モンテーニュの『エセー』を読んでいましたら、またミツバチが出てきたので記しておきます。
第1巻の第26章、「子供の教育について」で書かれている箇所です。
『真理と理性はみんなの共有物であって、後から言った人よりも先に言った人に属するというものではありません。(c)私が言ったから真理でない、プラトンが言ったから真理だというわけのものではありません。なぜなら、彼も私も同じようにそれを理解し、それを見ているのですから。(a)蜜蜂はあっちこっちと花をあさって、その後でこれから蜜を作ります。この蜜は全部彼らのものです。もはや、たちじゃこう草でもマョラナ草でもありません。そのように、彼も他人からの借り物を、形を変え、まぜ合わせてすっかり彼自身の作品を、すなわち、彼自身の判断を作り上げるべきです。彼の教育も勉強も学習も、ただこの判断を作るのが目的なのです。』
子供の教育は、真理と理性の判断力を身につけるためにするのだと言っていますね。
そして真理と理性は人類の共有物なのだから、たとえプラトンのような偉い哲学者がそれを言葉にしたとしても、もともとそれは存在するものなのだから彼のものではないと言うことでしょう。
その例えとして今回見つけたミツバチが用いられます。
ハチミツは様々な花の蜜を材料にして蜂蜜を作るが、それはもはや花のものではないと──。
ここを読んだとき、近年何だかとてもうるさくなっている著作権について思い浮かべました。
作品の著作者は、あたかも自分が作り出した物だと権利を主張しますが、果たして本当なのだろうか?と。
著作者だってそれを生み出すまでに、様々な人が作った物を学習し経験も積んでいるでしょうが、生み出された物は、それらがなければ絶対に作ることはできなかったと考えるからです。
たまたま何かの縁に触れて閃きが生じたにせよ、それは森羅万象の中のたったひとつの出来事であり、いわば真理によって創作されたものには違いないと思いませんか?
とすれば、世の中に存在する全ての著作物は、モンテーニュの言うとおり皆の共有物なのかも知れませんネ!
混同しないでほしいのは、いわゆる“パクリ”による著作権侵害は論外です!(笑)