ミツバチと共に90年――

信州須坂 鈴木養蜂場

はちみつ家

Suzuki Bee Keeping

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はちぶんのブログ ※鈴木養蜂場で言う『蜂蜜』とはいわゆる『本物の蜂蜜』です。

蜂が出てくる落語『田舎芝居』 2012/07/12(木)

上方落語に『田舎芝居』というのがあります。
そこに蜂が登場するので、今日はそのお話を紹介しましょう。

『ある田舎村の鎮守祭で、村芝居を出すことになりました。

ところが、一流の役者を頼むと千両もふんだくられると聞いた世話人はぶったまげ、
「一番安くて悪い先生を頼もう」
ということになり、見つけた役者が江戸下谷北稲荷町に住む中村福寿という三流役者。

しかしそんなうだつのあがらない役者でも、田舎に来れば神さま扱い。
庄屋の家に招かれて、下にも置かぬ大歓迎を受けました。

行う演目は「仮名手本忠臣蔵」。
中村福寿は敵役の高師直を、桃井若狭助は村人が演じることになりました。

しかしあり合わせの衣装に田舎言葉では何ともしまりません。

そうして当日本番を迎えます。
ところが、稽古の時に外に干していた烏帽子の中に、蜂が巣を作っていたことを誰も知りません。

舞台は、反乱を起こし戦死した新田義貞の兜を八幡宮に奉納するという時、師直が若狭助を罵倒する一番の見せ場にうつっていきます。

「だまれ若狭!義貞が討ち死にのみぎりは大わらわ。死骸の前に討ち取った兜の数が四十七!どれがどうとも分らぬ兜。奉納したその後で……」
と、そこまで言いかけ、突然、福寿演じる師直が、
「アタタタタ……」
と言い出します。
そう、烏帽子の中では出どこのない蜂たちが、福寿のハゲ頭を刺しまくっていたのです。

福寿の頭はあっと言う間にコブだらけ。
見物人はそのふくれ上がった頭を見て、
「どこの国に師直とデコスケの早変わりがあるものか!」
と怒り出します。

芝居はその後もメチャクチャで、なんともしまりのない鎮守祭となってしまいました。』

と、まあ、こういう落語です。

お金を惜しんじゃいけないよ、ということでしょうかネ?(笑)

 

松尾芭蕉が詠んだ蜂 2012/07/10(火)

松尾芭蕉といえば江戸時代前期に活躍した俳聖と称される句人ですネ。
特に『おくのほそ道』が有名ですが、『野ざらし紀行』の中で蜂が出てくる句をみつけました。

牡丹蘂(しべ)深く分け出づる蜂の名残かな

これは貞享2年(1685年)4月、芭蕉42歳の時の作品です。
『野ざらし紀行』は、門人の千里とともに生まれ故郷の伊賀上野に旅した際に記した俳諧紀行文で、旅を終え、江戸に帰る際、逗留で二度までもお世話になった門人の林七左衛門に、お別れの句として贈ったものです。

「たいへんにお世話になりました。
牡丹の花の奥で美味しい蜜をいただき、名残り惜しく飛び立つ私は蜂と同じです」

と、牡丹の雄しべと雌しべに例えた七左衛門と彼の家族に対し、手厚いもてなしへの感謝を述べるのに、自分を蜂に例えたわけです!

牡丹は別名「富貴草」ともいわれ、七左衛門の家は豪家だったようです。
そこに蜂が来たことによって受粉が行われ、やがて牡丹は実を結び、家はますます栄えていくといいですねという意味も含んでいると思います。
芭蕉って本当に天才!

でも、人と接するときに、こういった句で心情のやり取りをするって、日本的ですごくオシャレだと思いませんか?
はちぶんも見習わないと!(笑)

 

蜂を飼いならした人?? 2012/07/09(月)

平安時代後期の公卿で藤原宗輔という人がいます。
彼は太政大臣で、別名〝蜂飼大臣(はちかいおとど)〟という異名を持っていました。

なぜ彼が〝蜂飼大臣〟なのか?

実は彼、蜂を手なづけるという特技を持っていたのです!(笑)
そしてその不思議な存在から『今鏡』や『十訓抄』にも登場してきます。
しかも飼っている蜂の一匹一匹に、「なに丸」とか「かに丸」とか名前をつけていたと言いますから驚きです。
でも、何万もいる蜂の名前を考えるものさぞ大変だったことでしょう。(笑)

そして、蜂たちは宗輔の言う事をよく理解し、
「なに丸、こうしなさい」
と言うと忠実に従ったといいます。←ホント~??
例えば、気に入らない人がいれば蜂に命じて刺させたそうですヨ。

『十訓抄』では、この藤原宗輔という人は次のように描かれています。

『宗輔が宮中に参内する際、牛車の窓に蜂がぶんぶん飛んでいたのを、彼が「止まれ」と命令すると、蜂は止まって静かになりました。
当時の日本では養蜂は「無益な事」と言われ人々から嘲笑されていましたが、五月の頃、宮廷内に巣栄した蜂の巣が落ちて、天皇の御前に無数の蜂が飛びまわるという事件が起きました。
そこにいた人たちは慌てふためき逃げまわっていましたが、かの宗輔は落ちついて、天皇の御前にビワの実があったのを見つけるとそれをひとふさ取り、琴の爪で皮をむいてそのビワを高くかざしました。
すると蜂たちは全部その実に集まって、おとなしくなったといいます。
天皇は、
「折り良く宗輔がいて助かった」
と言ってたいそうお褒めになったということです。』

