ミツバチと共に90年――

信州須坂 鈴木養蜂場

はちみつ家

Suzuki Bee Keeping

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はちぶんのブログ ※鈴木養蜂場で言う『蜂蜜』とはいわゆる『本物の蜂蜜』です。

おうち時間で簡単可愛いミツバチのくるみボタンを作って見ました 2021/09/13(月)

こんにちは!ゆーきです!!



先日、100円ショップでなんとなくやってみようかな~と

軽い気持ちで「くるみボタンキット」を買ってきました。

布物の袋をガサゴソしていると昨年のマスク不足の時に作ったまま使っていないマスクがありました。

以前、カード入れを作った時と同じみつばち柄の生地でした。

縫ったのをチクチクと外していくとそこそこの大きさの布でした!

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ミツバチを中心にして円を書いて切り抜いて

金具にボンドをつけながら布をくるくるとくるんで最後は止め金具をはめて出来上がり!


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思っていたよりも断然可愛くなりました!

くるみボタン!かわいいっ!!



それにしてもくるみボタンって

ずっと木の実の胡桃だと思っていたんですが

布をくるむからくるみボタンなんだ!

とやっていくうちに思いました。笑



とっても可愛く出来るので皆様もおうち時間に試してみてはいかがでしょうか!

 

はちみつ好きにとってはとても怖い話…日本蜜蜂のはちみつについて 2021/09/06(月)

こんにちはっ!ゆーきです!



8月が終わり急に涼しくなりましたね!

涼しくなってきたところなのですが、まだ気分は夏でいたいという思いで

はちみつ好きにとっての怖い話をしていきたいと思います。

今回は私に起こった本当の話です。



それは十数年前の事です。

友達から小瓶に入ったはちみつを貰いました。

なんでも、その友達のお父さんが趣味で日本蜜蜂を養蜂していたらしいのですが、

ただ養蜂するだけではちみつを取らないそうで、友人が奮起して蜂蜜を取ったそうです。

それをお土産に持って来てくれました。

濃い琥珀色のはちみつで中には巣と思われる破片も入っていました。



何となく貴重なものと知っていたのですが、どれほど貴重なものなのか、

どれほどの価値があるものなのか私は理解していませんでした…。

当時、まだ20代そこそこ。

実家暮らしで料理もほとんどすることもなく、食べ方もわらなかった私は

貰ったはちみつを冷蔵庫の奥底に眠らせてしまったのです…



数か月がたち冷蔵庫を開けると

何となくいやぁ~な感じがありました。

いやだなぁ~いやだなぁ~と思いながらも手前にある物をどかし奥を見ると

はちみつの小瓶からどろりとしたクリーム色の物が噴きだして漏れていたのです。



素人が採取したはちみつです。

滅菌もしていなかったのでしょう…。

何かが発酵したと思いました…。



後になって調べてみるとそれが結晶ということを知りました。

特に日本蜜蜂のはちみつにはよくある事だそうです。



まだ、スマフォもない時代でした。

インターネットで調べることも出来ただろうにそれもせず…。

私はあろうことかその瓶をそっくりそのまま捨ててしまったのです。



あの小瓶、今思えば450gくらいの瓶でした。

鈴木養蜂場のショッピングサイトを見ると

日本蜜蜂のはちみつ 160g 2160円

それを450gで換算すると約6000円!!!!

更に中々手に入らないので残念ながら鈴木養蜂場では品切れ中です。

 




 



今、こうしてはちみつに関わるようになり

日本蜜蜂が少なくなっている現状や

いかに日本蜜蜂の飼育が難しい事、

日本蜜蜂のはちみつが貴重かという事を知ると

あの時の私をぶん殴りたいっ!!!!!!!



日本蜜蜂さんたちせっかく集めたはちみつを無駄にしてごめんなさいっ!

そしてせっかくくれた友人にも申し訳ない…。

私がもっとはちみつの事を知っていたらこんなことにはならなかったはずなのに…



以上、私が実際に起こしてしまった日本蜜蜂のはちみつに関するお話でした。



ちなみにはちみつは結晶しても湯煎でもとに戻るそうです。

天然蜂蜜の性質だったんですね。

戻し方の動画をつくったのでご覧ください。



 



無知が起こした悲劇…。

無知は罪というのは本当ですね…。

これからも勉強していきたいと思います。

お叱りの声がありましたらコメントお待ちしております…。

 

モンテーニュ『エセー』に出てくる蜂(3) 2021/03/15(月)

またまたモンテーニュの『エセー』の中に蜂が出てくるのを発見しました。
今回は第2巻、第5章の『良心について』書かれている箇所です。

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では中身を見て見ましょう。

ちょうど、雀蜂が他を刺して傷つけながら、それ以上に自分が傷つくようなものである。雀蜂はそのとき針と力とを永久に失うからである。


今回はミチバチでなくスズメバチですね。

何を言っているかというと──

この直前の部分から見てみましょう。

ヘシオドスは、プラトンの「罰は罪のすぐあとからやって来る」と言った言葉を「罰は罪と同時に生まれる」と訂正した。
誰でも罰を持つ者はすでに罰を受けていて、悪事は自らに対する責苦をつくり上げる



と書いています。

ヘシオドスというのは、ホメロスよりやや後の古代ギリシアの叙事詩人らしいです。

その伝記は不明で、「仕事と日々」をはじめ、日常の生活、道徳、仕事を歌った作品が多いと注釈にありますが、はちぶんにはさっぱりわかりません(笑)

そして、

『悪事は悪事を企む者をもっとも苦しめる。』

という、アウルス・ゲリウス「アッティカ夜話」四の五に出てくる言葉を引用します。
これもよく分かりませんが!(笑)

それにしてもここの文の致命的な間違いは、スズメバチは他を刺すと針と力とを永久に失うと言っている点です。
刺すと腹がもげて死んでしまうのはミツバチで、針が木綿針のようにまっすぐなスズメバチは、力を永久に失うどころか、何度も刺すことができるという現代の常識は、440年前のフランスではまだ知られていなかったようですね!(笑)


100歩譲ってここの“スズメバチ”を“ミツバチ”に変えて読んだとしても、人の“心”というものが薄れ、“罰”とか“罪”とかいう意識も消えつつある現代においては、こうした概念もあまり意味を持たない気もしますが。。。



ともあれ、およそ440年前の常識と現代の常識の違いを発見するのも、読書の面白さですね!(笑)

 

モンテーニュ『エセー』に出てくる蜂(2) 2021/03/10(水)

モンテーニュの『エセー』を読んでいましたら、またミツバチが出てきたので記しておきます。

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第1巻の第26章、「子供の教育について」で書かれている箇所です。

『真理と理性はみんなの共有物であって、後から言った人よりも先に言った人に属するというものではありません。(c)私が言ったから真理でない、プラトンが言ったから真理だというわけのものではありません。なぜなら、彼も私も同じようにそれを理解し、それを見ているのですから。(a)蜜蜂はあっちこっちと花をあさって、その後でこれから蜜を作ります。この蜜は全部彼らのものです。もはや、たちじゃこう草でもマョラナ草でもありません。そのように、彼も他人からの借り物を、形を変え、まぜ合わせてすっかり彼自身の作品を、すなわち、彼自身の判断を作り上げるべきです。彼の教育も勉強も学習も、ただこの判断を作るのが目的なのです。』

