのではちぶんが音頭をとることになった。

「では皆様、お手を拝借。
日本と中国の友好を祈念いたしまして、三三七びょーし!」
「♪♪♪、♪♪♪、♪♪♪♪♪♪♪」
「よっ!」
「♪♪♪、♪♪♪、♪♪♪♪♪♪♪」
「はっ!」
「♪♪♪、♪♪♪、♪♪♪♪♪♪♪」
拍手~!!
きっとそこにいた全員が、政治的な思惑のない日中友好を願っていたに違いない。

はちぶんはヘベレケになって部屋に入った。

 

中国アカシア蜂蜜視察紀行(15)《明日の日程》 2014/07/25(金)

《明日の日程》

帰りは途中からワンさんが車の運転をしてくれた。
運転席に乗り込んだ時、彼女はルームミラーの角度を変えたが、はちぶんのところからミラーにはワンさんの美しい瞳がダイレクトに映った。

(も、もしかして、ワンさんははちぶんに気があるのか?)

シャイなはちぶんは目のやり場に困ったが、眠気が襲ってアイコンタクトを交わすには至らなかった。(残念!)

今晩宿泊する西安市の『海泉湾雑景大酒店』に到着したのは夜の9時を回っていた。
荷物を部屋に置いて、休む間もなくホテル内のレストランで食事となった。

みな席に付くと、リュウさんが嬉しそうに抱えていたのは昨晩も飲んだあの『大白酒』ではないか!
「余りがまだあるぞ!」
と、昨日の飲みかけとあと新品のボトル1本をテーブルに置いた。

昨日確かに1本は空けたはずだから、もう1本余計に合計3本の『大白酒』を仕入れて隠し持っていたのだ!(やるな!この男!)

おまけに丸テーブルには昼も食べたマーボー豆腐がっ!

「このマーボー豆腐はまた違うのだ!」

と、総一郎さんの講釈を聞きながら、笑うしかないはちぶんである。

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「明日の予定ですが……」

と総一郎さんが話し出した。

「本来ならあと数軒養蜂家を回りたいところでしたが、今日行ってわかったように、養蜂家のいる場所は遠く、行って帰ったら上海行きの飛行機に間に合いません。
従いまして明日は観光に時間を当てようと思いますがどこへ行きたいですか?」

事前に知らされたスケジュール表にも、現地2日目は雨天の場合の予備日に当てられており、具体的には決まっていなかった。

総一郎さんが挙げた候補は2つ、

「秦始皇帝陵博物院か、それとも五丈原―――」

このときはちぶんの目がらんらんと輝き出した。
ノッポさんが、僕が『五丈原』に行きたがっていることを総一郎さんに伝えてくれていたのだ!(ありがとう!ノッポさん!)

ところが歴史に詳しい総一郎さんは、
「五丈原に行っても何もありませんよ。できれば秦始皇帝陵博物院の方がいいでしょう」
と、あまり連れて行きたい場所ではない様子。
おまけに周囲の反応も冷ややかで、聞けば西安から2時間くらい離れた場所にあると言う。

『秦始皇帝陵博物院』とは秦の始皇帝のお墓で、あの世界的に有名な『兵馬俑』が見られる場所であり世界遺産にも指定されている。
かつてNHKの『シルクロード』という番組を見て、一時ははちぶんも魅了されたことがある。

しかし年を重ねて今は断然

『五丈原!』

そこに遺跡が残っている・いないでなく、広い中国の目と鼻の先にあるここにまで来たからには、是々が非でも諸葛亮孔明様終焉のその地を、自らのこの足で踏みしめたい!

ケンちゃん社長は「どっちでもいいよ」と、まるで興味がない様子。
結局、最終的な決断をはちぶんに委ねる形になった。

「どうしま……」
「五丈原っ!」

こうして翌日の行動は、はちぶんが夢にまで見たあの『五丈原』へ行くことになったのである!

 

中国アカシア蜂蜜視察紀行(14)《養蜂家陽明軍さん夫妻》 2014/07/25(金)

《養蜂家陽明軍さん夫妻》

次に訪問したのはやや町中で養蜂をする陽明軍さん夫妻。
町中といっても周囲には緑が生い茂るのどかな農村地域である。

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陽明軍さんの養蜂も巣箱の置き方から採蜜のやり方まで、先に視察した王学銀さんと同様だったので、ここでは中国の移動養蜂をする家庭の暮らしに目を向けてみたい。

陽明軍さんは四川省の出身で、1967年生まれというから今年47歳になる壮年である。
養蜂歴は10年で、150群の巣箱とともに花の開花に合わせて移動養蜂をしている。

今年は4月に地元四川省で菜の花を採蜜し、その後、甘粛省のここ慶陽市に移動してアカシア蜜を採取していると言う。

蜂場に入って真っ先に目についたのはテントの近くに設置した2枚のソーラーパネルだった。
それで生活に必要な電気をおこしているのだ。

一つの巣箱の上にはパラボラアンテナまで設置してあり、移動養蜂とはいえ、生活の近代化はこんなところにまで進出している。

生活の拠点になっている蒼緑色のテントの中を見せてもらった。

広さ9畳ほどのスペースには、ベッドや机、小型のプロパンガスやガスコンロなど、あとは食器ややかんや歯ブラシ、小さな小物はレジ袋に入れてテントの骨組みに吊るし、必要最低限の生活用品が整然と、しかもコンパクトにまとめられているのを見ると、人間はこれだけの物があれば十分生活が可能なのだなと、改めて日本の生活の無駄が多いことに気付かされる。

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夜や雨の日は、14インチくらいのテレビを見ながら、夫婦で日がな一日を送っているに違いない。

陽明軍さんには1歳半のお孫さんがいるという。
そう言われて気になるのは、移動養蜂をしている方たちのお子さんのことである。
まだ小さい子どもがいる場合、学校がある子どもをどうしているのかということだ。
1ケ所での滞在期間が1ケ月程度としても、まさかその都度転校させるのではあまりに可哀想だ。

移動養蜂をする人が移動をくり返すのは花のシーズンである。
従って花の咲かない冬などは、地元の実家に戻って暮らすことになる。
なので家を持たない遊牧民とは違う。

話を聞けば、子どもは実家の両親などに預けているのだそうだ。
子どもにしてみれば可哀想な話だが、生活の糧を得るには仕方がないのだろう。

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6月に入ったら陽明軍さん夫妻は陝西省の北の方へ移動するそうだ。
そこでアカシア蜜と百花蜜を採蜜する。

更に9月には甘粛省の渭源原という場所に移動して、漢方で使われる党参(とうじん)を蜜源とした蜂蜜を採取する予定だそうだ。
党参蜜は血流などに効果があり、布などに塗って体に貼れば湿布の役割を果たすという。

その後、10月になったら地元の四川省に帰り、そこでお茶の花粉を集め、そのままミツバチを越冬させる。
四川省は比較的気温が一定しており、越冬地に向いているのだそうだ。

咲く花々を求めて移動をくり返す移動養蜂―――。
移動はいつもトラックをレンタルし、巣箱をはじめテントや養蜂具材、生活用品一式を全て積み込んで1回で済ます。
生活をしていくのはどこの国でもたいへんだ。

「今年の蜂蜜はどうですか?」
「菜の花は例年並みでしたが、アカシアの方は豊作です」

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ケンちゃん社長は陽明軍さん夫妻と握手を交わすと、一行は次の視察場所に向かうため車に乗り込んだ。

時間を確認することも忘れていた―――。

朝8時過ぎに西安のホテルを出発して現地に到着したのが13時過ぎだったから、片道で優に5時間以上、道のりにして300キロ近いのではなかろうか。
移動がたいへんな旅になることは覚悟していたが、実際体験してみるとやはり過酷なものである。
ケンちゃん社長などは、
「(座りっぱなしで)ケツが痛くてたまらない」
と嘆いていた。

日程はかなり押しており、ついに3件目の訪問は断念することになる。
準備をされていた養蜂家の方には非常に申し訳ないが、はちぶんの力ではどうしようもない。

(水の飲み過ぎで、あちこちで小用を足していたはちぶんのせいか?申し訳ないっ!)