蜂を飼いならすなんて、そんなことが本当にできるのでしょうかネ?
もしできるのなら、その技術を当場でも取り入れたいです!(笑)

 

今昔物語に出てくる蜂 2012/07/05(木)

今昔物語といえば「今は昔……」ではじまるお話で構成された、平安時代末の説話集ですネ。

その中で、蜂が出てくるお話を拾ってみました。
タイトルは「鈴鹿山に於いて、蜂、盗人を刺し殺しし語」です。

『今は昔、京に水銀商(みづがねあきない)する者ありけり―――。

この商人はすごい大金持ちで、いつも100頭あまりの馬に荷物を負わせて伊勢に通っていました。
そうして年老いていきましたが、その間、盗賊に会うこともなかったので、ますます富み栄えておりました。

ところが伊勢の国には盗賊がおりました。
彼らは80人くらいで鈴鹿の山に住み、往来の人を襲っては物を奪って殺し、その蛮行には警察もほとほと困っておりました。

さてちょうどそのころ、水銀商人がいつものように100頭の馬に諸々の宝を負わして、鈴鹿山を通りかかったときです。この盗賊に出くわしたのです。

商人は慌てて高い丘の上に逃げましたが、財宝はすべて奪われてしまいました。

すると水銀商人は、突然、高い峰に立って大きな声で叫びました。
「遅いぞ、遅いぞ!」

すると半時ばかりして、9センチほどの大きな蜂がぶぶぶと飛んできて、傍の高い木の枝にとまりました。
それを見た商人は、いよいよ深く念じて、
「遅いぞ、遅いぞ!」
と言うと、やがて空に6メートルほどの赤い雲が現れました。

道行く人も「あれはなんだ?」と見てみれば、それは蜂の大群でした。
そして蜂の大群はそのまま盗賊のいる谷の方へ行ったかと思うと、盗賊たちを刺して皆殺しにしてしまったのです。

そうして蜂は去り、水銀商人は盗賊のいた谷におりました。
そこには、これまで彼らが貯えていた金銀財宝がありました。
商人はそれらをみな京に持ち帰り、ますますお金持ちになったということです。

実をいうとこの水銀商人、家に酒を造り置いていて、ほかのことに使わずに専ら蜂たちに呑ませて祭っていたのでした。
蜂たちはその恩を知っていたので、その商人を盗人から守ったのでした。

心ある人は恩を受けたら必ず報いるべきでしょう。
また、大きな蜂を見てもむやみに殺すものではありません。逆に恨まれてしまいますよ。

―――かくなむ語り伝へたるとや』

この水銀商人は蜂を自在に操ることができたんですね!
それにしても9センチもある赤い蜂とはスズメバチのことでしょうか?
考えただけで恐ろしい……。(笑)

 

日本むかし話『夢のハチ』 2012/06/15(金)

今日は山形県のむかし話で、『夢のハチ』という物語をご紹介したいと思います。

『むかしむかし、あるところに二人の男がおりました。
二人はいつも、山へ草刈りに行って働いていました。

ある日のことです。二人は一生懸命働いて、やがて太陽も真上に来たので昼休みにしました。
ところが一人の男はすぐに鼾をかいて寝てしまいました。

すると、その男は鼻をクンクン、クンクンさせたかと思うと、鼻の穴から一匹のミツバチが出て来て、どこかへ飛んで行きました。

しばらくすると、ミツバチはどこへ行って来たものやら、再び飛んで戻ってきて、男の鼻の中へチョロチョロと入っていきました。
その様子を見ていたもうひとりの男は、ミツバチが寝ていた男の魂に見えました。

すると男は、ムニャムニャと言いながら起き上りました。
そして、
「君、君、いま何か夢を見なかったかい?」
と聞きました。すると寝ていた男は、
「おら、生まれてはじめてあんな素晴らしい夢を見た」
と言いました。
「どんな夢だい?」

「あるところへずっと行ったら、大きな川があって、そこを渡ると丘があり、そこには真っ白い椿が咲いて、下を見ると洞窟で、入ってみると素晴らしい鍾乳洞があって、金のつららがさがっている。驚いたことにあたりは全部山吹色の金だらけなのさ!」

すると話を聞いていた男はそこそこに聞いて、草をぶちまけて目の色を変えて走り出しました。

そして教えられた通りの道順で、東へ西へ、川を渡って、丘に咲く白い椿をみつけ、そして洞窟と、ずっとたどって行くと、やっぱり目の覚めるような夢の話と同じ金がありました。
男は大喜びでそれをもぎとって売り、一躍、そこら界隈の大金持ちになりました。

ところが夢を見た本人は、どうして相手があんなに大金持ちになったか不思議でたまりません。

そして、ふと思い出したのが、あのときの夢でした。
「ああ、あいつはあの昼寝のときの話のとおりに行ったに違いない。よし、おれも行ってみよう!」
と、仕事を終えると夢の記憶をたどって行ってみました。大きな川を渡って、丘に咲く真っ白い椿の下……、すると、洞窟の中は前よりも大きく、まばゆいばかりの黄金も以前の何倍もありました。

そして、それを売って彼も大金持ちになりましたが、前の男は働きもせずあまりいちどきにお金が入ったので、栄耀栄華もつかの間、身持ちを崩していつしか没落していました。
そしてほんとうに夢を見た男は、大切なお宝を貧しい人たちに分け与えたり、村に道路を作ったりして有意義に使い、後々まで〝夢の蜂のお大臣〟と言われたそうです。』

二人とも大金を手にしたのに、使い方ひとつで結末は大きく違ったものになるんですネ。

 

ビートルズの「Honey Pie」 2012/05/24(木)

ビートルズを聞いていると、たまに「ハニー」がつく曲があります。
今日はその中のひとつ「ハニー・パイ」をご紹介します。

この作品は1968年に発表された通称「ホワイト・アルバム」に収録されています。

作ったのはポール・マッカトニー。ギターソロはジョン・レノンが担当したらしいですが、ジョンの証言によれば、
「ポールは機嫌のいいときにはオレにソロを取らせてくれるのさ」
と語っているそうです。(笑)

歌詞の内容は他愛もない……と言ったら怒られてしまうだろうか?