子供の教育は、真理と理性の判断力を身につけるためにするのだと言っていますね。
そして真理と理性は人類の共有物なのだから、たとえプラトンのような偉い哲学者がそれを言葉にしたとしても、もともとそれは存在するものなのだから彼のものではないと言うことでしょう。

その例えとして今回見つけたミツバチが用いられます。
ハチミツは様々な花の蜜を材料にして蜂蜜を作るが、それはもはや花のものではないと──。

ここを読んだとき、近年何だかとてもうるさくなっている著作権について思い浮かべました。
作品の著作者は、あたかも自分が作り出した物だと権利を主張しますが、果たして本当なのだろうか?と。

著作者だってそれを生み出すまでに、様々な人が作った物を学習し経験も積んでいるでしょうが、生み出された物は、それらがなければ絶対に作ることはできなかったと考えるからです。
たまたま何かの縁に触れて閃きが生じたにせよ、それは森羅万象の中のたったひとつの出来事であり、いわば真理によって創作されたものには違いないと思いませんか?


とすれば、世の中に存在する全ての著作物は、モンテーニュの言うとおり皆の共有物なのかも知れませんネ!


混同しないでほしいのは、いわゆる“パクリ”による著作権侵害は論外です!(笑)

 

モンテーニュ『エセー』に出てくる蜂 2020/12/07(月)

ユゴーの『九十三年』を読了して、次にはちぶんはモンテーニュの『エセー』を読む挑戦を始めました。
が、しかし、、、難解すぎてついていけない!(笑)

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▲『エセー』の著者ミシェル・ド・モンテーニュ


と思っておりましたら、さっそく蜂が出て来たので忘れないうちに記しておきましょう(笑)

それは「第14章 幸、不幸の味は大部分、われわれの考え方によること」の最後の部分です。

《快楽にも、苦痛にも見られるある女々しい、惰弱な考え方がある。その柔弱な考えに、とろかされ、流されると、われわれは蜂に刺されたくらいでも叫び声を上げずにいられない。すべては克己を知ることにある。(岩波文庫 原 二郎訳)》

突然こんなことを書いても、何のことやらさっぱり分かりませんね(笑)

この章のテーマは、人が苦痛に感じる“運命”というものは、それ自体が幸福や不幸を与えるものではなく、考え方によって幸不幸は決定されるべきだというような事が書かれています。

今回の蜂が出てくるこの部分は、モンテーニュがキケロの『トゥスクルム論議 二の二十二』を引用したものらしいですが、そんなことを言われてもさっぱり分かりません(笑)

“惰弱”で“柔弱”な考えというのは、私たちを苦痛から救うたくさんの所説や哲学があるというのに、目先の苦しみにとらわれてそれらを用いようとしないことを指しており、何か困難が生じるとみな“蜂に刺されたくらいで大騒ぎする”と言っているようです。
もっと欲望や邪念にうちかつ人類の叡智があることを知れ──と。

そうは言いますが、ミツバチでなくスズメバチに刺されたらそりゃ大変ですよ!(笑)

しかしモンテーニュは、その“死”に対してもそうであるべきだと、この章の前段で様々な例を挙げて述べるのです。

面白かったのは、
絞首台に連れて行かれる男が、「借金取りに会うから別の道を行ってくれ」と言ったり(笑)、
懺悔聴聞僧に「今日おまえは主と晩餐を共にするだろう」と言われた死刑執行人が、「私は断食中だからあなたが自分で行けばいい」と答えたり(爆笑)、
絞首台にのぼった男に女を連れてきて「この女と結婚すれば許してやる」と言うのですが、男は「その女は私の好みではない」と断った話など(大爆笑)、死を目前にした人たちの機知にとんだ話がつづられます。

それにしてもこのエッセイが書かれたのが西暦1580~1588年だと言いますから、日本では関ケ原の合戦が行われる少し前の戦国時代。
フランスでは既に現代に通じるこんな文章が書かれていたことに驚きます。

読み進める中で、また蜂に関する記述がありましたらご紹介しますね!

 

まだあった!ユゴー『九十三年』にでてくるミツバチ 2020/11/25(水)

前回、ユゴーの『九十三年』に出てくる女王蜂を紹介してから、さすがにもうないだろうと思っていたら、いやはやどうして、最後の最後にまたまたミツバチが登場してきました。

よほどミチバチは、ものの例えに使いやすいとみえます(笑)

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処刑されるはずのラントナック侯爵を逃がしてしまい、共和党が作った法律にのっとって、自らが処刑されることになった共和党の指導者ゴーヴァン。

断頭台に送られる前日の夜、彼は自分を育ててくれた牧師シムールダンと最後の会話をします。

そして皮肉にも、教師と教え子の革命の目指す理想社会は、真っ向から対立するのです。



シムールダンが「私は人間がユークリッドの手で作られるといいと思っている」と言えば、

ゴーヴァンは「人間がホメロスの手で作られるといいと思っている」と答えます。

ユークリッドというのは古代エジプトの数学者、ホメロスは古代ギリシャの詩人です。



ゴーヴァンは「自然よりも偉大な社会を作りたい」と言います。

そして彼の長ゼリフの中に、この作品で三度目のミツバチが登場します。



「それが目的です。でなかったら、この社会など、なにになりますか? よろしい、自然の中に残っておいでなさい。野蛮人でいらっしゃい。タヒチ島は楽園です。ただ、この中にいては人間は考えない、という楽園です。野蛮な楽園より知的な地獄のほうがずっとましではありませんか。いいえ、地獄も絶対にいやです。人間の社会であるぺきです。自然より偉大な社会であるべきです。そうです、もし自然になにもくわえないというんなら、なぜ自然からぬけだすのですか?さあ、ありのようにはたらくことに満足しておいでなさい。みつばちのようにみつを集めて満足していらっしゃい。女王ばちのように知的になるかわりに、はたらきばちのようにあいかわらず野蛮なままでいらっしゃい。しかし、自然になにものかをくわえるならば、必ず自然よりもずっと偉大なものになるでしょう。つけくわえるということは増加するということです。増加するということは大きくなるということです。社会とはつまり昇華された自然です。わたしが望むのは、みつばちの巣箱に欠けているすべてのもの、あり塚にはないすぺてのもの、つまり、記念碑や、芸術や、詩や、英雄や、天才などです。永遠の重荷を運ぶのは人間の法ではありません。もうたくさんです、たくさんです、たくさんです。賤民や、奴隷や、徒刑囚や、永劫の罰を受けた人間など、もうたくさんです! わたしが望むのは、人間の一つ一つの属性が文明の象徴となり、進歩のひながたになることです。わたしが望むのは、精神に対しては自由を、心に対しては平等を、魂に対しては友愛を、ということです。たくさんです! もう束縛はたくさんです! 人間が作られているのは、くさりを引きずるためではなくて、つばさをひろげるためなのです。もう爬虫類のように地面をはいずりまわる人間などたくさんです。わたしが望むのは、幼虫がちょうに変貌をとげることなのです。みみずが生きた花になりかわり、羽をひろげてとびたつことなのです。わたしが望むのは……」(ユゴー作・榊原晃三訳「九十三年」より)



ここだけ読んだ人には、なんのことやらさっぱり分からないですね(笑)

だいじょうぶ、はちぶんにもよくわかりません(笑)

ただ、ミツバチが自然の象徴のひとつとして引用されていることはわかります。



この作品の最後の場面で特に印象に残ったのは、法律というのは心を持たないということです。

いま「日本は法治国家だ!」と偉そうに、それが至上のようにも思われていますが、果たしてそうなのでしょうか?