こうして一行は今晩宿泊予定の西安のホテルへ向かった。

 

中国アカシア蜂蜜視察紀行(13)《崖の上のはちぶん》 2014/07/17(木)

《崖の上のはちぶん》

それにしてもものすごい地形をした場所だ。

すれちがいもできないほど狭い土の道路のすぐ横は切り立った崖だし、山肌が露出した所にはいかにも仙人が住んでいそうで、うっそうと茂る木々の中には妖怪でも住んでいそうな雰囲気のある風景だ。

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そんな隘路をしばらく進むと、カーブの所で再び一行の車は停車した。

「またアカシアの観察か?」

と、車を降りれば、そこもニセアカシアの木が生い茂っていた。

ところが50メートルほど下の道沿いを見れば、リュウさんの車が1台の車を牽引してものすごいエンジン音をたてている。
そう、それは昨晩両親の養蜂の状態を見に山にあがってきた王松さんの乗用車で、深い溝にはまって立ち往生しているのであった。

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そのときそこには視察の我々も含めて10名以上いた。
はちぶんはすぐに思った。
(あんなものはこれだけの人数がいればすぐに持ち上がるよ)
と。

それは僕が以前中国から学んだことだ。

というのは、中国では有り余る人の力を利用して、本来なら機械を使うところも全て人力でこなしてしまうという、すなわち人海戦術というものである。
思えば少し意味合いが違うが、北京オリンピックのあの開会式の人が織りなす機械的な芸術を見ただろうか?
何千もの人間が一糸乱れずひとつのことを成していた。

近づけば、スリップでタイヤのゴムが焼けるニオイと、ガソリンのものすごいニオイが辺りに充満している。

「みんなで押せばあがるよ」

と言ったが、日本語では通じるはずもない。

やがて別の車に変えて、今度は王松さんの車の正面に移動して引き出そうとした。
すかさずはちぶんは王松さんの車の後ろに回って押そうとしたら、近くの人たちも手伝ってくれ、溝にはまった車は雑作もなく脱出できた。

それにしても王松さんの車のタイヤの溝はすでになく、ツルツルだったことに苦笑した。

中国には車検というものがない。
一度車を購入したら、故障して動かなくなるまで乗り潰すのだそうだ。

切り立った崖の上にはちぶんは立った。
足をすべらせたら命はないだろう。

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足元をのぞけば2、30メートル下の方には畑が広がっている。
その向こうにはアカシアの花、花、花―――。

周辺を歩いてその景色を写真におさめた。

 

中国アカシア蜂蜜視察紀行(12)《養蜂家王学銀さん一家》 2014/07/17(木)

《養蜂家王学銀さん一家》

車は広い麦畑が広がる民家のある前の道に静かに止まった。
いよいよ今回の視察の最大の目的、現地養蜂家とのご対面である。

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↑地元の方が「いったい何事か?」といった様子で見ていた。

一軒目は先ほど一緒に食事をした王松さんのご両親のところである。
はちぶんはビデオカメラをひっさげ、車を降りた。

7、80坪くらいの広さの空き地に、2段の養蜂箱がずらりと並び、その上空をミツバチたちが音をたてて舞っていた。

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聞けばここでは196群の巣箱を扱っており、ここに来る前は3月、家のある四川省で菜の花蜜を採蜜し、その後湖北省に移動してそこでも菜の花を採った後ここに移動してきたのだと言う。

ケンちゃん社長はさっそく王学銀さんと握手を交わすと、巣箱の状態を見てまわり、その中のひとつの箱の蓋を取って中の状態を確認した。
この後も数軒の養蜂家を訪ねる予定なので、ゆっくりしている時間はない。

ノッポさんの通訳で細かなことを尋ねているようだが、はちぶんはその様子を撮影するのに必死なのだ!

あご髭をたくわえた王学銀さんは、現在御年57歳。
養蜂歴35年のベテランである。

花の開花時期に合わせて住む場所を移動し、テントを張って採蜜をくり返しながら、奥さんと一緒に生活している。
今はこの辺りが一番の花の盛りで、この後、再び移動をして泾川の方へ行くという。

泾川といえば最初に行こうとした目的地ではないか?

(そうか、泾川はまだ花が咲くには早いのか)

視察場所の決定が当日のその日になってしまうほど、養蜂家の居場所を特定するのは難しいことなのだと、このときはちぶんは初めて知った。

広い蜂場には2段の巣箱がぎっしり並べられているわけだが、疑問に思ったのはその置き方。

鈴木養蜂場では巣門の方向を同じ方角に向けて整然と巣箱を設置するが、王学銀さんは“ロの字型”、つまり巣門をロの字の内側に向けて設置している。

聞けば、
「巣箱の置き方は、各養蜂家がそれまで蓄積してきた経験に基づいて決めている」
とのことである。
なるほど、そう言われてしまえば納得するしかない。
これが正しいという養蜂のやり方などないのだ。

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また、中国式養蜂の特徴の一つに、ひとつの巣箱に女王バチを2匹入れて養蜂するやり方が一般的となっている。
中には6匹も7匹も入れて飼う養蜂家もいるということだが、そんなことができるのか?
と思ってしまう。

やり方としては、2匹の女王バチのうち1匹の方のフェレモンを出す器官を取って飼うのだが、そうすることによって一つの巣箱でより多くのミツバチを飼うことができるのだ。

鈴木式養蜂にはないやり方だが、それ以前に、日本ではそれほど大量にミツバチを養蜂するほどの蜜源がない。
また、女王バチの数によって採取される蜂蜜にどのような味の違いや影響が出るかまだ研究段階だが、いまのところミツバチを大量に飼うことを目的とした中国式養蜂に問題はないと考えている。

それより消費者に知ってほしいのは、

日本のスーパーなどで大量に扱われている濃縮蜂蜜や加糖蜂蜜は、いったい蜂蜜生産過程のどの段階で決められているのか?

ということである。

実は答えは簡単で、いま我々がいるこういった養蜂家さん一人一人の採蜜方法にあるのだ!

もっと具体的にいうと、ごくおおざっぱだが、

養蜂家さんが採取する蜂蜜が『完熟』か?『そうでない』か?

なのである。

『完熟』状態の蜂蜜を集めるには、通常5日から1週間という時間が必要とされている。
ところが、大量の商品を流通させたい業者は、より多くの蜂蜜を集めたいがために、契約農家に完熟になる数日前に採蜜させてしまう。
蜜源には困らず一つの巣箱にミツバチも大量にいるから、その方が採蜜のサイクルが早く、量もたくさん採れ、その分コストも安くおさえることができる。

そのカラクリを知らない消費者は、まんまと安い濃縮蜂蜜や加糖蜂蜜を買わされているというわけだ。

社長が巣枠を確認した時は、巣に蜜はたまっているが、蜜ぶたがかかるまで、つまり完熟になるまであと2、3日という状態だった。
濃縮蜂蜜だったらこの段階の薄い蜂蜜を採取してしまい、あとは熱して水分をとばして味を濃くして市場に運ぶのだが、鈴木養蜂場で扱うにはそういうわけにいかない。

「蜜ぶたがかかるまでもう2、3日待とう」

社長は次の巣箱をのぞきはじめた―――。

特に問題はなかったようだ。

次に、中国式蜜搾り体験だ。
いつも電動でやっている作業も、手動となるとけっこう新鮮な気持ちになる。

昨日西安の蜂蜜店で見たのと同じ手動式の遠心分離器に2枚の巣枠を入れて、グルグルと回してみると、底に蜂蜜がみるみる溜まる。

最後に缶ごと持ち上げて、容器に蜂蜜を流し入れた。

はちぶんも採れたての蜜を舐めさせてもらった。
甘い蜂蜜の味がしたがどうしたことか?
日本の蜂場で採れる蜂蜜は、食べると口中に“キーン、カーン”とした味覚を感じるのに、中国の蜂蜜はただ甘いだけで、“キンカン”としたあの独特の風味が感じられない。

社長は濃度のせいではないかと言うが、同じ完熟蜂蜜でこの違いはいったい何だろう?