イギリス北部のとある町にいた「ハニー・パイ」という名の彼女が、今ではアメリカのハリウッドで大スターとなってしまった。
その恋人だった男が、
「ハニー・パイちゃ~ん!戻ってきてくれ~!」
と懇願する歌なのです。(笑)

ハニーってハチミツのことじゃなく、人の名前だったんですね。

Honey pie you are making me crazy
ハニー・パイ、おいらはもう頭が狂いそうだ!
I'm in love but I'm lazy
愛してるよ!だけど、おいらは怠け者なのさ……
So won't you please come home.
そう、だから、どうか戻ってきておくれよ~

ビートルズの曲にありがちな「だめんず」の登場です!(笑)

でもビートルズが一世を風靡した頃の男性に対する価値観というのは、男は強いもので涙など絶対に見せないという所謂「男らしさ」が美徳でした。
ところがビートルズはその価値観をひっくり返し、男の弱さのありのままの姿を描いたのです。
それは彼らが時代の最先端を進み得た、ひとつの要因だったとも言われています。

ホワイトアルバムにはもうひとつ「Wild Honey Pie」というインストルメンタル的な曲もありますが、これと「Honey Pie」との関連はないそうです。

その他「Honey Don't」や、「Ooh! My Soul」にもhoneyを連発する歌詞があったり、ポールはひょっとしてハチミツが大好きなのでしょうか?(笑)

では、You Tubeでみつけた「Honey Pie」をお聞きください。


 

シャーロック・ホームズ、晩年のお仕事は養蜂業!? 2012/05/10(木)

シャーロック・ホームズといえば誰でも知っている世界の名探偵!
イギリスの作家コナン・ドイルが書いた推理小説の主人公ですが、もちろん架空の人物です。
小説自体は19世紀から20世紀にかけて書かれたものですが、今なお映画化などされ、その人気は圧倒的ですネ!

ロンドンのベーカー街221-B、ハドソン夫人のアパートに相棒のワトソン医師と一緒に住み、その天才的な観察力と推理力で様々な難事件を解決していきます。

そんなシャーロック・ホームズですが、彼は49歳で探偵業を引退し、その後は風光明媚なサセックスの丘で隠遁生活に入ります。
そして彼はその地で養蜂をしながら、ミツバチの研究にいそしんだらしい……。
と、そのことが書いてあるのが『最後の挨拶』という作品です。

この作品は短編小説で、1917年にイギリスの「ストランド・マガジン9月号」で、アメリカでは同年「コリアーズ・ウィークリー9月22日号」で発表されたそうです。

時は第一次世界大戦の開戦直前、世界を取り巻く不穏な空気の中で、各国のスパイ達が暗躍していた時代のようです。
登場するのはフォン・ボルクというドイツ人スパイ。彼はドイツのために働き、イギリスを陥れる工作をしています。

物語は彼がフォン・ヘルリンク伯爵と会い、なにやら国家存亡にかかわるヤバイ話をしている場面から始まります。
そこにアメリカ人スパイのアルタモントから電報が入ります。その内容は「入手したイギリス海軍の暗号簿を持って行く」と。
フォン・ボルクはその仕事のためにアルタモントに支払う500ポンドの報酬を用意していました。
※当時の1ポンドは現在の円換算で数万円に相当したらしいので、仮に2万としても500ポンドとは10,000,000円!!

さて、ヘルリンク伯爵が帰った後、暗号簿の入った包みを持って現れたアルタモント。
彼は仲間が次々と逮捕され、自分の身にも危険が迫っていること、そして今回の危険な仕事に対するフォン・ボルクの待遇に不満を語ります。
フォン・ボルクはアルタモントをなだめながらロッテルダム経由でアメリカに渡ることを勧め、500ポンドの小切手を支払うとともに、例の暗号簿の入った包みを受け取りました。

ところが包みを開いてビックリ!中に入っていたのは暗号簿ではなく、なんと「養蜂ハンドブック」……?(笑)
そしてフォン・ボルクが油断した隙に、突然アルタモントは彼の顔にクロロホルムを浸したスポンジを押し付けて気絶させてしまうのです。

なぜ?と思うでしょうが、このアメリカ人スパイのアルタモントなる人物とは、実はシャーロック・ホームズだったのです!
フォン・ボルクを捕まえるために長年にわたってスパイになりすまし、その機会を待っていたのでした。

そしてフォン・ボルクが眠っている間、運転手としてホームズを連れてきたワトソンと次のような会話をします。

「だって君は隠退していたはずだろう?サウス・ダウンの小さな農園で、養蜂と読書に隠退生活を送っていると聞いていたがねえ」
「その通りさ。暇にあかせて書いた晩年の最大著作がこれだ」といってホームズはテープルにあった本をとりあげ、その表題を読みあげた。
「“実用養蜂便覧 付・女王蜂の分封に関する諸観察”独力でやったのだ。その昔ロンドンで悪人社会を監視したのと同じに、働き蜂の群れを観察したりして、昼は忙しく働き、夜は夜で深く考えたりした結果がこれなんだ。よく見てくれたまえ」