本来法律は弱い人を守るためにつくられますが、成文化された時点で、その法が作られた過程や経緯が忘却された時、心を持たないただの文字になってしまいます。

それを悪用する人間のなんと多いことか!

国家ですら人命尊重を声高に言い、窃盗を罪に問いながら、権力は法のもとに死刑を行ない財産の差し押さえを平気でするのです。



ユゴーの別の作品「レ・ミゼラブル」においても、ジャンバルジャンを捕えようとするジャベール警部に対し「法の奴隷」と言っているのを思い出すにつけ、ユゴーの理想は“人間”というものからはなれません。



カッコイイですね!

 

またまた見つけたユゴー『九十三年』女王蜂の比喩 2020/11/16(月)

ヴィクトル・ユゴーの『九十三年』を読み進めておりましたら、またまたミツバチに関する箇所を見つけました。

ミツバチといっても今度は女王蜂です。

共和派のゴーヴァンと王党派のラントナック侯爵──。
まずは女王蜂が出てくるその場面までのあらすじです。

前回紹介した記事「ビクトル=ユゴー『九十三年』に出て来るミツバチ」で登場した3人の幼い子どもたち。
彼らの囚われているラ・トゥーグ城が両者の激しい戦闘の末、炎に包まれます。

ようやく城にたどりついたミシェール(3人の母親)は、燃える城の中にいる自分の子ども達の姿をとらえ、泣き叫びます。
しかしどうすることもできません。

そのとき、共和派に追い詰められ、どうにか城から脱出したラントナック侯爵がミシェールと出会います。
彼は泣き叫ぶ母親の姿を見ると、咄嗟に炎の中へと取って返し、子どもたちを救出することに成功したのでした。

その一部始終を見ていたゴーヴァンは、自分が支持する共和制とはいったい何なのかと苦悶する場面です。
そこで女王蜂が比喩として登場してきます。

『革命は人間を邪道におちいらせることを目的としているのだろうか? 家族を崩壊させるため、人間性を窒息させるために、革命がおこなわれたのだろうか? とんでもないことだ。一七九三年の革命がおこったのは、こうした家族や人間性という崇高な現実を肯定するためであって、けっして否定するためではなかったのだ。監獄をひっくり返すことは人間性を解放することであり、封建制度を廃止することは、家族の基礎を作ることである。製作者は権威の出発点となるものであり、権威は製作者の中に含まれているものだから、父権をおいてほかの権威など、けっして存在しないのである。ここから部下を創造する女王ばちの正統性もでてきているのだ。つまり、女王ばちは母であるがゆえに、女王となっているのだ。同じ理由で、人間の王が存在するということは不条理なのであり、王は国民の父ではないがゆえに、国民の支配者ではないのである。こうして、王は除去されて、共和制が生まれてきたのである。(ユゴー作・榊原晃三訳「九十三年」より)』

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▲鈴木養蜂場の女王蜂

つまり──

国王は、国の父となる権利などどこにもない。

ところがその王制を復活させようとしているラントナックが、死を覚悟で小さな3人の子どもの命と母親を救ったという現実を目の前で見せつけらたゴーヴァンは、何が正しくて何が悪いのか全くわからなくなります。

王党派のラントナックの中に崇高なる“人間”を見たのです。

思い悩んだあげく、このあとゴーヴァンは思いもよらない行動に出るのですが。。。。



ともあれ、女王バチはユゴーも認めるハチ社会の王になる権利があったというわけです。

なんだかわかったような、わからないような・・・(笑)


『九十三年』、ほんとに面白いです!

「王政とはそういうものか!」と思ったり、それに対して日本の天皇って何なのかを考えてみたり──、
人の社会って、ほんと複雑ですね。

 

『鬼滅の刃』に出て来る恋柱・甘露寺蜜璃?恋の呼吸?? 2020/10/27(火)

鬼滅の刃がすごいブームになってますね。
はちぶんもテレビアニメを見ましたが、なかなか面白い!



ゲゲゲの鬼太郎の水木しげる氏によれば、10年サイクルで妖怪ブームがやってくるとか!?

あながちはずれてなさそう。。。

時は大正期、主人公の竈門(かまど)炭治郎はとても真面目で律儀な少年。
ところがある日留守の家を鬼に襲われ、母親と弟妹を皆殺しにされてしまいます。
唯一生き残った妹の禰󠄀豆子(ねずこ)は鬼にされてしまい、炭治郎は彼女を人間に戻すため、鬼滅隊という鬼退治の組織に入って戦います。

この物語を盛り上げているのは「柱」と呼ばれるめっぽう強い個性派ぞろいの鬼滅隊のお頭たち。
水・蟲(むし)・炎・音・岩・蛇・風などの柱がいて、それぞれ「○○の呼吸」という必殺技を使って鬼の首をばっさばっさと斬っていきます。

なぜこんな話題を取り上げたかと言えば、柱の中に「恋柱」甘露寺蜜璃(かんろじみつり)という乙女が出て来るからです(タイプっ♪)
名前の中に『蜜』の字を見つけたとき、ブログで扱わずにおくものかと思ったのでした(笑)

「恋の呼吸」の使い手で、可憐な容姿とは裏腹に常人の8倍の筋肉を持つ特異体質で、すざまじい怪力の持ち主なのだ!
武器はムチのようにしなる日輪刀。
鬼殺隊への入隊理由は「添い遂げる殿方を見つけるため」らしい(笑)

三つ編みの髪の毛がピンク色で、先端に薄い緑が混じっているのは、桜餅の食べ過ぎが原因なんだって(笑)
はちぶんも桜餅が好きだけど、最近はどんどん白くなっていきます(笑)

得意料理は巣蜜(コムハニー)のパンケーキ?
いずれ作ってみよう!