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一抹の疑問を残しながら、一家と記念写真におさまって、次の養蜂家のいる場所へ向かうため、はちぶんたちは車に乗り込んだ。

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↑あまりにのどかな農村風景であでる。

 

中国アカシア蜂蜜視察紀行(11)《またマーボー豆腐?》 2014/07/17(木)

《またマーボー豆腐?》

いよいよ甘粛省に入った。

あれからずっと走り続けて、もう正午を回っているというのに、目的地にはいっこうに到着しない。

その後、ようやく高速を降りたのは13時過ぎで、そこは甘粛省慶陽市寧県和盛という場所で、ここで少し遅めの昼食をとることになった。

入った店の名は、
『特色中餐』―――

おそらくこの辺りでは最高級の飲食店なのだろうが、「特色」のある「中(華料理)」を「餐=飲食する場所」とは、昨晩の経験からすると、なんとも怪しげな名前である。

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昨晩同様、小洒落た部屋に通されるとすかさずリュウさんが、
「お酒は何を飲むか?」
と聞いてきた。

(君たちは昼間っから酒飲むんか~い!)

ケンちゃん社長は
「日本には昼間からお酒を飲む習慣はあまりない」
と丁重にお断りしたが、そこで出てきた料理がまた山椒に黒酢に唐辛子の三拍子そろった超豪華な料理だった。

次々に並べられる中には、確か昨日も食べたマーボー豆腐が置かれている。
総一郎さんによれば、
「昨日食べたマーボー豆腐とはこんな素材を使ってこんな味付けをしていてこんな風に違う」
と得意そうに語っていたが、食べてみたら、

(どこが違うんじゃい!)

と、味の違いがまったく分からないはちぶんだった。

「総一郎さんって本当にお詳しいのね!」
と、フォローしたのはキャリーさん。
さすがっ!

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↑見た目の美味しさと味が一致しない料理の数々

一方、左45度福原愛ちゃん似のワンさんは、よほど話し上手かおしゃべりなのか、終始楽しそうに談話をしていた。
「次に来る時は中国語を勉強して来よう!」
と、密かに思うはちぶんである。

やや緊張した面持ちで、我々と一緒に食事をする5、6名の現地同行の青年たちがいた。

聞けば全員蜂蜜関連の仕事をしている方たちで、中にまだ20代前半のほっそりした小柄なひとりの青年がいた。

ノッポさんが、
「彼がこれから行く養蜂家の息子さんです」
と教えてくれた。

名を王松さん。
現在、四川省で蜂蜜専門店を経営しながら卸の仕事をしているという。

後で分かったことだが、彼は今日我々が養蜂の視察に来るということで、昨晩、養蜂の状態を確認するため両親のいる山里に登ったのだそうだ。
ところが険しい峠道、おまけに街灯などない真っ暗な中、車の車輪が溝にはまって抜けられなくなってしまった。
仕方がないので車を放置し、そこから何キロあるか知らないが、独りトボトボ歩いて両親の生活しているテントに向かったという。

まったく申し訳ないことだが、我々の視察の背景には、こうして人知れず働いている人たちがいると思うと、けっして無駄にはできない時間なのだ。

昼食を終え、いよいよ下道を養蜂家のいる場所へ向かう。

まだ舗装などされていない道路沿いにはなんとも懐かしい、はちぶん的には大好きな中国の素朴な民家が並んでいた。

不思議に思うのは、その家々の玄関には大きな文字が飾ってあることだが、ノッポさんに尋ねたら、
「あれは春連(チェンレン)という風習です」
と教えてくれた。

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春連とは春節(中国の旧正月)を祝うため、家の門の両側や入口の扉などに文句を貼る風習のことで、日本の短歌のように上の句と下の句があり、門の左側には上の句を貼り、右側に下の句を貼り、中央には“福”などの縁起の良い文字を貼って春の訪れを祝うのだそうだ。

この習わしは紀元前から続いており、昔は木で彫刻されたものを、朝廷とか地位の高い家でしか行っていなかったようだが、宋の時代頃から紙に変わって、その後各地へと普及していったそうである。

今から1500年前というから、やはり日本とは歴史のとらえ方の感覚が根本的に異なっている。

悠久の歴史を持つ中国、万歳!

である。

 

中国アカシア蜂蜜視察紀行(10)《ニセアカシア群生地帯》 2014/07/08(火)

《ニセアカシア群生地帯》

永寿服務区を出て、周囲はますます田舎になってくる。
ここまで来ればPM2・5の心配もないだろう。

車のフロントガラスには、黄色い液体でできた小さなシミが何か所にもついている。
「このガラスについた黄色い斑点はみんな蜂蜜ですよ」
と総一郎さんが教えてくれた。
蜂蜜を運ぶミツバチが、走る車にぶつかった際に飛び散った跡なのだ。

なるほど辺り一面にはニセアカシアが群生している。
その規模は日本の比ではない。

走れど走れど途切れることのないアカシアの風景が広がっていた。



ケンちゃん社長が面白い言い方をしていた。
「長野の北信地方では千曲川沿いにポツラポツラと小さなアカシアの林が申し訳なさそうにあるだけだが、中国は、北信地方でいう善光寺平一帯がすべてアカシアで埋め尽くされている!」
と。

(なるほど!分かりやすい!)
と感心するはちぶんだった。

まだまだ花はたくさん残っているが、当の養蜂家たちは更に花盛りの地へと北上してしまっているという。
一行はその後を追いかける形になっているわけだ。

「これだけあれば移動養蜂などせずに、定置養蜂でも十分稼げるのではないか?」

と考えてしまうのは日本の養蜂家の発想で、国土の広い中国では、花があっても道がなければ巣箱を置くことができない。
もっと重要なのは移動先での水の確保で、蜜が採れる間はテントで生活するわけだから、おのずと人里に移動することになる。

とはいえ、まさに宝の持ち腐れだ。

そこではちぶんは疑問に思う。
もともとニセアカシアの原産地は北米の方で、中国には自生していなかったはずである。
とすればこの辺り一帯に群生するアカシアはどこから来たのか?

そこは物知りの総一郎さんの出番である。

「もともとは植樹されたものです」

であるとするなら恐ろしすぎる繁殖力である。
日本でニセアカシアが特定外来種に指定されようとしているのも理解できないことでない。
要するに人と自然との共生を考えなければいけないということだろう。

陝西省咸陽市永寿県の道路沿いで、一行の車はハザードを点滅させ停車した。

中国では「省」が日本で言うところの「県」にあたり、中国で「県」といえば「市」の直轄下、つまり日本で言うところの「町」にあたる。

時間を見れば10時45分、ホテルを出てから2時間半経過したことになる。
ここでアカシアの花を観察しようというのだ。

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車から降りた瞬間、アカシアの香りがプ~ンと漂ってきた。

(とってもいい香り~!昇天しそう)

はちぶんは咲くニセアカシアの花を写真におさめた。

日本の花と別段変わったところはない。
普通のアカシアの花である。

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しかし咲いている面積規模が違うということを考慮に入れると、きっとこの地で採蜜されるアカシア蜜は、日本の物よりアカシアの純度が高いだろうと、小学生でも分かりそうな結論を導き出した。

では、なぜ、こんなに自然が豊かな中国で採れる蜂蜜が、日本では敬遠されてしまうのだろう?

これこそまさに、今回の視察で日本の消費者にお知らせしたい事なのだ!