こうしてホームズはお縄になってじだんだ踏むドイツ人スパイを尻目に、彼からまきあげた500ポンドという大金をもちゃっかり手に入れたのでした。(笑)

国家間の陰謀の中で活躍する名探偵ですが、戦争という善悪がつきにくい時代背景のためか、痛快さの中に一抹のもやもや感が残る物語でした。

お時間があれば参考までに、ネットで読める「最後の挨拶」をご覧ください。ご自分で翻訳されたようですヨ!このサイトはスゴイ!
→最後の挨拶

 

日本の昔ばなし『蜂の恩返し』 2012/05/07(月)

連休明け、いかがお過ごしでしたか?
今日は昔話をひとつご紹介したいと思います。

『むか~しむかし、あるところに、とっても貧しいけれど、とっても正直な男が住んでおったそうな。

ある日、男が仕事を終えて家に帰る途中、子供たちが蜂の巣に石を投げて遊んでいるのを見かけました。
男は蜂をかわいそうに思って、子供たちに、
「ほれほれ、蜂がかわいそうでねえか。やめろ、やめろ」
と諭して、その乱暴な遊びをやめさせました。

ちょうどそのころ村の長者どんの家では、美しい娘のお婿さんを探しておりました。
長者どんが言うには、
「この屋敷の屋根から岩を落とすで、その岩を受け止めることができた者を娘の婿にしたいと思う。どうじゃ、そういう力持ちはおらんかいの?」
と、婿探しをはじめました。

すると話を聞いて、我こそはと名乗る力自慢の男が次々と長者どんの家に来ては挑戦しようとしましたが、岩のあまりの大きさに肝を潰して、
「こんなドでかい岩を受け止めたら、下敷きになって死んでしまうわい!かなわん、かなわん!」
と、ことごとく逃げ出してしまうのでした。

さて、
例の男がいつものように草を刈っていると、そこへ一匹の蜂が飛んで来て言いました。
「ぶんぶんぶん……、長者どんの岩は渋紙だ……、ぶんぶん……」
男には蜂の羽音が、そう言ってるように聞こえました。
「長者どんの岩は渋紙だ……、ぶんぶん……」
いいえ、確かに蜂はそう言っていました。

「蜂さん、それは本当かい?それはいいことを聞いたわい」
男はさっそく長者どんの屋敷に向かい、岩落しの試練を受けることにしました。

そして男は屋根の下でかまえると、屋根から大きな岩が落とされました。
次の瞬間、男は落ちてきた岩をひしと受け止めました。なるほどそれは蜂が教えてくれたとおり、大きいけれども軽くて柔らかい渋紙をまるめたものでした。

長者どんは、
「なんと度胸のあるやつがいたものだ!」
と喜んで、男を娘の婿として迎えたということです。』

なんか最初は浦島太郎に似てますネ!(笑)

 

「戦争と平和」からもうひとつ、蜜蜂の話 2012/04/24(火)

昨日はトルストイの「戦争と平和」から、ミツバチが取り上げられている箇所を紹介しましたが、今日はもう一か所、別の部分を紹介したいと思います。

第四巻のエピローグ第1篇の4の後半に、こんなことがつづられています。

『太陽もエーテルの各原子も、それ自身完成した世界であると同時に、人間に量りえられないほど巨大な、ある全体の一原子に過ぎない。それと同じように、各個人もそれ自体においてめいめいの目的をもっているが、それは人知に及ばない共通の目的に奉仕するためなのである。
花にとまっていた一匹の蜜蜂が子供を刺した。すると、子供は蜜蜂を恐れて、蜜蜂の目的は人を刺すことだと言う。詩人は花の杯から蜜を吸っている蜜蜂に見とれて、蜜蜂の目的は花の香気を吸いこむことであると言う。養蜂家は蜜蜂が花粉と甘い液を集めて、それを巣へ持って帰るのを見ながら、蜜蜂の目的ほ蜜を集めることにあると言う。他の養蜂家は蜂の生活をいっそう精細に研究して、蜜蜂は子蜂を育て女王を養うために花粉と蜜を集める、したがって、蜜蜂の目的は種の持続にあると言う。植物学者は、蜜蜂が雌雄異株の花の花粉を持って雌蕊(めしべ)に飛び移り、それに授胎するのを認めて、この点に蜜蜂の目的を見る。他の植物学者は植物の移動を観察して、蜜蜂がこの移動を助けることを知る。すると、この新しい観察者は、ここに蜜蜂の目的があると言うかもしれない。しかし、蜜蜂の究極の目的は、人知が発見しうる第一、第二、もしくは第三の目的によって尽きるものではない。これらの目的を発見する上において、人知が向上すればするだけ、究極の目的の不可解なことがいよいよ明白になるのである。
人知の及びうるのは、ただ蜜蜂の生活と他の生活現象の一致点ばかりである。歴史的人物と民族の目的もそれと同様である。(米川正夫訳)』

なんか読んでいるうちに、途中からヤダくなってしまったことでしょう。(笑)

でも昨日のブログの内容に続き、これもまた、歴史的人物と民族の目的、あるいは太陽や原子といった超ムズイ(←もう死語か?笑)命題に対して、ミツバチを例にとってつづっていますネ!

けっきょく“究極の目的が不可解であることがいよいよ明白になる”と言っていますから、いろいろ追求しても、それを考える人の立場によって見解も変わるのだから結局は分らないけど、それは共通の目的に奉仕するためなんだヨということのようですが、なんだか書いていてよく分りません。(笑)

要するにソクラテスが言った「無知の知」と似ているような……?

