《養蜂家陽明軍さん夫妻》
次に訪問したのはやや町中で養蜂をする陽明軍さん夫妻。
町中といっても周囲には緑が生い茂るのどかな農村地域である。
陽明軍さんの養蜂も巣箱の置き方から採蜜のやり方まで、先に視察した王学銀さんと同様だったので、ここでは中国の移動養蜂をする家庭の暮らしに目を向けてみたい。
陽明軍さんは四川省の出身で、1967年生まれというから今年47歳になる壮年である。
養蜂歴は10年で、150群の巣箱とともに花の開花に合わせて移動養蜂をしている。
今年は4月に地元四川省で菜の花を採蜜し、その後、甘粛省のここ慶陽市に移動してアカシア蜜を採取していると言う。
蜂場に入って真っ先に目についたのはテントの近くに設置した2枚のソーラーパネルだった。
それで生活に必要な電気をおこしているのだ。
一つの巣箱の上にはパラボラアンテナまで設置してあり、移動養蜂とはいえ、生活の近代化はこんなところにまで進出している。
生活の拠点になっている蒼緑色のテントの中を見せてもらった。
広さ9畳ほどのスペースには、ベッドや机、小型のプロパンガスやガスコンロなど、あとは食器ややかんや歯ブラシ、小さな小物はレジ袋に入れてテントの骨組みに吊るし、必要最低限の生活用品が整然と、しかもコンパクトにまとめられているのを見ると、人間はこれだけの物があれば十分生活が可能なのだなと、改めて日本の生活の無駄が多いことに気付かされる。
夜や雨の日は、14インチくらいのテレビを見ながら、夫婦で日がな一日を送っているに違いない。
陽明軍さんには1歳半のお孫さんがいるという。
そう言われて気になるのは、移動養蜂をしている方たちのお子さんのことである。
まだ小さい子どもがいる場合、学校がある子どもをどうしているのかということだ。
1ケ所での滞在期間が1ケ月程度としても、まさかその都度転校させるのではあまりに可哀想だ。
移動養蜂をする人が移動をくり返すのは花のシーズンである。
従って花の咲かない冬などは、地元の実家に戻って暮らすことになる。
なので家を持たない遊牧民とは違う。
話を聞けば、子どもは実家の両親などに預けているのだそうだ。
子どもにしてみれば可哀想な話だが、生活の糧を得るには仕方がないのだろう。
6月に入ったら陽明軍さん夫妻は陝西省の北の方へ移動するそうだ。
そこでアカシア蜜と百花蜜を採蜜する。
更に9月には甘粛省の渭源原という場所に移動して、漢方で使われる党参(とうじん)を蜜源とした蜂蜜を採取する予定だそうだ。
党参蜜は血流などに効果があり、布などに塗って体に貼れば湿布の役割を果たすという。
その後、10月になったら地元の四川省に帰り、そこでお茶の花粉を集め、そのままミツバチを越冬させる。
四川省は比較的気温が一定しており、越冬地に向いているのだそうだ。
咲く花々を求めて移動をくり返す移動養蜂―――。
移動はいつもトラックをレンタルし、巣箱をはじめテントや養蜂具材、生活用品一式を全て積み込んで1回で済ます。
生活をしていくのはどこの国でもたいへんだ。
「今年の蜂蜜はどうですか?」
「菜の花は例年並みでしたが、アカシアの方は豊作です」
ケンちゃん社長は陽明軍さん夫妻と握手を交わすと、一行は次の視察場所に向かうため車に乗り込んだ。
時間を確認することも忘れていた―――。
朝8時過ぎに西安のホテルを出発して現地に到着したのが13時過ぎだったから、片道で優に5時間以上、道のりにして300キロ近いのではなかろうか。
移動がたいへんな旅になることは覚悟していたが、実際体験してみるとやはり過酷なものである。
ケンちゃん社長などは、
「(座りっぱなしで)ケツが痛くてたまらない」
と嘆いていた。
日程はかなり押しており、ついに3件目の訪問は断念することになる。
準備をされていた養蜂家の方には非常に申し訳ないが、はちぶんの力ではどうしようもない。
(水の飲み過ぎで、あちこちで小用を足していたはちぶんのせいか?申し訳ないっ!)
こうして一行は今晩宿泊予定の西安のホテルへ向かった。