てなわけで甘露寺蜜璃ちゃんを描いてみました!(笑)

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最近のマンガはなかなか難しい!
蜂ん子はちぶんってわけにはいかないわい。

 

ビクトル=ユゴー『九十三年』に出て来るミツバチ 2020/10/19(月)

かなり前になりますが、ビクトル=ユゴーの『レ・ミゼラブルに出てくるミツバチ』という記事を書きましたが、同じユゴーの『九十三年』を読んでおりましたら、またまたミツバチが出てくる場面を発見しましたのでご紹介しますね。

えっ?あまり興味がないって?(笑)
でもはちぶんはユゴーが大好きなのだ!
今回もしばしお付き合いください。


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▲民衆を導く自由の女神(1830年、ルーヴル美術館所蔵)

この『九十三年』という作品はフランス革命を扱ったもので、特にヴァンデの反乱が舞台になっています。
九十三年というのは1793年のことで、この年の1月、あのかの有名なルイ16世が市民によって断頭台で処刑される事件が起こります。

そしてヴァンデの反乱が起こるのですが、物語は反乱軍を指揮する王党派のラントナック侯爵、それを鎮圧しようとする共和派のゴーヴァンとその師匠ともいうべきシムールダン、そして反乱に巻き込まれて3人の幼子を人質にとられた名もなき庶民の母親(ミシェール・フレッシャール)に焦点を当てながら、特に下巻に入ってから劇的に進みます。

筆者がミツバチが登場してくるのを見つけたのは『第三部 ヴァンデ 第三編 バルテミーの大虐殺(三)』の中です。
ラントナックが捕えたミシェールの3人の子、ジョルジェット(1才と8ケ月の女の子)とルネ=ジャン(長男4才)とグロ=ザラン(次男3才)が、囚われているラ・トゥーグ城の図書室で目覚めるシーンです。
3人は用意されたスープを食べてしまうと、部屋に訪れるわらじ虫やつばめを観察して遊ぶのでした。

ではミツバチが出て来る場面を確認してみましょう。

『つぎに、みつばちが一ぴきとびこんできた。
 みつばちほど魂に似ているものはこの世にない。魂が星から星へとびうつるように、みつばちも花から花へとびまわる。そして魂が光をもち運ぶように、みつばちはみつをもち運ぶのだ。
 みつばちははいってくるとき大きな音をたて、大きな声でぶんぶんうなっていた。まるで、こんなふうに言っているようだった。『ぽく、やってきましたよ。さっき、ばらさんに会ってきたんですが、こんどは子どもさんたちに会いにきました。みなさんはここでなにをしているんですか?」
 みつばちは家政婦みたいで、うたいながら小言をつぶやく。
 そこにみつばちがいるあいだ、三人の子どもたちは、それから目をはなさなかった。
 みつばちは図書室の中をすみからすみまで探検した。あちこちのすみをさぐりまわり、まるで自分の家にでもいるみたいに気安くとびまわり、羽で美しい旋律をかなでながら、書棚から書棚をさまよった。そうしてとびながら、まるで精神をもっているみたいに、書棚のガラスごしに、本の表題を一つ一つながめるのだった。
 やがてみつばちは訪問を終えて、でていってしまった。
 「みつばちは自分の家へかえるんだよ」と、ルネ=ジャンが言った。
 「あれは動物だ」と、グロ=ザランが言った。
 「ちがう」と、ルネ=ジャンがもう一度言った。「あれははえ(ムーシュ)だよ」
 「ミュシュ」と、ジョルジェットが言った。(ユゴー作・榊原晃三訳『九十三年 第2巻』第三部 ヴァンデ 第三編 バルテミーの大虐殺(三)より)』

“ミツバチほど魂に似ているものはない”とは、やはりユゴーにとってミツバチは特別な存在のようです。
そしてミツバチの様子を通しながら、これから起こる大虐殺を前にして何も知らない無垢な子ども達の姿を、はかなく、そして美しく描きます。

末っ子のジョルジェットは長男のルネ=ジャンが言ったムーシュ(蠅)という言葉を真似ますが、うまく発音ができずに「ミュシュ」と言っていますよね。
“ミュシュ”は母親の名である“ミシェール”に似ています。
ジョルジェットは物心つく前に母親と引き離されていますから、その顔も知らないはずですが、穢れなき子どもの心はどこかで母親を求めているのでしょうか?
しかもハエと母親の名を重ねる効果も相まって、読み手は一層複雑な心境になります。

レ・ミゼラブルもそうですが、ユゴーはこうした両極端の運命をぶつけ合わせることが大好きですね!(笑)
それがたまらなく面白いわけですが、その才能の10分の1でいいから分けてほしい!(笑)

秋の夜長──たまには世界文学に親しむのもいいものですよ。

 

蜂が出て来る昔話~山形県の民話『蜂の援助』 2020/09/15(火)

今日は蜂が出て来る昔話をひとつご紹介したいと思います。
山形県の民話で『蜂の援助』という物語です。

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第7回ミツバチイラストコンテスト応募作品 pupuさん『honey』

『蜂の援助』(山形県民話)

むかーしむかし、あるところに一人の貧しい若者がおったそうな。

あるとき若者は、わずかの銭を持って町へ塩を買いに出かけました。
するとその途中、子ども達がミツバチの腹に糸を結びつけて、ブンブン飛ばして遊んでいるのに出あいました。

「これこれ、可哀想でなえか。はなしてやれ」

若者は持っていた銭でそのミツバチを買い取り、糸をほどいて逃がしてやりました。

無一文になった若者は、どこかで駄賃を稼ごうと歩いておりますと、町一番の長者の門の前にこんな立札が掲げられているのを見つけました。

『裏山の杉の木が何本あるか、一本もたがえず数えた者を娘の婿に迎える』

長者の婿になるのも悪くないと思った若者は、さっそく山に入って杉の木を数え始めましたが、あまりにたくさんあって数えきれません。
すると、どこからともなくミツバチが飛んで来て、若者の耳元で何度も何度もこう囁きました。

「33333ブン、33333ブン、33333ブン……」

若者には確かに「3万3千3百3十3本」と聞こえました。

「きっと、来るときに助けたミツバチが恩返しに来たにちげえねえ」

そう思った若者は、長者の家に行ってこう言いました。
「山の杉の木を数えたら、この家の婿に迎えるというのは本当ですかい?
おら、全部数えたぞ!」

長者は、またデタラメを言いに来た不届き者が来たと若者を睨みました。

「娘の婿にするというのは本当だが、これまで来た者は、皆あてずっぽうの嘘つきばかりだった。

まあよい、聞くだけ聞いてやろう。で、いったい何本あったと言うんだね?」

「3万3千3百3十3本ですだ!」

見事数を言い当てた若者に長者は驚きました。

しかしどこの者とも知れぬ男にやすやす娘はやれません。
「それだけでは婿には決められん。娘は今、この家の一番奥の座敷におる。見事見つけることができたら認めよう」

若者は大きな屋敷の長い廊下を歩いて、つぎつぎ襖を開けて娘を探し始めましたが、開けたどの座敷にも部屋一面にヘビがいたり、ガマガエルがいたり、巨大なナメクジがいたりと、気味が悪くてとてもとても娘を探すどころでありません。

若者はほとほと困り果ててしまいました。

すると、そこへどこからともなく再びミツバチが飛んで来て、
「ここ開け、ブーン。ここ開け、ブーン……」
と、何もいない座敷から座敷へと、若者を導くように飛ぶのでした。

「ここ開け、ブーン、ブン」

と、またミツバチが言いました。
若者が襖を開くと、そこには美しい一人の娘が座っているではありませんか!

そして娘はにっこり微笑むと、優しく若者を迎えてくれたということじゃ。
めでたしめでたし。

蜂版うらしま太郎?