でも“人知に及ばない共通の目的”って何なのでしょうかね?
気になります……。ハチミツでも食べて考えましょう。(笑)

 

トルストイの「戦争と平和」に出てくるミツバチ 2012/04/23(月)

トルストイといえば世界の大文豪、その代表作はなんといっても「戦争と平和」ですネ!

実はこの「戦争と平和」、読んでいるとしばしばミツバチが登場します。
筆者が読んで一番印象的だったのが、ナポレオンがロシアに侵入し、モスクワに到着したシーン。

米川正夫訳の岩波文庫でいえば第3巻(第3部)第3篇の20に出てきます。

1812年、百戦錬磨の皇帝ナポレオンはロシア遠征を決行しますが、モスクワに着いた時、全てのライフラインの供給が止められており、街はもぬけの殻でした。
フランスを出るときは60万だった大軍も、モスクワに着いた時には11万に減っていたといわれ、栄光のナポレオンの悲劇はこのロシア遠征からはじまるのです。

ナポレオンにしてみればまさに“唖然”としたことでしょうが、その歴史的にも衝撃的な場面を、トルストイは女王蜂がいなくなった蜂の巣の様子に例えるのです。

『しかし、そのときモスクワは空であった。もっとも、その中にはまだ人がいた。まだもとの人口の五十分の一ばかり残っていた。けれど、それにしてもやはり空であった。ちょうど女王蜂のいない、死にかかった蜂の巣が空だといえるように、モスクワは空になっていたのである。
女王蜂のいない蜂の巣にはもう生命がないが、しかし表面だけの観察では、ほかの巣と同じくやはり生きているように思われる。』

さらにこのあと、女王蜂のいない蜂の巣の様子が、まるで観察でもしているかのように淡々とつづられていきます。
そして、

『ナポレオンが疲労と不安のために眉をしかめて、主税庁土塁のそばをあちこち歩きまわりながら、形式にすぎないけれど、彼の考えによると、ぜひ守らなければならぬ作法である特使の到着を待っている時、モスクワはちょうどこの蜂の巣のように空になっていた。』

と、この項を結んでいきます。

それにしてもトルストイがミツバチについて非常に詳しいことに驚きます。
それもそのはず、彼は趣味かどうかは知りませんが、家で養蜂をしていたのですから!(笑)

その後ナポレオンは、ロシア軍の徹底した焦土戦術により飢えと寒さに苦しめられ、大火で文字通り焦土と化したモスクワから総退却するのです。
この時うまれたとされる「冬将軍」という言葉はあまりに有名ですネ!

そうそう話は変わりますが、ハチミツは脳にもとても良い影響を与える食品なんですよ!
きっとトルストイは自家採取のハチミツを食べながら、執筆に専念していたことでしょう。(笑)

 

日本昔ばなし『はちとあり』 2012/04/16(月)

蜂が出てくる日本の昔話ってけっこうありますが、今日ご紹介するのは秋田県の「はちとあり」というお話です。

ハチどんとアリどんが海に出かけ、ハチどんがニシンを、アリどんが立派なタイをそれぞれ手に入れます。
タイを羨ましく思ったハチどんは、ニシンと交換するようアリどんにお願いしますが、アリどんは承諾しません。

そこで地元の奉行所で裁判を起こしますが、大岡越前もどきの迷?奉行が出てきて判決をくだします。
「アリどん、君は“九九”を知っとるかい?」
「もちろん知っとります」
「では、“二四”はいくつじゃ?」
「“二四が八(ニシンがハチ)”です」
「蜂どん、君は感謝するとき何と言う?」
「そりゃもちろん“有難たい(アリがタイ)”と申します」
と、まあ、めでたし、めでたし……???←かなり強引な判決!(笑)

ともあれこんな掛詞(かけことば)を使った(ダジャレと言った方がいいですね!)、欲張りや意地悪は良くないと教えたお話です。

でも最初にこの話を知ったとき、“九九”ってそんな昔からあったのかなあ?と疑問に思いました。
で、調べてみますと、なんと日本では平安時代に書かれた「口遊(くちずさみ)」という貴族の教科書にあるというのです!

また、戯訓(ふざけよみ)という言葉遊びで、昔から数字を九九で表現していたと言うのです。
これでナットク!

ネットで、子どものころ見ていた「まんが日本昔ばなし」の「はちとあり」を見つけましたのでお時間のある方はご覧ください!(笑)


0647 はちとあり 投稿者 nihonnotakara1983

 

葛飾北斎が描いた『蜂吹き』……? 2012/04/10(火)

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葛飾北斎といえば浮世絵の富岳三十六景等の大胆な構図で超有名な天才絵師ですね!

彼の描いた浮世絵は、ゴッホをはじめヨーロッパの偉大な芸術家たちにも大きな影響を与えたほどで、アメリカの雑誌で「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」でも、86位にランクインした日本人でもあるんです。

引っ越しすること93回、名前を変えること30回、自らを画狂老人と称して90歳で他界するまで、いくつものエピソードを残したいわゆる〝変わり者〟でもあります。(笑)

そんな北斎が残したもののひとつ『北斎漫画』―――。
江戸の庶民の様子を描いたコミカルな画風は、現代のコマ割りのマンガとはちょっと違いますが、見ていてとても愉快な心持ちにさせられます。

その中に奇術師を描いたものがあります(北斎漫画第10編)。
江戸時代は奇術のことを手妻、あるいは和妻と言っていたらしいですが、壺から人が飛び出したり、蝋燭の火から人の顔を大きく映し出したり、透明人間になったり、握った手から火炎を吹きだしたり……。(笑)

本当にそんなことができたのだろうか?とつい笑ってしまいますが、その中に『蜂吹き』という絵があります。
ひとりの町人風の男がお膳を喰いながら口から蜂を吹きだしているのです。(笑)

まあ、想像の奇術師を描いたのでしょうが、もしそんな人がいたら面白いでしょうネ!

