【二日日】
《福銀高速G70線》
昨日の雨はあがったが、外は曇り空だった。
いや、もしかしたらこのどんよりとした空気は、PM2・5によるものかも知れない。
天気予報によれば、本日むかう甘粛省の泾川という場所は“晴れのち曇り”だそうだが、はちぶんは部屋の窓から西安の街を眺めながら、
「とりあえず雨さえ降らなければひと安心だ」
と胸をなでおろした。
朝食をとって8時15分にロービーに集合し、そこからリュウさんが手配してくれた地元で養蜂関係の仕事をする青年たちの車に乗って、福銀高速G70線という道路を陜西省西安市から甘粛省へと走らせる。
天気はたまに陽がさすほどに好転し“晴れ男はちぶん”の面目躍如である!
高速道路脇に植樹してある濃い紫色をした植物が気になって、総一郎さんに聞いてみた。
ところが歴史に深く詳しく下手なガイドさんよりよほど物知りな彼でさえその名を知らず、地元の運転手さんも知らないと首を振った。
僕の予想では空気汚染となにか関係しているのではないかと思うが、気になりだしたらどうしても知りたくなるのは心情だ。
中国の高速道路にはサービスエリアというものがとても少ない。
小便の近いはちぶんのために、途中、高速道路の路肩に車を止めてもらって用を足し、
(高速で車を止めるな~っ!)
時間のロスにはひんしゅくを買っただろうが(そっちかい!)、転んでもただでは起きないはちぶんは、用を足した場所に生えていた植物の観察をした。
生えていたのは、
(これは、日本ではよく仏壇に供えるシキミではないか……)
シキミには毒性があり、虫などを寄せ付けないと聞いたことがある。
そして目の前には気になっていた紫色の植物もあったので「日本に帰ったら調べてみよう」と、その葉を採取して車内で写真におさめた。
高速を30分も走れば、西安では気になっていた霞んだ空気もだんだん気にならなくなり、大気汚染もその辺りまでは届いていないようである。
そこから目的地まではまだ遠く、西安からだと250キロほど離れた場所にある。
総一郎さんが左手の方向を指さして、
「あれは武則天の陵墓です」
と言った。
見れば遠くに小高い小さな緑の山が見える。
武則天とは、日本では則天武后とも呼ばれている中国史上唯一の女帝の名である。
唐の高宗の皇后だったが、西暦690年に唐に代わって武周朝をうち建てた。
日本では飛鳥時代の後半にあたり、持統天皇が藤原京に都を移し、大宝律令の制定や、日本初ともされる和同開珎という貨幣が作られた頃でもある。
中国にはそんな歴史遺産があちこちに点在しているのだ。
もう2時間近く車を走らせただろうか?
『永寿服務区』というサービスエリアでトイレ休憩をとることになった。
中国語で『服務』とは『サービス』のことで、『区』とは『エリア』を意味する。
日本語で『服務』といえば『仕事に従事する』という意味で、自分が属する仕事や組織のいわば上に対して『従う』といった意味合いが強いが、中国では一般の人たち、つまり下の人たちに『奉仕する』といった意味合いが強いのだなあと、ここでも日本と中国の違いを感じることができた。
それにしてもトイレに入った瞬間のあの強烈な異臭はいったい何だろう?
塩素と山椒と黒酢が混ざったような強烈なニオイ―――。
そういえば飲食店などの建物に入った瞬間、どこでも同じようなこのニオイを感じるのだ。
おそらく消毒の臭いではないかと思うが、はちぶんにとってはどうもいただけない。
思えば昨日の料理のせいか、ときたま体から黒酢と山椒の臭いが漂う気がする。
こうして何ケ月も中国に滞在していたとしたら、僕の身体もだんだん中国人化していってしまうのだろうか?
ところがひとつ、非常に感心したことがある。
永寿サービスエリア内の目立つ場所に、何かで表彰された人たちを顔写真入りで称えるポスターが貼ってあることである。
日本では新聞などでは紹介されることはあっても、長期的に掲示する場など見たことがない。
指名手配の張り紙こそよく見かけるが、こうした栄誉を称えるものなど皆無ではないか。
また、このサービスエリアの責任者や従業員は誰かがきちっと分かるように、こちらも顔写真入りで貼ってある。
日本ではJAなどで、野菜を作った農家が分かるように陳列棚に表示されるようになってきてはいるが、それはごく最近のことだ。
そこではちぶんは提案したい!
日本でもこれを導入すべきだと。
特に行政が運営するあらゆる施設には、誰が責任者であるかが分かるように、施設の一番目立つ場所に顔写真入りで表示させてはどうか?
そうすれば悪い事をする役人も少しは減るのではなかろうか?
合わせて公共に利をもたらした人は、どんどんポスターなど作って称えるべきだ!
―――と、
別に社会主義者ではないが、良いと思うことは真似していきたいと単純に思う。