それともわらしべ長者?

人を幸せに導くミツバチのお話し……はちみつ屋としては何だかとってもイイお話しです!(笑)

ミツバチと幸運って結びつきやすいのかもしれませんね!

 

ミツバチが人と同じ大きさだったら東京駅から東京タワーまで瞬間移動!? 2020/08/20(木)

谷尻萌ちゃんが採蜜体験に来たとき、ケンちゃん社長が調子に乗ってミツバチの飛行速度をこんなふうに説明していました。
「ミツバチの飛行速度を人間換算すると、東京~名古屋間を4秒で移動するんだぞ!」
当然萌ちゃんは、
「ええっ!?速すぎじゃないですか!」
と驚いていましたが、間近で聞いていたはちぶんは、
「おいおい、ホントかよっ?」
とずっと疑問に思っていました(笑)。

しかし考えてみますと、以前、巣門から飛び立つミツバチの動画を撮影した際、その速さに驚いたことがあります。
撮影した映像を確認すると、ミツバチは一瞬のうちに画面から消えてしまい、3倍スローにしてようやくその動きが判るくらいのスピードでした。
確かに速い!!
これが人間と同じ大きさだったら……ひょっとしたらあり得るかもしれない。

そこで計算してみることにしたのでした。

ミツバチの飛行速度はだいたい時速24kmといわれています。
秒速にすると6.67m、つまり1秒間に6~7m移動する速さです。
ちなみに花の蜜をお腹いっぱい吸ったミツバチは秒速6.5m、空腹時は速いときで秒速7.5mも出るそうです。

はたらきバチの全長を13mmとします。
平成26年の調査では20歳以上の日本人男性の平均身長は167.2cm、女性は153.9cmだそうですので、これを平均して人の身長を160.55cm(1605.5mm)とします。
すると単純に、ミツバチが人と同じ大きさと過程するには、
1605.5(mm)÷13(mm)=123.5倍
すればいいことになりますね。

ですので、先ほど延べた時速を123.5倍すると、
24×123.5=2964km

おおっ!
この数字は、名古屋を越えて、遥か中国の西安まで行ってしまうぞ!(五丈原!なつかしい・笑)

https://ameblo.jp/suzukiyohojo/entry-11869699041.html

しかしこれは時速ですので秒速にしなければいけません。
秒速にするには60分で割って、さらに60秒で割る必要があります。(まちがってない?)

2964÷60(分)=49.4
49.4÷60(秒)=0.8233……

これは単位が(km)ですので(m)になおします。
0.8233……×1000≒823m

ミツバチが人と同じ大きさだったら、1秒間に823m移動することがわかりました。

しかしこれは東京駅から有楽町駅までのおよその直線距離です。
ケンちゃん社長が言っていたのは4秒ですので4倍すると3293.3m、つまりおよそ3.3km。

???

違っているぞ!(やっぱり?・笑)

でもこれって、東京駅から東京タワーまでの直線距離とほぼ同じなんです。

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▲4秒間で移動できるミツバチの飛行距離(地図はgoogleマップより)

すいませ~ん、採蜜動画内の発言を訂正いたしま~す(笑)

でも身長が2mの人間で、1cmくらいの小さいミチバチが突風の追い風に乗ったケースで換算したら、条件によってはあるいは名古屋まで行ってしまうかもしれません。

ミツバチがものすごく速いことには違いありませんね。

今日はミツバチが4秒間で移動する距離の話でした。

 

蜂蜜酒(ミード)という名を持つ女神クイーン・メイヴ 2020/08/13(木)

“メイヴ”という名の女神を知っていますか?

彼女はケルト神話に登場するアイルランド島西部コノート地方の女王で、その名は原始ケルト語の『medu(メーデュ(ミード))』または『medua(酔わせる)』という言葉に由来しているといいます。
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▲クイーン・メイヴ『Wikipediaより』

なぜそのような名前が付けられたのでしょう?
実はハチミツやミツバチと深く関係しています。

ケルトの伝承ではミツバチは太陽と魂の世界から来たとされており、死すべき人への神からの贈り物として蜂蜜酒(ミード)が与えられます。
ですのでミードは神聖な飲み物として、古代から中世のアイルランドでは、ミードを飲むことで王権が継承されておりました。

メイヴは、アイルランド上王だった父エオフ・フェズレフからコノート国を統治するよう言われ、コノートの女王になります。

ところが彼女の統治のやり方というのがえげつない!
持ち前の美貌をもって、軍人として最も勇敢で最も適した男だけを選んでミードを飲ませて酩酊させ、毎日のように、一晩で32人もの男をベッドに連れ込んだというから驚きです(笑)

彼女を自分だけの恋人と思い込んだ男たちは軍人となり、それは彼女に忠実な最強の軍隊となって国を守ったのでした。(女王バチのもとで統制を保つミツバチの世界みたいでしょ?)
彼女が『主権の女神』とか、性や欲望の象徴として伝えられるようになったのもそのためでしょうね。

やがてメイヴはアリルという男と結婚しますが、ベッドの中で二人が交わしたのは財産の話でした。

ケルトの文化では、男性女性の性に関係なく、財産の多い方が世帯主になるのだそうです。
二人はそれぞれ同等の財産を持っていましたが、アリルにはメイヴが持っていないものが一つだけありました。
それはフィンヴェナハという立派な雄牛でした。
ケルト人にとって優秀な牛は、とても大事な財宝なのです。

メイブはフィンヴェナハ以上の牛を探し求め、アイルランド島北部のアルスター国にそれと匹敵するドン・クアルンゲという褐色の牛を見つけました。
そしてドン・クアルンゲを手に入れようと交渉しますが失敗し、コノート国とアルスター国との間で『クーリーの牛争い』という戦争を引き起こします。

ここでは彼女は戦士の女王に変貌します。

ここからは妙な神話的ストーリー展開になるので飛ばしますが、最終的にメイヴはドン・クアルンゲを手に入れてコノートに連れ帰りました。

その後、アリルのフィンヴェナハとメイブのドン・クアルンゲが戦います。
結果、フィンヴェナハは死に、ドン・クアルンゲも深い傷を追って、アイルランド中を彷徨した末に力尽きて故郷アルスターに戻って死んでしまいます。。。

日本各地に日本神話にまつわる地名や史跡が残っているように、アイルランドでもこの神話にまつわる地名が多く残っているそうです。


メイブの話が急に牛の話になってしまいましたね。。。(笑)

さてこの女神クイーン・メイブですが、シェークスピアの『ロミオとジュリエット』の中では悪い妖精として登場人物の会話の中で少しだけ登場します。

それは第一幕第四場、ロミオがジュリエットと会う前の場面、仮面舞踏会に忍び込もうと仮装したロミオとマーキューシオーら友人たちとの取るに足らない下ネタ話の中でです。
夢を見たというロミオにマーキューシオーはこう言います。