北斎は晩年、須坂市のお隣の小布施に滞在していた時期があります。
その頃の北斎はもっぱら肉筆画を手掛け、小布施に多くの肉筆画を残しています。
「岩松院の天井絵」や「祭り屋台の天井絵」に描かれた竜の姿はまこと見事であり、現在小布施町の貴重な文化遺産となっています。

みなさんも一度はぜひ小布施に訪れてみてはいかがですか?栗菓子で有名な町ですヨ。
そうそう「了庵」というお店では、夏季限定で当場の「はちつみつジェラート」も扱っていただいております。おいし~ですよ~!(笑)

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ミツバチ映画三昧 2012/04/06(金)

今日は近年公開された養蜂やハチミツに関係する映画を3つご紹介したいと思います。

まずは2010年に製作された『蜂蜜』という作品。
製作国はトルコ/ドイツで、セミフ・カプランオール監督作品です。
6歳のユスフ少年は、森林に囲まれた山岳で養蜂家を営む父と過ごす時間が大好きでしたが、ある日、森の蜂が姿を消してしまいます。父は蜂を捜しに森の奥へ入っていきますが、その日からユスフ少年は言葉を失ってしまいます……。
幻想的かつ神秘的な森を舞台に、親と子の絆が抒情豊かに伝わる感動作です。第60回ベルリン国際映画祭金熊賞受賞を受賞しました。
http://www.alcine-terran.com/honey/

続いては2008年制作の『リリィ、はつみつ色の秘密』です。
アメリカで450万部のベストセラーとなったスー・モンク・キッドの小説を映像化した、ジーナ・プリンス=バイスウッド監督作品です。
母を亡くした14歳の少女リリィが主人公で、悲しみに暮れていたある日、リリィは3人の姉妹と出会います。実はその長女の仕事が養蜂業。そして仕事を手伝いながら、3姉妹との共同生活を描く感動のドラマです。
http://movies.foxjapan.com/hachimitsu/

最後は邦画で『ハチミツとクローバー』。
製作年度が2006年ですからもう6年も経ってしまうんですネ~。
高田雅博監督作品で、羽海野チカさんの同名コミックを映画化した青春ラブストーリー。当時はテレビドラマでも大人気でしたネ。物語は美術大学に通う5人の男女中心の青春物ですが、話の中で蜂蜜は登場しなかったような……。(笑)でも当場でもその人気にあやかって、カナダ産のクローバー蜜(商品名「クローバーミックス」)を販売し始めたのでした!(笑)
http://www.hachikuro.jp/site.html

今週末の夜は美味しいハチミツを食べながら、ハチミツ映画三昧というのはいかがですか?(笑)

 

ナポレオンの紋章にミツバチが使われた? 2012/04/05(木)

ナポレオン・ボナパルトといえば言わずと知れたフランスの英雄ですネ!

彼の紋章はナポレオンの「N」をかたどったものと「鷲」が有名ですが、たまに目にする「ローブを着た戴冠式のナポレオン」の絵をよく見ると、ローブの中に無数のミツバチがっ!
そうなんです、ナポレオンのもうひとつの紋章にミツバチが使われているのです。

実は戦いなどで臣下が功績をあげると、彼はミツバチの加紋章を与えていたといいますし(あまり評判は良くなったようですが(笑))、また、彼の所持品にはミツバチをあしらった物も数多くあります。
明らかにナポレオンはミツバチを重要視していたことが分ります。

ちなみに「蜂」のことをフランス語で「ラベイユ」というそうです。

なぜ紋章にミツバチなの?……と、きっと誰もが思うでしょう。
ミツバチは繁栄や豊穣の象徴だからと言う人もいますし、女王バチを中心としたミツバチの組織生態に国家構成の理想を見ていたからと言う人もいます。

あるいは、努力とか勤勉とか秩序というものを象徴するミツバチは、当時の聖職者や知識人の間でも好んで使われていたからと言う人もあり、なるほど3、4時間しか睡眠をとらなかったと言われるナポレオンのイメージにもピッタリあいますネ!

でも、もっと深い政治的意味合いがあったとする研究者もいます。

古代エジプト王権の文様が百合の花で、その強大な王権の中にミツバチをエンブレム(象徴的文様)とした勢力が確かにあったというのです。
ナポレオンはエジプト遠征の時、多くの考古学者や芸術家を連れて行っていますから、きっとその事実を知って何かひらいめいたのでしょうか?
というのは、百合というのはフランス革命以前の絶対王政の時代、代々のフランス王家の紋章だったからです。
そこでナポレオンはミツバチを使うことで、反フランス王政の意志と同時に、当時のヨーロッパ諸国に対し牽制していたというのです。

う~ん、なるほど!とも思いますが、本当のナポレオンの心は今となっては分かりませんネ。
もしかしたら無類のハチミツ好きだったのかもしれませんヨ~!(笑)

 

『ヴィーナスとキューピッド』 2012/04/04(水)

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ルーカス・クラナッハという画家がいます。

15世紀から16世紀、ルネッサンス期のドイツの画家ですが、息子も同じ名前なので、区別するため日本では彼の作品にはクラナッハ (父) と表記されることが多いのだそうです。