はちぶんは、この巨大にして根深い魔物を前に、遥か彼方まで続くアカシア群生地帯をじっと見つめるのであった。

 

中国アカシア蜂蜜視察紀行(9)《黄土高原》 2014/07/04(金)

《黄土高原》

それにしても奇妙な地形である。

山が段々になっており、傾斜の部分の土がむきだしになっているのだ。
傾斜の部分とはいわゆる崖である。

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「この辺り一帯は黄土高原と言います」
総一郎さんが教えてくれた。

黄土高原―――

それは中国四大高原のひとつにも数えられている、中国でも特別な地形を形成している場所である。

ちなみに中国四大高原とは、

1.チベット高原
2.内モンゴル高原
3.雲貴高原(雲南省・貴州省)
そして、
4.黄土高原

である。
ものの本によれば……黄土高原とは、

黄河中流域に広がる海抜1000から2000メートルの高原地帯で、年間の降雨量は300から700ミリの半乾燥地で、強風によって砂漠から運ばれた黄砂が長い年月をかけて70メートルほどの厚さに堆積しているのだそうな。

黄砂というのは石英を主成分として保水力が低く、乾燥するとカチカチに固まる性質を持っていて、大昔は草木が茂る豊かな自然の地であったが、気候の変化や無計画な木々の伐採、開墾等によって土壌の浸食が進み荒涼化した―――

とあるが、ここでは総一郎さんが解説してくれた内容を忠実に残しておきたい。

この辺り一帯は大昔は大平原だったそうである。

大昔というのは有史以前。
ところがそこを流れる河によって地表が次第に削られていき、長い長い年月をかけて現在見られるこのような地形になったと言う。

ちなみに中国では、日本で言う「川」のことを一般的に「河」や「江」という字を使う。
「川」というのは、山の中に流れる小川とか渓流のようなものをさすのだそうだ。
はちぶんがいつも見慣れた千曲川など、中国においては小川なのだ!

話は続く。

だから見た目は山のように見えるが、そのてっぺんには頂上というものがなく、どこも平坦な土地(平野)が広がっているだけなのだ。

面白いのはむき出しになった土の部分に、人が入れそうな穴がいくつも空いていることである。

これは「窟洞(ヤオトン)」と呼ばれる人家だそうで、1960年頃まで実際に人が生活していたそうだ。

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しかしこんな地形では、水の確保をするにも作物を育てるにも、さぞたいへんだったことだろう。

 

中国アカシア蜂蜜視察紀行(8)《福銀高速G70線》 2014/07/04(金)

【二日日】

《福銀高速G70線》

昨日の雨はあがったが、外は曇り空だった。

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いや、もしかしたらこのどんよりとした空気は、PM2・5によるものかも知れない。

天気予報によれば、本日むかう甘粛省の泾川という場所は“晴れのち曇り”だそうだが、はちぶんは部屋の窓から西安の街を眺めながら、
「とりあえず雨さえ降らなければひと安心だ」
と胸をなでおろした。

朝食をとって8時15分にロービーに集合し、そこからリュウさんが手配してくれた地元で養蜂関係の仕事をする青年たちの車に乗って、福銀高速G70線という道路を陜西省西安市から甘粛省へと走らせる。
天気はたまに陽がさすほどに好転し“晴れ男はちぶん”の面目躍如である!

高速道路脇に植樹してある濃い紫色をした植物が気になって、総一郎さんに聞いてみた。
ところが歴史に深く詳しく下手なガイドさんよりよほど物知りな彼でさえその名を知らず、地元の運転手さんも知らないと首を振った。
僕の予想では空気汚染となにか関係しているのではないかと思うが、気になりだしたらどうしても知りたくなるのは心情だ。

中国の高速道路にはサービスエリアというものがとても少ない。
小便の近いはちぶんのために、途中、高速道路の路肩に車を止めてもらって用を足し、

(高速で車を止めるな~っ!)

時間のロスにはひんしゅくを買っただろうが(そっちかい!)、転んでもただでは起きないはちぶんは、用を足した場所に生えていた植物の観察をした。

生えていたのは、
(これは、日本ではよく仏壇に供えるシキミではないか……)
シキミには毒性があり、虫などを寄せ付けないと聞いたことがある。

そして目の前には気になっていた紫色の植物もあったので「日本に帰ったら調べてみよう」と、その葉を採取して車内で写真におさめた。

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高速を30分も走れば、西安では気になっていた霞んだ空気もだんだん気にならなくなり、大気汚染もその辺りまでは届いていないようである。
そこから目的地まではまだ遠く、西安からだと250キロほど離れた場所にある。

総一郎さんが左手の方向を指さして、
「あれは武則天の陵墓です」
と言った。
見れば遠くに小高い小さな緑の山が見える。

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武則天とは、日本では則天武后とも呼ばれている中国史上唯一の女帝の名である。

唐の高宗の皇后だったが、西暦690年に唐に代わって武周朝をうち建てた。
日本では飛鳥時代の後半にあたり、持統天皇が藤原京に都を移し、大宝律令の制定や、日本初ともされる和同開珎という貨幣が作られた頃でもある。
中国にはそんな歴史遺産があちこちに点在しているのだ。

もう2時間近く車を走らせただろうか?

『永寿服務区』というサービスエリアでトイレ休憩をとることになった。

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中国語で『服務』とは『サービス』のことで、『区』とは『エリア』を意味する。

日本語で『服務』といえば『仕事に従事する』という意味で、自分が属する仕事や組織のいわば上に対して『従う』といった意味合いが強いが、中国では一般の人たち、つまり下の人たちに『奉仕する』といった意味合いが強いのだなあと、ここでも日本と中国の違いを感じることができた。

それにしてもトイレに入った瞬間のあの強烈な異臭はいったい何だろう?

塩素と山椒と黒酢が混ざったような強烈なニオイ―――。

そういえば飲食店などの建物に入った瞬間、どこでも同じようなこのニオイを感じるのだ。
おそらく消毒の臭いではないかと思うが、はちぶんにとってはどうもいただけない。

思えば昨日の料理のせいか、ときたま体から黒酢と山椒の臭いが漂う気がする。
こうして何ケ月も中国に滞在していたとしたら、僕の身体もだんだん中国人化していってしまうのだろうか?

ところがひとつ、非常に感心したことがある。

永寿サービスエリア内の目立つ場所に、何かで表彰された人たちを顔写真入りで称えるポスターが貼ってあることである。
日本では新聞などでは紹介されることはあっても、長期的に掲示する場など見たことがない。
指名手配の張り紙こそよく見かけるが、こうした栄誉を称えるものなど皆無ではないか。

また、このサービスエリアの責任者や従業員は誰かがきちっと分かるように、こちらも顔写真入りで貼ってある。
日本ではJAなどで、野菜を作った農家が分かるように陳列棚に表示されるようになってきてはいるが、それはごく最近のことだ。

そこではちぶんは提案したい!
日本でもこれを導入すべきだと。

特に行政が運営するあらゆる施設には、誰が責任者であるかが分かるように、施設の一番目立つ場所に顔写真入りで表示させてはどうか?
そうすれば悪い事をする役人も少しは減るのではなかろうか?

合わせて公共に利をもたらした人は、どんどんポスターなど作って称えるべきだ!
―――と、

別に社会主義者ではないが、良いと思うことは真似していきたいと単純に思う。

 

中国アカシア蜂蜜視察紀行(7)《艾斯汀酒店』》 2014/06/27(金)

《艾斯汀酒店』》

ベロベロになって気付いたら部屋のベッドに横たわっていた。

どこをどう歩いて部屋に入ったのかよく覚えていない。

そういえばケンちゃん社長と、

「せっかく中国に来たのだから、大衆が食べる本場のラーメンが食べたいね」

と、『人人居』を出てからホテル近くの麺屋に行ったことは覚えている。
ところがそこで食べたラーメンも、日本でいうラーメンとは大違いで、米粉で作ったような腑抜けた麺を、黒酢で味付けたスープに漬けただけの、とても奇妙な味がしたことだけは思い出せた―――。

ふと、

「いかん!寝てなどいられん!ブログを書かなければ!」

使命感に呼び起されて、はちぶんは荷物の中からPCを取り出した。
出発前、ノッポさんとの打ち合わせの際、ネット環境があるホテルに泊まれるよう要望を出しておいたのだ。
「ここでブログを書かなければノッポさんにも申し訳ない……」
ところがネットに接続しようと試みるも、ルーター等の機材はそろっているようだが一向につながらない。
無線がダメなら有線でと、あれこれ試してみたが結局ダメだった。

「もういいや……、寝よっと」

とベッドに横になったとき、部屋の電話が鳴った。

「ノッポですが、インターネットはつながりましたか?」
「それがつながらないんです」

するとノッポさんはすぐに部屋に駆けつけてくれ、
「実は私の部屋もつながりにくいのです」
と、少しPCや配線をいじっていたが、結局フロントに電話をしてくれた。

部屋に姿を現したのは、どう見てもIT関連が得意そうには見えない、どちらかといえばホテルのボイラーとか配電盤を管理しているような作業着姿の5、60代のおじさんだった。
配線を見るためテレビや机を無造作にずらし、ノッポさんとの訳の分からない会話をしながら、はちぶんは酔いで頭をクラクラさせてその光景を見つめていた。

ついにボイラーおじさんは根をあげて部屋を出て行った。

「誰かを呼びに行ってくれたのですか?」
と聞けば、
「いいえ、あの人はもう戻って来ないでしょう」
とノッポさんは答えた。

(部屋を荒らしに来ただけかいっ!)