「おゝ、それならば、君は昨夜はマブ姫(クイーン・メイヴ)と寝たのか!
あいつは妄想を産む産婆じゃ、町役人の指輪に光る瑪瑙(めのう)よりも小さい姿で、芥子粒(けしつぶ)の一群に車を引かせ、眠っている人間の鼻柱を横切る。
その車の輻(や)は手長グモの脛(すね)、天蓋(てんがい)はイナゴの羽根、鞅(むながい)はヒメグモの糸、首輪は水のような月の光線、鞭(むち)はコオロギの骨、その革紐は豆の薄皮、御者は無精な婢(はしため)の指先から掘じり出すかのマルムシというやつの半分もないいネズミ裝束の小さい羽虫、車体はハシバミの実の殼、それを太古から妖精の車工と定っているリスと地虫とが造ったものだ。
さて、このよう行装で、きゃつが毎夜々々、恋人共の頭の中を馳け回ると、それがすなわち種々の夢となるってわけだ。
廷臣の膝を走れば平身低頭の夢となり、代言人の指を走ればすなわち謝金の夢となり、美人の唇を走ればすなわち接吻の夢となる。
……その唇を、時とすると、マブめ、腹を立って水膨れにただれさせる、息が香い菓子で臭いからじゃ。
あるひはまた廷臣の鼻の上を走る、と叙任を嗅ぎ出す夢を見る、あるいは納め豚の尻尾の毛で牧師の鼻をこそぐと、坊主め、寺領が増えたと見る。
あるいは兵卒の首筋元を駈け回る、すると敵の首を取る夢やら、攻略やら、伏兵やら、イスパニアの名剣やら、底抜けの祝盃やら、途端に耳元で陣太鼓、飛び上る、目を覚ます、おびえ驚いて、一言二言祈えいをする、また寝入る。
ないしは真夜中に馬のたてがみを紛糾(こぐらか)らせ、または懶惰(らんだ)女の頭髮を滅茶滅茶にもつれさせて、解けたら不幸の前兆じゃ、なぞと気を揉まするもマブが悪戯。
あるひは娘共が仰向に寝ている時分に、上から無上に押さえつけて、つい我慢する癖をつけ、難なく強者にしてのけるもきゃつの仕業……」

はちぶんは英語が苦手なので坪内逍遙が訳した「ロミオとヂュリエット」を引用して読みやすくしましたが、メイブもさんざんな言われようですね(笑)

アイルランドのコノート地方スライゴ州にある「Knocknareaの丘」の頂きには、4500年前の彼女のお墓だと伝承される石の塚が残っているということです。
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▲Knocknarea の丘『Wikipediaより』


チャンスがあったら行ってみたいなあ。

 

養蜂の神様 ギリシア神話に出て来るアリスタイオスって知ってる? 2020/07/29(水)

久し振りに「ミツバチが出て来るよもやま話」をいたしましょう。

養蜂の神様が存在することをご存じですか?
それはギリシア神話に登場するアリスタイオスという神です。

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※ルーヴル美術館所蔵『アリスタイオス像』(Wikipediaより転載)

彼はアポローンとキューレーネーの子で、神話の中では養蜂技術を発明したほか、チーズの作り方やオリーブの栽培の仕方も伝えたとされています。
当場が養蜂をできるのも、彼の存在があったから?(笑)
母キューレーネーは狩りを好み、若い頃はライオンと戦って倒すほど勇猛果敢な娘で、それが気に入ったアポローンは彼女を妻にしました。
そして二人の間に生まれたアリスタイオスは、農業を愛する青年に成長し、ミツバチの飼育の仕方をはじめ、牛乳からチーズを作ったり、またオリーブの育て方を修学して、やがて羊飼いになってアウトノエーという女神と結婚します。
ある時アリスタイオスは、
「ケオス島に行きなさい」
との父アポローンの神託を受け島に向かいます。
ところが島に着くと、そこでは疫病が蔓延していました。

神話の時代から疫病は人々を苦しめていたのですね。。。

原因を調べているうちに、島の人たちがイーカリオスを殺害した者をかくまっていることが分かってきました。
イーカリオスというのはワインの醸造法を発明した神で、まだ“酔う”ということを知らなかった人たちが、彼に勧められて「毒を飲まされた!」と勘違いして殺してしまったのでした。
それを知ったアリスタイオスは巨大な祭壇を作り、ゼウスに生け贄を捧げて罪人たちを罰しました。
すると最高神ゼウスは、これに応えて疫病を終息させ、アリスタイオスはケオス島の英雄になりました。
次にテムペーという地に移ったアリスタイオスは、そこで養蜂を始めましたが、このとき事件は起こります。
飼っていたミツバチが病気で全滅してしまったのです。

当場でもたびたび原因不明のミツバチ全滅の事態を経験しますが、神代の昔からあったのですね!

途方に暮れたアリスタイオスは母キューレーネーに相談すると、
「プローテウスを縛り上げてミツバチの病気の理由を聞き出すがよい」
と教えてくれました。
プローテウスというのは海の老神で、予言能力を持っているのですが、その能力を使うのを好まず、話を聞き出すには彼を無理やりにでも捕まえなければなりませんでした。
母が“縛り上げて”という言葉を使ったのは、彼女が気性の強い狩りの女神だったこともあるでしょうが、プローテウスに対する敵対する感情もあったのでしょうか。
プローテウスは変幻自在の能力も持っていて、彼を捕まえるのは至難の技なのです。
綿密な作戦を立てたアリスタイオスは、洞窟で昼寝をしてるプローテウスをいきなり襲い、格闘の末ようやく捕まえることに成功します。

プローテウスはこう教えます。

「お前はかつてエウリュディケーに恋をしていただろう?
あのとき彼女は結婚したばかりで、お前に追い回されてひどく困っていた。
そしてお前から逃れようとした途中に蛇に噛まれて死んだのだ。
お前のミツバチが死んだのは、その恨みが原因である」
これを聞いたアリスタイオスは、恨みを鎮めるために牛の生け贄を捧げます。
すると、牛の死体からミツバチの一群が現れ、アリスタイオスは再び養蜂を始めることができたということです。
なんとも分かったような分からないような妙な物語ですが、原因不明の事象を怨みのせいにしたり、存在不明のものに救いを求めたり、人の英知の無力さを思う今日この頃です(笑)

 

童謡『ぶんぶんぶん』さまざまなアレンジ 2018/06/13(水)

今日はユーチューブで見つけたいろいろな童謡「ぶんぶんぶん」を集めてみました♪

聞き比べると面白いですよ。



Summ, summ, summ - Kinderlieder zum Mitsingen | Sing Kinderlieder


「ぶんぶんぶん」をJpopバラード風にアレンジしてみた


ジャジーなハチの変奏曲(ぶんぶんぶん) / ピアノ(ソロ) / 中~上級


同じ曲なのにアレンジによってずいぶんと印象が変わるものですね。

 

ミルトンの『失楽園』に出て来るミツバチ(3) 2017/06/05(月)

ミルトンの『失楽園』を読み始めてけっこう日数が経っていますが、ようやく下巻に入りました(笑)

そしてまたミツバチが登場するシーンを見つけましたのでご紹介しますネ!