彼はドイツのヴィッテンベルクで領主の御用絵師として仕え、多くの宗教画を残しました。また、世界史の教科書にも出てきた宗教革命で有名なマルティン・ルターの友人でもあったため、彼の肖像画なども残しています。

なぜクラナッハを紹介するかというと、彼の描いた絵に蜂が出てくるからです。

「なんだ、裸の母と子ではないか!」
と思うかもしれませんが(笑)、子どもの方をよく見ると、右手に何かを持って小さな虫を追い払っているようです。

実はこれ、持っているのは蜂の巣で、怒った蜂に襲われているところなんですネ!
無造作に蜂の巣を取ればミツバチだってそりゃ怒りますヨ!(笑)

更に見ると、子どもの背中に羽根が……。

そう、描かれているのはギリシャ神話に登場するヴィーナスとキューピッドなんです。

蜂の巣を盗もうとしたキューピッドが蜂に刺されて、母のヴィーナスが「ダメじゃない!」と、お説教をしている場面なんですネ!

西欧ではミツバチは神様の使者なんだそうです。
クラナッハはこのお話をモチーフにしてこの絵を描いたのです。

それにしてもお母さんのヴィーナスは、妖艶で、かつ官能的ですネ~!(笑)

 

イソップ童話の『ミツバチとゼウス』 2012/04/03(火)

先週、ミツバチと神様の関係に少し振れましたので、今日はイソップ童話にあるもうひとつのミツバチのお話を紹介したいと思います。

「わたしらはこんなに一生懸命ハチミツを集めているのに、人間ときたら泥棒のようにみんな持っていってしまうワ!」
ミツバチは、人間に蜂蜜を取られてしまうことが悔しくてたまりません。

そこでゼウスの神様にお願いに行きました。
「どうか蜂蜜に手を出す人間を、針で刺し殺してしまえるようにして下さい!」
と―――。

ゼウスはミツバチの願いを叶えてあげることにしました。

しかしそれではあまりに人間の方が可哀想だと思ったので、
「でも刺すのは一度きり。そして刺したときにはお前たちの命もありませんよ」
と決めてしまいました。

ミツバチが人を刺すと死んでしまうのは、そんなことがあってからのことです……。

これは、仇を承知で、相手をひどい目に合わせようと考える、執念深い人にあてたお話ですネ。

 

『蜂』は春の季語―ちょ~庶民派詩人、小林一茶 2012/04/02(月)

4月ですね~!今日は春にまつわるお話です。

俳句には季節を表す季語が入りますが、「蜂」とか「蜂の巣」といえばどの季節を言うと思いますか?

答えは晩春です。

旧暦でいえば3月、現在使われる太陽暦でいえばちょうど今、4月あたりを指します。
当場のミツバチたちも、そろそろ大活躍してくれる季節の到来です!(笑)

そこで信州が生んだ庶民派詩人、「おらが春」で有名な小林一茶が詠んだ、蜂にかかわる一茶らしい句を拾ってみました。

一畠(ひとはたけ)まんまと蜂に住まれけり
辻堂(つじどう)の蜂の威(い)をかる雀(すずめ)かな
野みやげや風呂敷(ふろしき)とけば蜂の声
蜂の巣に借(か)しておいたる柱かな

一茶は信州北信地方、信濃町は柏原で生まれ、江戸時代の文化・文政年間に活躍した俳人で、俳諧の巨匠とも言われています。
巨匠といってもその感性は、実に庶民的で、筆者も大好きな文人のひとりですが。

15で江戸へ奉公に出た一茶は、25で俳壇にデビューします。そして50歳のときに故郷の信濃町に戻りますが、その後の生活も、はなから見てけっして幸福と呼べるものではなかった気がします。
しかしその労苦の中で、生涯2万句にもおよぶ句を詠み、中でも小動物を素材にした温かみのある句は、洗練された松尾芭蕉の句とは対照的に、いまなお多くの人達に優しい感動を与えてくれますネ。

蜂の巣のぶらり仁王(におう)の手首かな
蜂逃げて狙(さる)はきよろきよろ眼(まなこ)かな
蜂の巣にかしておくぞよ留主(るす)の庵(いお)
へぼ蜂が孔雀(くじゃく)気どりや花御堂(はなみどう)

まだまだありますがこのくらいにしておきましょう。(笑)
一茶にとって蜂は、ちょっぴり怖く、そしてちょっと迷惑に感じている存在だったようですね。

現在長野県の信濃町には「一茶のふる里・一茶記念館」があり、須坂市のとなり高山村には「一茶ゆかりの里・一茶館」があります。
もし行く機会がありましたら、須坂市までお運びいただき、鈴木養蜂場にもお立ち寄りくださいネ!

 

ローマとミツバチの関係……? 2012/03/30(金)

昨日の続き……。

日本では家紋として見向きもされなかった蜂が、バルベリーニ家の家紋だったとはいえ、どうしてローマで受け入れられたのでしょうか?