ノッポさんは申し訳なさそうに再びフロントに電話をかけると、今度はフロントの女性従業員らしき人がやってきて、部屋に据え付けのPCを操作しはじめた。
今度はさっきのおじさんよりマシなようだ。

しかし依然ネットはつながらず、しばらくいじってようやくつながりはしたが、切断されたり接続されたりと、動きはまったく安定しない。
再びつながったところで女性従業員は出て行ってしまったが、
「ホテルのPCで更新するしかありませんね」
とノッポさんが言った。
「ネットにつながれば問題ありませんよ」
と、PCの置かれた机の椅子に座り、画面をのぞけば、

(中国語やないか~い!)

「URLを直接打ち込んでください」
と、やっと見慣れたアメブロの画面にたどりついた。

ノッポさんは使命を果たしたとばかりに部屋を出て行った。

ところがブログの書き込み画面を表示させようとしたところが再び切れて、付き合いきれないはちぶんは、そのままシャワーを浴びて眠りについた。

 

中国アカシア蜂蜜視察紀行(6)《飲食店『人人居』》 2014/06/27(金)

《飲食店『人人居』》

長野から名古屋まで約4時間、名古屋から西安まで約7時間、飛行場から西安市まで約1時間と、ほぼ移動だけで終わってしまった初日だが、蜂蜜店の視察を終えてようやくまともな食事にありつけそうだ。

ケンちゃん社長やはちぶんに限らず、旅先の食事は大きな楽しみの一つであろう。

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総一郎さんとリュウさんに案内されて入ったのは『人人居』という店で、店内に入ると記録を残そうと魚が泳ぐ大きな水槽を写真に収めた。
するとフラッシュが光った瞬間、店員が僕のところにやってきて訳の分からない中国語をペラペラ話し出した。

(なんだ?ここは撮影禁止か?)

はちぶんは
「なに言ってんだか解からんアルよ~」
とジェスチャーで対応したが、店員は訳の分からない中国語を続け、しまいには
「店長と話をつけよう!」
と言わんばかりの激しさだ。
そこへ頼りになるノッポさんが仲介に入ってくれ、我々のことを説明してくれ、ようやく店員の剣幕はおさまった。

どうやらはちぶんは公安警察の調査員と間違えられたようで、店を取り調べていると勘違いされたらしい。

それはそうといよいよ食事である。
どれも非常にうまそうな写真が並ぶメニューを見せられた。

ところが書いてある文字は全て中国語で(当たり前だが)、こんなに美味しそうなのだからどれを選んでも間違いないだろうと、現地の人たちに注文を委ねた。

その間総一郎さんは西安の日常的な食事の話をしてくれた。
例えば、西安の人は羊のスープを日常的に食べるということ。
そこにはナンを細かくちぎったものを入れ、それを朝から食べる習慣があるといった話である。

そしてそれに近いメニューも含めてリュウさん達は次々と注文すると、やがて一品ずつ中国料理定番の丸テーブルに運ばれた。

まずは社長が所望したビールで乾杯。
そして料理がひと品が運ばれるたび、テーブルが回されてまず最初に社長の前で止まる。
社長が箸をつけると次にはちぶんのところに回される。
どうやら中国でも序列というものを重んじているらしい。

それにつけてもどの料理も香辛料が大量に入っており、素材の味を大切にする日本人の味覚には強烈すぎた。
素材よりも山椒と唐辛子と黒酢が味のほぼ99%(おおげさだが)を支配しており、お世辞にも美味しいとはいえない。

(山椒と唐辛子と黒酢のパレードや~!)

中でも『沸騰肥牛』なる真っ赤な料理を口にしたとき、思わずはちぶんは口から火を吐いた!

(なんじゃ、こりゃゃあゃー!超々ウルトラスーパースペシャル激辛ではないかっ!!)

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もともとはちぶんは激辛が大好きなはずである。
うどんにスプーン山盛りの七味唐辛子を入れても、CoCo壱に行って最上級の激辛カレーを食べても美味しく感じるほどなのだが、この沸騰肥牛には参った!

その名の如く沸騰するような超激辛で、口の中が痙攣したようにビリビリ、ヒリヒリとした感覚が10分くらい続くのだ。

「み、水を……」

と、飲んだところでしびれはおさまらない。
ひいひい言いながら手のひらで唇をあおいでいたが、そこに登場したのが『大白酒』と書かれたアルコール度50%の強烈なお酒で、リュウさんは
「これを飲むだろう?」
と、ボトルで2本も買い込んだ。

「さあ、遠慮せずに飲め飲め」
と、次から次へと大白酒を注いでくる。
これもタバコと同様、中国では注がれたら飲み干すのが礼儀で、断れば失礼に当たるというから勧められるまま飲むより仕方がない。

 

中国アカシア蜂蜜視察紀行(5)《連立する古びた蜂蜜専門店》 2014/06/27(金)

《連立する古びた蜂蜜専門店》

リュウさんに連れられて一歩街へ足を踏み出せば、
「ここは東京か?」
と思わせるほどの人の多さに驚く。

ホテルを出たすぐのところに雑貨を売るテント型の屋台があった。
そこではちぶんはライターを購入しようとすると、リュウさんが
「お金はいいから、いいから(中国語)」
と言って買ってくれ、おまけに小雨が降っていたから全員分の折り畳み式の傘まで買ってくれた。
お客さんにお金を使わせまいとする心遣いはどうやら万国共通のようだ。

激しい車のエンジン音にクラクションがあちこちで響き、そこらじゅうで行われている工事現場の音、音、音。
西安の街の第一印象は、

すこぶる元気な街―――

である。

更に驚いたのは4車線もあるような広い道路の交差点に、

「信号機がない!」

道路を横断する人々は、車が来ようがバスが来ようが思い思いに道路を横断している。

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大きな病院やデパートもあり、車の中から見た西安をより身近に感じながら歩いていると、なんとこの異国の街にも
『セブンイレブン』があるではないか!

オレンジと緑のイメージカラー、
あれは日本でおなじみのセブンイレブンだ!

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「日本の企業もがんばっているなあ……」

と感心しながら近くに来ると、なにやらストライプの間隔など微妙に違うことに気付く。
そしてお店の名前が違うのが決定的で、それはセブンイレブンまがいの店だった。

コピー文化とも揶揄される中国である。
標章や著作権などにめちゃめちゃ無頓着な中国人の性質はどこからきたものか?

いずれにせよ騙されないように注意しなければ!

