またまたモンテーニュの『エセー』の中に蜂が出てくるのを発見しました。
今回は第2巻、第5章の『良心について』書かれている箇所です。
では中身を見て見ましょう。
『ちょうど、雀蜂が他を刺して傷つけながら、それ以上に自分が傷つくようなものである。雀蜂はそのとき針と力とを永久に失うからである。』
今回はミチバチでなくスズメバチですね。
何を言っているかというと──
この直前の部分から見てみましょう。
ヘシオドスは、プラトンの「罰は罪のすぐあとからやって来る」と言った言葉を「罰は罪と同時に生まれる」と訂正した。
誰でも罰を持つ者はすでに罰を受けていて、悪事は自らに対する責苦をつくり上げる
と書いています。
ヘシオドスというのは、ホメロスよりやや後の古代ギリシアの叙事詩人らしいです。
その伝記は不明で、「仕事と日々」をはじめ、日常の生活、道徳、仕事を歌った作品が多いと注釈にありますが、はちぶんにはさっぱりわかりません(笑)
そして、
『悪事は悪事を企む者をもっとも苦しめる。』
という、アウルス・ゲリウス「アッティカ夜話」四の五に出てくる言葉を引用します。
これもよく分かりませんが!(笑)
それにしてもここの文の致命的な間違いは、スズメバチは他を刺すと針と力とを永久に失うと言っている点です。
刺すと腹がもげて死んでしまうのはミツバチで、針が木綿針のようにまっすぐなスズメバチは、力を永久に失うどころか、何度も刺すことができるという現代の常識は、440年前のフランスではまだ知られていなかったようですね!(笑)
100歩譲ってここの“スズメバチ”を“ミツバチ”に変えて読んだとしても、人の“心”というものが薄れ、“罰”とか“罪”とかいう意識も消えつつある現代においては、こうした概念もあまり意味を持たない気もしますが。。。
ともあれ、およそ440年前の常識と現代の常識の違いを発見するのも、読書の面白さですね!(笑)