それは、ラファエルという天使がアダムに、世界がどのようにしてできたか話す場面(第八巻)です。

神はこの世をどのように創造したか?
かなり嘘くさいですが(笑)概要はこうです。

第1日目に朝と夕べ、つまり光と闇を創ります。
そして2日目に空と海を創り、3日目に山と陸と植物を造り、4日目に太陽と月を創ります。
太陽と月は後だったんだ!(笑)

さらに、5日目にクジラや鳥や魚などのあらゆる生物を造り、6日目に家畜や昆虫や獣を造ったそうです。

そしてミツバチが出て来るのはこの6日目で、ヘビが造られ、アリが造られた後、、、

「つぎに、群れをなして雌蜂(めばち)が現われ、美味豊かな食物を供してその良人である雄蜂を養うとともに、蜜を入れる蜜蝋を掃(こしら)えていた。この他、なお無数の生きものが現われた。」
(平井正穂訳『失楽園』岩波文庫より)

とあります。
当時はなんでも女王バチはオスだと考えられていたそうですよ。

それにしても太陽とか月とか海とか山などのデカイものを造ったかと思えば、ミツバチのように小さなものまで、特にミツロウでできた巣まで作ったのですから、本当に神様って器用!(笑)

ちなみに人間が造られたのも6日目で、まずアダムが造られ、つぎにそのあばら骨からイーヴを造っていきます。

あやゆるものを創造した神は、7日目は休みます。さすがに疲れたのかな?(笑)
私達が一週間のうち1日休む習慣はここからきています。
いまは週休2日制が普通になっていますがね。

キリスト経のことはよく知りませんが、私たちの生活の中に深く根づいているんですね。
養蜂家は天気が良ければ日曜日でも仕事ですが。。。(笑)

またミツバチが出てきたらご報告します!

 

ミルトンの『失楽園』に出て来るミツバチ 2017/04/11(火)

今日は久しぶりに「蜂が出て来る話」をご紹介します。

今回紹介するのは『失楽園』──。

『失楽園』といっても女優黒木瞳が出て来るあの映画ではありません(笑)──旧約聖書『創世記』をモチーフにしたJ・ミルトンの大叙事詩の方です。

第1巻~12巻からなるこの物語は、アダムとエバが神の禁を破って「善悪の知識の実」を食べ、エデンの園を追放される話として有名ですが、その物語の始まりは、神への反乱に失敗して地獄に堕ちたサタンのもとに、同じく地獄に堕とされた反乱天使たちが集まって来るシーンです。

地獄にサタンの神殿(万魔殿)が出来あがっていき、やがてそこに無数の堕天使たちが集まって来る様子を、ミルトンは次のように描写しました。

『太陽が金牛宮に入る陽春の頃ともなれば、蜜蜂は夥(おびただ)しい若蜂の群れをその巣から外へ追い出すが、それらの群れは、いくつかの塊りとなって爽(さわ)やかな朝露や花の間を右往左往して飛びかい、かと思うと、いわば藁(わら)の城砦(じょうさい)ともいえる巣箱の外郭、つまり馥郁(ふくいく)たる蜜液が附著したばかりの滑らかな板の上に降りたち、行きつ戻りつしながら国家の大事を協議することがある──まさにその光景を思わせるのが、飛翔する天使の群れが翕然(きゅうぜん)として集まり、犇(ひし)めき合っている姿であった。(平井正穂訳『失楽園』岩波文庫より)』

人の群衆をミツバチの群れに例える手法はよくあります。
「太陽が金牛宮に入る陽春の頃」というのは旧太陽暦の4月中旬にあたり、だいたい今頃の季節でしょう。当場のミツバチたちもそろそろ活発に動き出します。
「夥(おびただ)しい若蜂の群れ」というのは分蜂のことでしょうか?
「国家の大事を協議」というのは、きっと「これからどこに巣を作ろうか?」「女王を誰にしようか?」などと自分たちの国の創成を話し合っているミツバチたちの様子のことでしょうね。
こういう描写ができるということは、もしやミルトンも養蜂経験者なのでしょうか。

実際に巣箱や分蜂を見たことがある人は、彼が伝えたかった様子がひしひしと伝わってくるはずですが、それが全部サタンの仲間だというのですから恐ろしくなります。

まだ読み始めたばかりですが、冒頭の部分を読んだだけで、なんとも現代の若者たちが好みそうなパラレルワールドのようで、不可思議な世界に引き込まれているはちぶんです。

読み進めていく中で、また蜂が出てきたら紹介しますネ!

 

『ちはやふる』に感化されてこんな歌をみつけたよ♪ 2016/03/30(水)

橘曙覧最近はちぶんがハマっているのは末次由紀氏原作の「ちはやふる」なのだ!(笑)

「かるた」を題材にした少女マンガなのですが、これが面白い、面白い!
かるたといってもあの百人一首を使った競技かるたですが、平安文化を背景にしたストーリーがはちぶんにはたまらんっ!
なんと日本語とは美しい言葉なのだろうと思ってしまいます。

といっても百人一首などほとんど知りませんので、もしかして「蜂」が出て来る歌があるかも知れないと思って調べてみました。

すると、、、
残念!一首も見つかりませんでした。(涙)

悔しいのでいろいろ調べていましたら、こんな歌を見つけましたヨ!

『羽ならす蜂あたたかに見なさるる窓をうづめて咲くさうびかな』

「さうび」というのは「そうび」と読んで「薔薇」の花のことです。

「ブンブンと羽を鳴らしているミツバチが暖かそう
見れば窓いっぱいにバラの花が咲いているではないか!」

とでも訳しましょうか。
薔薇の季節はまだ先ですが、情景が目に浮かびますネ!

これは江戸末期の歌人橘曙覧(たちばなのあけみ)という人が歌ったもので、志濃夫廼舎歌集(しのぶのやかしゅう)という本の中にある「薔薇(そうび)」という歌です。

橘曙覧は福井県で生まれ、国学を学び、やがて独学で歌人になりました。
代表作である「志濃夫廼舎歌集」を編集したのは子の井手今滋ですが、彼の祖先は大伴家持とともに「万葉集」編纂に関わった人物といいますから、なんとも歌の不思議な因縁を感じますね。

あの正岡子規は彼のことを、「源実朝以後、歌人の名に値するものは橘曙覧ただ一人」と絶賛するほどで、はちぶんはよく分かりませんが、歌人の中ではとっても偉い人らしいです。

『曙覧の歌』正岡子規(「青空文庫」)

たまには「歌」とか「短歌」とか「俳句」に親しんでみるのもいいですね~。
「ちはやふる」もオススメですよ!(笑)

 

ミツバチは愛のキューピッド~「はちみつ☆スティック」に「縁結び」ラベル登場! 2016/02/16(火)

「ハチミツ」って「恋愛」とごく自然に結びつくと思いませんか?