日本では徳川家の三つ葉葵の御紋が東京の街中で見られるなんてことは、まずありませんよね。
それでも信州の松代あたりに行けば、真田家の六文銭があちこちで見ることができますが、そのほとんどがお店や企業のマークだったり、地域振興の宣伝だったりです。(笑)

しかしローマのそれは、どうやら宗教的な考えが根底にあったように思われます。

ローマ神話でバッカスという神がいます。
ギリシャ神話ではディオニッソスと呼ばれており、彼はお酒と狂乱の神なのだそうです。なんだかイタリア人のお祭り好きを思い浮かべちゃいますネ。(笑)

実はそのバッカス、ハチミツを発見した神なのだという定説があるらしいのです。
なるほど世界最古といわれているお酒は蜂蜜酒(ミード)ですから、ハチミツとお酒の神様が結びつかない方が変ですネ。

しかもこのバッカスがキリストのモデルになったというのです。

その根拠を探ると―――、
両方とも神が人間の女性に身ごもらせた子であること、
母親が女神ヘーラーあるいは天使ガブリエルにより受胎告知を受けていること、
誕生日が同じ12月25日であること、
そして両方とも暴徒によって殺されますが再び蘇ること……、
などが挙げられます。

特にバッカスは水をワインに変えたそうですが、キリストの方はそのワインは自分の血であると言っているところを見ると、あたかもバッカスがキリストに変わったというようなことを連想させられてしまいますネ。

歴史的に見るならば、ローマ帝国においてキリスト教が国教化される以前、キリスト教は禁止され、信仰者が大きな迫害を受けた時期がありました。
もしかしたら、その間キリスト教はそれまであったローマ帝国の信仰と融合され、このような形が生まれたということも考えられます。

いずれにせよ、バッカスと蜂蜜、そしてローマと蜜蜂の関係がおぼろげながら見えてきた気がします?(笑)

 

ミツバチの紋章 2012/03/29(木)

ファイル 158-1.png

今日は蜜蜂の紋章のお話です。

日本では家紋で蜂が使われることはほとんどありませんが、ヨーロッパでは比較的簡単にみつけることができました。
その代表的なのがイタリアのローマにあります。

ローマの街を歩けば、蜜蜂の紋をいたるところで目にできるそうですが、筆者はまだ行ったことはありません。(笑)

16世紀頃に大きな影響力を持っていたバルベリーニ家は、3匹の蜜蜂をかたどった図柄を家の紋章にしました。

上の絵はミツバチでしょうか?まあ蜂には違いありませんからそういうことにしておきましょう。(笑)

1623年、バルベリーニ家の出でローマ教皇になったウルバヌス8世は、ガリレオの天動説を撤回させたことで歴史に名を残すことになった人物です。
そして彼こそバルベリーニ家の紋章である蜜蜂を、ローマのいたるところに刻み込んだ張本人なのです!

その担い手となったのがバロック美術の巨匠ジャン・ロレンツォ・ベルニーニでした。

ベルニーニといえば、
「ベルニーニはローマのために生まれ、ローマはベルニーニのためにつくられた」
と言わるほどローマとは関係の深い大芸術家です。

その作品を挙げれば、建築としてはバチカンの「サン・ピエトロ広場」や、ローマの「バルベリーニ宮」もそうで、彫刻では「ダビデ像(ミケランジェロのとは違います)」や、ローマの街にある「舟の噴水」とか「蜂の噴水」も彼の作品なのだそうです。

そんなすごい芸術家を使って蜂を広めてしまうなんて、ウルバヌス8世は超セレブだったんですネ!

 

唱歌『おぼろ月夜』の舞台で採れる菜の花蜜 2012/03/27(火)

当場で扱うハチミツで菜の花蜜があります。

実はこの蜜が採れる菜の花は、唱歌『おぼろ月夜』の舞台となったと言われている飯山市は菜の花公園に咲き乱れる菜の花が蜜源になっています。

『おぼろ月夜』といえば、あの不滅の名曲『ふるさと』を作った高野辰之・岡野貞一の名コンビによって作られた曲で、作詞をした高野辰之は、信州北信地方、下水内郡豊田村(現中野市永江)の出身です。

菜の花畠に入日薄れ
見わたす山の端(は)霞ふかし
春風そよふく空を見れば
夕月かかりてにほひ淡し

彼は師範学校卒業後、飯山市の小学校で教鞭を執っていた時期があり、その時に見た菜の花畑の美しさが忘れられず、後にこの歌を作ったと言われています。
現在なお歌唱共通教材として小学校6年生音楽の教科書に載っていますネ!長野県民にとっては最高に誇れる人物のひとりです。

ちなみに童謡の『シャボン玉』や『てるてる坊主』を作曲した中山晋平も中野市の出身で、あの宮崎駿の映画で音楽を担当し、一躍有名になった久石譲さんも実は中野市の出身なんです!
中野市って優秀な音楽家を輩出する何かがあるんでしょうか?(笑)

里わの火影(ほかげ)も森の色も
田中の小路をたどる人も
蛙のなくねもかねの音も
さながら霞める朧月夜

飯山菜の花公園の菜の花は、毎年ゴールデンウィークあたりが見ごろで、多くの観光客で賑わいます。
実際行ってそこに立てば、あたり一面まるで絨毯のように咲き乱れる菜の花の黄色は、空の青との眩しいほどのコントラストをなし、近くを流れる千曲川に夕日の赤を映す頃、おそらく高野辰之も見たであろう淡い夕月をきっと望めることでしょう。←保障はしませんが。(笑)
※4/12追記:今年は菜の花の見ごろはGW開けになるとのことです。

今年のゴールデンウィークはぜひ飯山に訪れてみてはいかがですか?
その際は須坂まで足をのばして鈴木養蜂場にもお立ち寄りくださいネ!(笑)

YouTubeでみつけた『おぼろ月夜』です。
映像は飯山の菜の花畑ですネ!
この曲を聴きながら、当場の菜の花蜜を食べるのもけっこう乙なものかもしれません!(笑)



そうそう、現在募集しているミツバチ1群オーナー権の菜の花蜜は、正真正銘この『おぼろ月夜』の舞台で採れるハチミツですヨ!

 

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