かなり前になりますが、ビクトル=ユゴーの『レ・ミゼラブルに出てくるミツバチ』という記事を書きましたが、同じユゴーの『九十三年』を読んでおりましたら、またまたミツバチが出てくる場面を発見しましたのでご紹介しますね。
えっ?あまり興味がないって?(笑)
でもはちぶんはユゴーが大好きなのだ!
今回もしばしお付き合いください。
▲民衆を導く自由の女神(1830年、ルーヴル美術館所蔵)
この『九十三年』という作品はフランス革命を扱ったもので、特にヴァンデの反乱が舞台になっています。
九十三年というのは1793年のことで、この年の1月、あのかの有名なルイ16世が市民によって断頭台で処刑される事件が起こります。
そしてヴァンデの反乱が起こるのですが、物語は反乱軍を指揮する王党派のラントナック侯爵、それを鎮圧しようとする共和派のゴーヴァンとその師匠ともいうべきシムールダン、そして反乱に巻き込まれて3人の幼子を人質にとられた名もなき庶民の母親(ミシェール・フレッシャール)に焦点を当てながら、特に下巻に入ってから劇的に進みます。
筆者がミツバチが登場してくるのを見つけたのは『第三部 ヴァンデ 第三編 バルテミーの大虐殺(三)』の中です。
ラントナックが捕えたミシェールの3人の子、ジョルジェット(1才と8ケ月の女の子)とルネ=ジャン(長男4才)とグロ=ザラン(次男3才)が、囚われているラ・トゥーグ城の図書室で目覚めるシーンです。
3人は用意されたスープを食べてしまうと、部屋に訪れるわらじ虫やつばめを観察して遊ぶのでした。
ではミツバチが出て来る場面を確認してみましょう。
『つぎに、みつばちが一ぴきとびこんできた。
みつばちほど魂に似ているものはこの世にない。魂が星から星へとびうつるように、みつばちも花から花へとびまわる。そして魂が光をもち運ぶように、みつばちはみつをもち運ぶのだ。
みつばちははいってくるとき大きな音をたて、大きな声でぶんぶんうなっていた。まるで、こんなふうに言っているようだった。『ぽく、やってきましたよ。さっき、ばらさんに会ってきたんですが、こんどは子どもさんたちに会いにきました。みなさんはここでなにをしているんですか?」
みつばちは家政婦みたいで、うたいながら小言をつぶやく。
そこにみつばちがいるあいだ、三人の子どもたちは、それから目をはなさなかった。
みつばちは図書室の中をすみからすみまで探検した。あちこちのすみをさぐりまわり、まるで自分の家にでもいるみたいに気安くとびまわり、羽で美しい旋律をかなでながら、書棚から書棚をさまよった。そうしてとびながら、まるで精神をもっているみたいに、書棚のガラスごしに、本の表題を一つ一つながめるのだった。
やがてみつばちは訪問を終えて、でていってしまった。
「みつばちは自分の家へかえるんだよ」と、ルネ=ジャンが言った。
「あれは動物だ」と、グロ=ザランが言った。
「ちがう」と、ルネ=ジャンがもう一度言った。「あれははえ(ムーシュ)だよ」
「ミュシュ」と、ジョルジェットが言った。(ユゴー作・榊原晃三訳『九十三年 第2巻』第三部 ヴァンデ 第三編 バルテミーの大虐殺(三)より)』
“ミツバチほど魂に似ているものはない”とは、やはりユゴーにとってミツバチは特別な存在のようです。
そしてミツバチの様子を通しながら、これから起こる大虐殺を前にして何も知らない無垢な子ども達の姿を、はかなく、そして美しく描きます。
末っ子のジョルジェットは長男のルネ=ジャンが言ったムーシュ(蠅)という言葉を真似ますが、うまく発音ができずに「ミュシュ」と言っていますよね。
“ミュシュ”は母親の名である“ミシェール”に似ています。
ジョルジェットは物心つく前に母親と引き離されていますから、その顔も知らないはずですが、穢れなき子どもの心はどこかで母親を求めているのでしょうか?
しかもハエと母親の名を重ねる効果も相まって、読み手は一層複雑な心境になります。
レ・ミゼラブルもそうですが、ユゴーはこうした両極端の運命をぶつけ合わせることが大好きですね!(笑)
それがたまらなく面白いわけですが、その才能の10分の1でいいから分けてほしい!(笑)
秋の夜長──たまには世界文学に親しむのもいいものですよ。