なぜかと言うと、蜂蜜は甘い!
「甘い」=「男女の甘い関係」
という公式(?)が成り立っているからだとはちぶん的に思うのです。

思えば当場で企画している「はちみつ川柳」でも、それを題材にしているものが多いこと、多いこと!(笑)
そこでなぜハチミツと男女の恋愛が結びつくのか、ちょっと文化的に考えてみました。

まず第1に「ハネムーン」。

ハネムーンとは新婚旅行のことですが、語源を探れば「honeymoon(ハニー・ムーン)」、つまり直訳すれば「蜜月」です。
これは中世ヨーロッパのある風習がもとになっているようで、新婚の新婦は1ヶ月間は家から出ないで蜂蜜酒(ミード)を作って新郎に飲ませ、子作りに励んだというものです。(笑)

なるほど新婚さんとハチミツは似合いますネ!
そういえば好きな人を「ハニー」と呼ぶのもこんなところから来ているのかも知れません。

第2にミツバチの生態にかかわる「受粉交配」です。

これはちょっと科学的な話になります。
ミツバチが蜂蜜と一緒に集めて来るのが花粉ですが、その花粉はミツバチのエサになります。
それでは、ミツバチ達が咲く花々のところへ飛んで行き何をしているかというと、蜜を集めると同時に花と花の間を動き回りながら、雄しべと雌しべ、あるいは雄花と雌花の受粉をしているのです。

やがて受粉した花は果実を実らせます。

つまりミツバチは花達にとっての愛の仲介人、キューピッドなのですね!(←うまい!)
なんだか自然の秩序とはいえ、とてもロマンチックですねぇ。

そして第3に「ハチ」、つまり数字の「8」から連想されるイメージです。

「8」は横にすると「∞」(無限大)、つまり「永遠」を表わす記号になりますネ。
横にするというのは発想の転換で、案外「運命の人」というのはけっこう身近にいて、それまで恋愛対象外の人が見方を変えることであなたの運命の人になるかもしれない存在???

また「8」は輪(○)と輪(○)が絡み合った形で、リングのように離れません。
これもまた「永遠に離れない」という男女にとっては縁起の良い数字なのです。

しかもミツバチは子だくさんと一家繁栄の象徴です。
現在婚活中の皆さんは、このミツバチや蜂蜜にあやかってみるのはいかがでしょう?(笑)

そこではちぶんは考えました!
「縁結bee!」(←ドラえもんの声で)

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これは当場の「はちみつ☆スティック」に「縁結び」のラベル貼っただけですが(笑)、普段からこの蜂蜜をバックに入れて、意中の人に渡してみてください。

ひょっとしたらその思いは成就するかも知れません!(笑)

 

真田丸!真田信繁(幸村)も食べたであろう蜂蜜入兵糧丸! 2016/02/05(金)

前回、「真田丸!真田信繁(幸村)と蜂蜜の関係を探る!」という記事を書きましたが、バックパッカー3兄弟さんさんから次のようなコメントをいただきました。
それは、バックパッカー3兄弟さんは真田町ご出身で、ヤッパリ「蜂の子」を食べていたというのです!

これはますます真田信繁(幸村)が蜂の子を食べていた可能性を高める証言ではありませんか!(笑)
はちぶんは喜んでしまい、今回は別の幸村と蜂蜜の関係をご紹介したいと思います。

真田幸村といえば何はさておき「真田十勇士」を思い浮かべる方も多いでしょう。
大河ドラマでも「佐助」という諜報者っぽい人物が登場しており、彼が現れる時と立ち去る時は、必ず風の効果音を入れていることから、あれはぜったい猿飛佐助を意識しているに違いありません!(笑)

筆者は司馬遼太郎の「風神の門」が好きなので、どちらかといえば霧隠才蔵派なのですが、猿飛佐助や霧隠才蔵といえば架空ではありますが忍者の代表格ですネ。
そう、真田幸村といえば一流の忍者を従えた武将なのであります。

長野市の戸隠には戸隠流(とがくれりゅう)忍術というものが伝承されており、現地にいけば忍者資料館などもありますが、戸隠流忍者は主に武田家に仕えていたといいますから、その流れから真田家にも仕えていたと容易に想像できます。

そして、その忍者たちが食料として携帯していたのが「兵糧丸(ひょうろうがん)」という非常食なのです。

それは、
「1つ食べれば1日動き回れる」

と言われるくらい高カロリーな食ベ物らしいのですが、一説によりますと1個約300kcalあったと言われますから、カロリーメイト(ブロックタイプ)の実に3倍です!
そのことから忍者だけでなく、武将も戦場に持っていったといわれているのです。

ということは、忍者と関係が深かった真田信繁も、当然戦さの時には常備していたに違いありません!(←力が入る)

なぜ、兵糧丸の話を持ち出したかというと、それを作る原材料に“蜂蜜”が含まれているからです!(←更に力が入る!)

戦国時代の話ですからまだ西洋ミツバチはいませんので、使用しているとすれば日本ミツバチの蜂蜜でしょう。

ところが一言で兵糧丸といっても国によって作り方が異なりますので、甲賀、伊賀、戸隠などで違いがあるようです。
はちぶんの好きな霧隠才蔵の伊賀流の製法では蜂蜜は含まれていませんでした。(残念!)
他の国の製法もしっかり調べてみないといけません。

しかし一般的な原料としてはソバ粉・はと麦・ゴマ・蜂蜜・砂糖などがあるようで、あるところにはその製法まで記されていましたのでご紹介しておきます!

【材料(2個分)】
そば粉……40g
上新粉……40g
すりごま……20g
はちみつ……10g
料理酒……少々
きな粉……40g

【作り方】
1.きな粉以外の材料をボウルに入れ充分にねる。
2.生地を直径5cmくらいに丸める。
3.蒸し器で約10~15分蒸す。
4.きな粉をまぶしてできあがり!

きっと真田信繁は、この蜂蜜の入った兵糧丸を食べていたに違いありませんヨ!
おいしいかどうかは知りませんが、今度はちぶんも実際に作ってみたいと思います。(笑)

 

真田丸!真田信繁(幸村)と蜂蜜の関係を探る! 2016/01/31(日)

はちぶんの頭の中は、現在NHKで放送中の「真田丸」に関連して、真田信繁(幸村)と蜂蜜の関係を調べることでいっぱいなのだ!

真田信繁が信州の出であることから、信州の蜂蜜を扱う当場と、何らかの関係性を見つけ出し、商品に反映できないかと考えているのであ~る。

昨年、上田市にスズメバチの駆除をしに行った時、現地の人に次のような事を尋ねてみました。

「このへんの人達は蜂の子を食べますか?」

すると、質問を受けたおじさんは産まれた時から上田に住む生粋の上田人で、
「子供の頃はよく食べていたよ。この辺には蜂の子を食べる習慣が昔から普通にあったからね」
と答えたのです。

真田家発祥の地は旧真田町ですから、上田からそう離れていない場所にあります。
その現地の人が言うのだから間違いない!

はちぶんは続けて聞きました。

「真田幸村は蜂の子を食べていたと思いますか?」

するとおじさんは、
「食べていたんじゃないかなあ」
と普通に言いました。

確証はありませんが、郷土の食として蜂の子が食べられていた以上、当然真田信繁も食べていたに違いありません!と、はちぶんは思います。

真田信繁と蜂蜜の関係―――、

これから何か新しいことが分かり次第、このブログにつづっていきたいと思います!

 

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