『東大街』―――。

ノッポさんによればここは西安一の繁華街だそうだ。
そう、そしてここ西安の街は、日本の京都のように碁盤目の道路でできている。

というより京都の街が長安の街づくりに習ってできたのだ。

長い歴史の中でいろいろあったにせよ、漢字文化も仏教文化も儒教的思想やその他の風習も、始まりはみな中国から学んだことであることを考えれば、いわば中国は日本にとって大恩の国なのだ。
現在両国の政治的問題も山積するが、それはそれとして日本人はその大恩だけはけっして忘れてはならない

と思う。
でなければ日本は忘恩の国になるだろう。

そうこうしながら『天源蜂業』という蜂蜜専門店に到着した。

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店の看板はやや立派だが、中は装飾もない木の棚に蜂蜜や花粉や養蜂具が整然と並べられているだけの小さな店である。

よく見ればプロポリスやローヤルゼリーも置いてあるようだが、漢字で書かれていて読めない。

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ケンちゃん社長はさっそく店舗に入って商品のいくつかを手にしていたが、特に興味を持ったのは日本にはない形状をした養蜂具の数々で、ノッポさんを捕まえて店主からいろいろ話を引き出していた。

その様子を写真に収める―――
それがはちぶんが今回同行した最大の目的である。

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日本では見かけない巣枠が2枚入る縦1メートルほどの細長い手動式の遠心分離機を見つけた。

中国では一般的に使われているもので、社長が
「これ、日本に持ち帰れないかな?」
と冗談を言うと、真に受けて考え込んでしまうノッポさんは根っからのお人よしだった。

さしたる発見もなく、続いて通りをレンガ壁で隔てた歩道沿いに、さびれた蜂蜜店が5、6軒立ち並ぶ場所に訪れた。
いずれも店先には壊れそうな机が置かれ、上に数種類の蜂蜜が並べられていた。

聞けばどれも完熟蜜でなく、それらは濃縮蜜や加糖蜂蜜などで、中国の蜂蜜消費事情はまだまだ発展途上にあることが歴然としていた。

総一郎さんの話によれば、
「中国にも昔から蜂蜜はあるが、その用途は主に漢方薬としてでした」
とのこと。
やはり蜂蜜の本場は西洋で、日本や中国などの東洋ではあまり一般的でなかったそうだ。
このように店頭で蜂蜜が売られるようになったのはごく最近のことなのだろう。

日本の蜂蜜屋と大きく違う点は花粉の扱いが多いことで、漢方の本場中国における特徴のひとつなのだろうが、思えば漢方薬の店はすこぶる多い。

それより気になるのは歩道と道路の境に立っている人の背よりも高い赤レンガの壁で、レンガとレンガとはただ土で固められているだけなのだ。

これで地震でもあったら人はレンガの下敷きになるに違いない。

そんな心配もいらないほど、西安には地震がないのだそうだ。
来る途中に見た建設途中の高層マンションも簡素な造りに見えたのも、もしかしたらそのせいかも知れない。

それにしたって万一地震が発生したならば、この街は大惨事になることは目に見える。
教えてあげたいが一介の旅行客の立場では相手にもされない。
地震がないことを祈るばかりだ。

 

中国アカシア蜂蜜視察紀行(4)《陜西省西安市》 2014/06/18(水)

《陜西省西安市》

むかし……
といっても学生の頃、夢にまで見た唐の都長安―――

その憧れの天地に、いま僕は、確かにその大地を踏みしめている。

はちぶんは興奮したままビデオを回す。

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その日の西安は小雨が降っていた。
とにかく滞在中の一番の心配は、何はさておき天候の心配である。
せっかく日本くんだりからやって来て、明日、現地での養蜂視察において雨が降ってしまったでは何をしに来たか分からない。
天気ばかりは大麻(おはらいをする時の白いアレ)を振って、祈祷してでも晴らさなければなるまい。

空港を出たところで現地案内の中国人の方が待っていてくれた。

その顔……

どこかで見たことがある。

そうだ!

日本のジャーナリストでキャスターや評論家としても活躍している田原総一郎に似ているではないか!
なので彼のことを『総一郎さん』と呼ぶことにした。

総一郎さんと一緒に我々を待っていてくれたのは、現地天然蜂蜜工場の責任者であるリュウさんとその仲間たちで、唯一女性のワンさんはアラサー女性のやり手のようで、左斜め45度から見た顔つきは卓球の福原愛ちゃん似だった。
社長のタイプではなかったようだが、『寅さん』ではないが旅に恋の予感はつきものだ。

一行はリュウさんが運転する車に乗って、一路その日宿泊する西安市内のホテルへと向かう。

社長と総一郎さんは前回の視察でも一緒だったようで、車中では中国に進出している日本企業の話などしていたが、はちぶんはあまり興味がないので車窓を過ぎ去る異国の風景を心躍らせながら眺めていた。

1時間ほど車を走らせて西安市街に近づくに従って驚くのは、高層マンションの多さである。
しかもそのほとんどがまだ作りかけで、働く人も見当たらないから廃墟にも見えた。

それにも増して気になるのは空気の透明度で、小雨という天気のせいもあるのだろうが、わずか数百メートル先の建物すら霞んで見える。
これは現在日本でも盛んに取沙汰されているPM2・5による大気汚染の影響だそうで、黄砂も混じっているのだろうが、西安などはその最たる都市に数えられているのだ。

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「こんな場所で採れる蜂蜜など本当に大丈夫なのか?」

はちぶんでなくても心配になるのは当然だ。
社長も口には出さないが同じことを考えているだろう……。

やがてガイドブックで見るような昔風の中国の大きな建造物が目に飛び込むようになってきた。

行きかう人々やすべて漢字で書かれた看板や立ち並ぶ店舗、そして城壁や鐘楼―――、思わず感嘆の声をあげずにいられない。

やがて総一郎さんは城壁の方を指さし、
「今晩泊まるホテルはあの中の西安で一番の中心地にあります」
と教えてくれた。

西安の繁華街は城壁で囲まれている。
ヨーロッパにもそういう都市があるが、この景観が街に美しさを添えているのだ。

(マジか~!)

まさに昇天しそうなはちぶんは、思わず悠久の歴史を感じさせる風景に生唾を飲み込んだ。



それにしても人の多いこと多いこと!
おまけに車の運転の荒いこと荒いこと!

車と車の間隔が50センチもないというのに強引に割り込んできたり、中にはキレイな女性ドライバーがこちらを睨んでクラクションを鳴らす者もある。
信号などあってないようなもので、赤信号なのに人は道路を横断するし、古びたバイクも荷台を引く自転車もごっちゃになって、比較的広い道路を皆が「我れ先に!」と先頭を争っている。

それでも運転手のリュウさんは手慣れたもので、その混雑の中をスイスイ走る。
気の小さいはちぶんなどとてもとてもこんなところで運転などできない。

街中を走っていると「○○酒店」とか「○○飯店」という文字をよく目にするが、これは中国では「ホテル」を意味するそうだ。
こうして今晩宿泊予定のビジネスホテル『艾斯汀(アイシーティン)酒店』の地下駐車場に到着した。

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狭いロビーでチェックインをしている間に、ニコニコしながらリュウさんが僕に一本のタバコを勧めてきた。
名古屋でライターを奪われ、それまで一本も吸っていなかったはちぶんは
「気がきくなあ♪」
とありがたく頂戴したが、後で聞いた話では、それは中国人のタバコ吸いの社交辞令だそうで、断ると失礼に当たるのだそうだ。

お返しにはちぶんも日本のメビウスを一本さしあげると、リュウさんはとても喜んでいる様子だった。

「荷物を置いたら西安の蜂蜜専門店の視察に行きます。
4時30分にロビーに来てください」

総一郎さんが社長に言った。

はちぶんの黒いケータイの時間を見れば17時23分。
日本と中国との時差はちょうど1時間で、太陽は東から昇るので中国は日本より日没が遅い。
なんだか1時間得した気分ではあるが、部屋に入って集合時間まで10分もないとは、

(いくらなんでも無謀じゃろ~!もうちょっと休ませろ~!)

とは言えず、急いで荷物を置いてロビーに降りた。

それまでに何度かケータイの時間を現地時間に合わせようと試みたが、どうにも設定のし方が分からずに、結局中国にいる間はケータイが示す時間から1時間引くというやり方で現地時間を認識することにした。
なんとも不便だが、早めの行動を促すには都合がよい。

 

中国アカシア蜂蜜視察紀行(3)《中国東方航空MU292便》 2014/06/18(水)

《中国東方航空MU292便》

西安直行8時50分発の中国東方航空MU292便―――

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いよいよ登場手続きだ。

チケットを受け取り荷物を預け、別に悪いことをしているわけではないのに、セキュリティーチェックをくぐるところではいつも緊張してしまう。

案の定、社長がくぐったところで「ピーッ」と鳴った。

まるでケンちゃん社長は犯人扱いでもされるようにボディーチェックを受けていたが、どうやらベルトの金具がひっかかったらしい。
タバコ吸いのはちぶんはライターを取られただけですんだが、ここから西安に着くまでタバコは吸えない。

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飛行機に乗り込むときは、いつも
「どうか墜落しないでください」
と真剣に心の中で祈る。
この鉄の塊が空を飛ぶことなどいまだに信じられないのだ。

そして座席に座ったらすぐさまシートベルトを装着し、次に必ずタイプのスッチーさんを見つけることにしている。
万が一飛行機が落ちた時、今生の思い出に好きなタイプの女性に抱きついて死のうと考えているからだ。
もう死んでしまうのだから、人間として生きた証しにそれくらいの煩悩を残しても罰は当らないだろう。

ところが、あいにくタイプの中国人スッチーさんを見つけることができなかったはちぶんは、ますます不安をつのらせることになるが、あとで聞いた話では、ケンちゃん社長はひとりのスッチーさんをひどく気に入ったようで、どうもはちぶんとは好みのタイプが違うらしい。
例えば、似たような美人系の女優さんでいえば、ケンちゃん社長は北川景子が好きで、はちぶんは深田恭子が好きなのだ!

(身の程知らずのお前たちはいったいどんな話をしとるのじゃ!)

やがて飛行機は轟音とともに、かつての唐の都長安に向かって飛び立った。

しばらくするとスッチーさんがやって来て
「機内食は何を食べるか?」
と聞いてきた。

もちろん言葉は中国語だから、とても理解できるはずもないが、前方から順に機内食を配り始めたので、おそらくそう言っているのだろうと思っただけだ。

はちぶんは日本語は得意だが中国語は
「ニーハオ」

「シェーシェー」
以外まったくしゃべれない。
おまけに学生時代の英語の成績もけっしてほめられたものでなく、ましてヒアリングなど大の苦手なのだ。

優しいスッチーさんは、僕が中国語も英語も理解できないことを知ると、日本語で
「ブタ?ウシ?サカナ?」
と言ってくれたのでようやく「魚」と答えることができた。

この優しいスッチーさんとなら死ねるかな?

と彼女の顔を見たが、やはりはちぶんのタイプではなかった。

機内食はあまりおいしいものではなく、このあと食事に関しては、悪夢のような料理が続くことを、この時はまだ社長もはちぶんも知らない。

3時間ほど経って飛行機が着陸したのはなぜか上海空港だった。

てっきり西安直通だと思っていたのはノッポさんも同じで、4人は係員の誘導に従って空港内を移動しはじめた。
どうやら上海で入国手続きをするらしい。

ファイル 624-3.jpg

パスポートを見せて無事中国に入国を果たすと、名古屋から乗った十数名ほどの日本人は、肩にシールを貼られてあちこちと連れまわされた。

どこをどう歩いたかなどまるでわからなかったが、やがて再び飛行機に乗り込むと、今度こそ西安へと飛び立った。

ちなみにこの時もまたセキュリティーチェックで社長は犯人扱いされていた。どうやら本日はケンちゃん社長のラッキーデイのようだ。

気休めに持ってきたケータイの時計を見れば正午過ぎ。
西安に到着したのは日本時間で14時55分のこと。
夜通し運転した疲れが出たのか、機内では墜落の心配も忘れてぐっすり寝ることができた。

人の流れに乗って手荷物引渡場へ向かおうと歩き出したはちぶんを、意味の分からない言葉で呼び止める声がした。
振り向けば「こちらへ来い」と手招きする中国女性の係員がいる。

そこに集められたのは上海空港で肩にシールを貼られたメンバーで、名古屋から西安に行くつもりが上海で降ろされた十数名に違いない。
どうやら我々だけ別扱いらしい。

ところが一人足りないことに気付いた係員は、我々をバスに残して探しに出て行ってしまった。
さもあろう、あんな誘導の仕方で迷子にならない方がおかしい。

そこでいなくなった一人というのは、まだ20代前半と思えるはちぶんタイプのカワイイ女性だった。
薄エメラルド色の洋服にリュックには小さな白クマのアクセサリーを付けた、いかにも日本人らしい清潔感のある娘で、上海の空港内を一緒に歩き回っていたから間違えるはずもない。
たった独りで西安に来るとはよほど旅慣れているか度胸があるかのどちらかで、
一体どういう了見か?
と、ずっと気になっていたのだ。
「何をしに西安に?」と、よほど話しかけようかと思ったが、社長の目もあるし、ノッポさんやキャリーさんもいたのでやめておいたのだ。

キャリーさんによれば、「何か急いでいる様子で先に出て行ってしまった」とのことだったが、30分くらい待って、ようやくその娘は係員に連れられ「すみません!」と言いながらバスに乗り込んできた。

西安にもこんなにカワイイ日本人女性が来るのかと、ひそかに異国での出会いに期待を募らせるはちぶんである。

 

中国アカシア蜂蜜視察紀行(2)《中部国際空港セントレア》 2014/06/06(金)

【初日】

《中部国際空港セントレア》

5月23日金曜日、午前0時―――。

前回ケンちゃん社長が山東省へ行ったときは、中央タクシー(地元のタクシー会社)を使って中部国際空港セントレアまで直行したので今回もそうする予定だったのが、あいにくその日は予約がいっぱいで、仕方なくはちぶんの“す~カーパー”に乗って行くことになった。

運転は僕。
連日採蜜作業で朝が早くて、ろくに寝ていないケンちゃん社長に運転させるのは極めて危険なのだ。
それでも助手席でずっと眠い目をこすって、話し相手をしてくれる優しい社長であった。

2日前に届いた最終スケジュールでは、初日と二日目の宿泊場所が西安市から宝鶏市に変更されていた。

宝鶏市は西安市から西へおよそ150キロほど離れた陜西省第二の都市であるが、なぜスケジュールがころころ変更されるかというと、現地の養蜂というのは花が咲く場所へたえず移動しながら採蜜するいわゆる“移動養蜂”が一般的で、アカシアの花の咲き具合によって、養蜂家の居場所が刻一刻と変化するからである。

一瞬、
「なんだ、西安に泊まらないのかあ……」
と気落ちしそうになったが、事前に向こうの情報を調べているうちに“ものすごいこと”が判明した。

それは『シルクロード』や『西遊記』や『遣唐使』などよりも、はちぶんにとっては“超ウルトラスーパーすごい事!”であった。
それは、西安市から宝鶏市へ向かう途中に、

『五丈原』がある!!

ということだった。

知らない人のために説明しよう。

『五丈原』とは『三国志』に出てくる天才軍師『諸葛亮孔明』終焉の地なのである!!!

ファイル 623-1.jpg

『三顧の礼』によって劉備玄徳に仕えて『天下三分の計』を唱え、『赤壁の戦い』では驚く知恵で一夜にして10万本の矢を得て当時最強の武将であった魏の武将曹操を破り、天の利、地の利、人の利を巧みに読み、臨む戦は百戦錬磨、劉備亡き後もその遺志を継ぎ、泰平の世を実現しようと身を粉にして戦った男―――。

要するに、諸葛孔明ははちぶんが歴史上で最も尊敬する人物の一人で、僕にとっては孔明“様”なのだ!

「よ、よもや、あの五丈原に行けるかもしれない!」

その大きな期待は興奮を呼び覚まし、気持ちが高鳴り、昨晩などろくに眠れなかった。

車の中でその興奮を社長に伝えてみたが、ケンちゃん社長は「ふ~ん」と言って眠そうだった。
しかしはちぶんは固い決意をしていた。

「わざわざ日本から、あの広い国土を持つ中国の内陸部まで行くのだ。
そして一生行くことはないだろうと夢物語に思っていた五丈原の近くを通るからには、是が非でも足を延ばして行かねばならぬ!
ノッポさんに会ったらまずこの思いを伝えねば!」

しかしあくまで現地視察という仕事で行くのに、私情など理解されようはずもない。
そこではちぶんは考えた。

「これは鈴木養蜂場のブログにどうしても必要なネタなのだ!」

思いが通るかは分からないが、とにかくこの方向で口説いてみよう!

と、それとなく社長に話してみたら別段反対する様子もない。
社長さえ味方につければこっちのものだ!

ノッポさんとは6時40分に、中国東方航空のチェックインのところでの待ち合わせだった。
社長もはちぶんも中国語は話せないので、ノッポさんがいなければ視察どころの話でない。

中部国際空港セントレアの駐車場に到着したのは待ち合わせ時間の約2時間ほど前で、人けの少ないロビーで少し気が早かったかと社長と顔を見合わせた。

やがて姿を現したノッポさんに、さっそく五丈原の話を持ちかけた。
ところがノッポさんは五丈原どころか諸葛孔明の名すら知らない様子で、ポカンとした顔をしている。

(おいっ!君は中国人のくせに、あの超有名な諸葛亮孔明様を知らんのか~っ!)

口には出さないが
「こりゃ行くのは難しいかもしれん……」
と、落胆の溜息を落とさずにはいられない。

ノッポさんはしきりに中国語のガイドマップを広げてくれたが、やがて出た言葉が、
「実は宝鶏には泊まらないことになりました。今日と明日は西安に泊まります」
と涼しい声で答える。

(は、話が違うではないか……!)

はちぶんの夢はこの時点で無残にも砕かれた。

それでも心優しきノッポさんは、スマホで諸葛孔明や五丈原を調べてくれて、ガイドマップでその位置を確認すると、
「ここなら行けるかも知れませんね」
と、わずかに望みをつないでくれた。

(いいよいいよ、無理に話を合わせてくれなくて……。
行けなかったらいっそうみじめになるじゃない……)

はちぶんはひとり喫煙所にこもり、溜息を落として日本での最後のタバコをふかした。

しばらくして、別の仕事で同行するアラフォー女性がやってきた。
仕事で世界を飛び回るいわゆるキャリアウーマンなので、彼女のことを『キャリーさん』と呼ぶことにした。

 

中国アカシア蜂蜜視察紀行(1)《出発前夜》 2014/06/06(金)

今日から、先日行った中国の視察旅行の様子を、「紀行」と題して小出しにご紹介していきますネ!(笑)

『中国甘粛省 アカシア蜂蜜現地視察紀行』

※この「中国アカシア蜂蜜視察紀行」は、事実に基づく筆者はちぶんの主観的物語です。

《出発前夜》

実はケンちゃん社長から、中国養蜂の現地視察同行を求められたのは昨年のことだった。

「同行してその行動の様子を記録してほしい。
うちで扱っている中国産の蜂蜜は完熟でしかも良質であるが、どうにも世の中の中国産蜂蜜に対するイメージは最悪で、なんとか払しょくさせたいのだ」

と、熱い情熱にほだされた僕ことはちぶんだったが、その時いまひとつ乗り気になれなかったのは、前回社長が渡中したのは山東省で、歴史や文化好きな僕にとってあまり魅力を感じられない場所だったことによる。
「どうせ行くなら世界的な文化遺産の残るところに行きたい」
という、半ば観光旅行を期待しているよこしまな根性からだった。

ところが
「今年の山東省の蜂蜜の出来はいまいちで、今回は内陸の甘粛省へ行くことになった」
と当初のスケジュール表を見せられたとき、宿泊場所になっている『西安』の文字が目に飛び込んできたのだった。

「西安に泊まるんですか!」

思わず声をあげた僕の頭に、『シルクロード』のロマンと『西遊記』の物語が同時によみがえったのである。

西安―――

そう!
そこはかつて中国が『唐』と呼ばれた時代、唐の都『長安』があった場所ではないか!
シルクロードの始点であり、かつ、遥か西の天竺(インド)を目指して孫悟空という妖怪を伴った玄奘三蔵が旅立ったのも長安だった。
日本では聖徳太子の時代、遣唐使を送って大陸文明を学んだのも、そこ唐の都長安ではなかったか!

「行きましょう!中国へ!」

現金なはちぶんの態度は、そのとき180度ひるがえったのだ!

天安門事件が起こる前だからもう25年以上前、一度北京と天津に行ったことがあるから実は二度目の中国訪問となるが、西安へはもう行くこともないだろうとあきらめていたから、思ってもない幸運の到来である。

5月15日、視察協力会社の中国人がスケジュール調整のため鈴木養蜂場に訪れた。

はちぶんは現地視察に同行することになる通訳兼務の彼と初めて会って、社長と一緒に話を聞いたが、その中国人の話しぶりと温和な態度から、彼の誠実な人柄が伝わってきた。
なにより驚いたのはそのひょろりとした背の高さで、聞けば、
「190センチあります」
と、流ちょうな日本語で答える彼を『ノッポさん』と呼ぶことにした。

長野出発が23日の夜中の0時。

「海外でケータイが使えるか携帯電話会社へ行って確認した方がいい」

少し前にそう言われていたが、
「社長のケータイが使えるのだから僕のだって使えるだろう。最悪ケータイなんかなくてもいいや」
と最初は安易に考えていたが、出発が近づくにつれ
「迷子になったらどうしよう」
とか
「日本から緊急の連絡があったらどうしよう」
とか、だんだん不安に駆られて、出発する日の日中、やっぱり確認しておくことにした。案外小心者なのだ。

するとauの店員さんは、
「この機種は海外では使用できません」
と無情に答えた。

スマホやiフォンが主流になっている現在、はちぶんが愛用している黒い折り畳み式の携帯電話は、auから無料で与えられたもはや骨董ともいえる代物なのだ。

レンタルもあると教えられたが「今晩出発だ」と言ったら、親切にいろいろ対応してくれはしたが、結局間に合わないことが分かった。

「もっと早く行動しとけよ!」

自分を叱責したが後の祭りで、
「気休めに持っていこう。時計代わりにはなるだろう―――」
とあきらめて、それから少し仮眠をとって、いよいよ出発の時間を迎えた。

 

NHKが取材にきたよ♪ 2014/05/28(水)

本日、当場アカシア蜂場にNHK長野放送局の取材が入りました。
どうやら日本におけるニセアカシアが特定外来種に指定されるのか否かの問題で、養蜂家の目線でどう考えるかを取材するものらしい。

もちろんNHKだから中立の立場をとっていますが、取材は千曲川周辺のアカシアが咲く風景から一連の採蜜作業、そしてミツバチの生態などをカメラにおさめると、やがてレンズはケンちゃん社長に向けられました。

ファイル 620-1.jpg

インタビューアがアカシア蜂蜜に関する一般的な質問を投げかけると、社長はいつもの口調で流暢に答えていましたが、最後に「アカシアの減少に対して養蜂家としてどう思うか?」という質問に対して、社長はふと考え込んでしまいました。

おや?どうした……?
と、はちぶんは思いました。

NHKのインタビューアは、「養蜂家として非常に困る」というような答えをなんとなく期待していたように見受けられましたが、社長はしばらく考えてこう答えておりました。

「蜜源の減少の問題はアカシアに限らず、レンゲや栗、その他の植物全体にも同じことがいえます。養蜂家としてはそれを考えなければなりません」

ちょっと言い方が違うかもしれませんが、おおよそそんな意味のことを答えておりました。
要するにアカシアだけに目をとらわれるのではなく、もっと日本の自然環境という全体を考えなければいけないのではないかということだと思います。

インタビューアは「なるほど!」と感心したふうでした。
社長の方がインタビューアより一枚上手だったようですネ。
はちぶんは「社長、やるじゃん!」と心で思いました。(笑)

その後、店舗に移動して商品を撮影していましたが、お客さんがいるシーンを撮りたいと言われ、はちぶんがお客さんに扮して商品を選んでいる様子を撮られてしまいました!

この内容は6月4日(水)の夕方6時10分からのNHK長野「イブニング信州」という番組内で放送されるそうです。

ご興味のある方はぜひご覧くださいね!
もしかしたらテレビに映ることが嫌いなはちぶんも映るかも?(笑)

 

今朝はやく戻ってまいりました! 2014/05/27(火)

一連の日程を終え、昨日上海発18時10分の飛行機に乗り、無事日本に帰って参りました。

ファイル 619-1.jpg

名古屋から長野に向かう車の中で、いろいろあった出来事を思い出しながら、社長と大笑いして戻りました。

まずはご報告まで。。。

 

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