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「虻蜂取らず」の意味(二)

渡辺 碧水

 

 [「虻蜂取らず」の意味(一)から続く]
 この諺は主体が不明である。「虻蜂取らず」の「虻と蜂」をつかまえられない主が人間だと考えると、「二兎を追う者一兎をも得ず」と同じ解釈になる。ただ、その前に「なぜ、人が虻や蜂を取ろうとするのか」と素朴な疑問が生じ、説明が説得力に欠ける。
 虻や蜂を取り食べたがるものに「蜘蛛(くも)」や「小鳥」が想定される。諺の話の筋も通るので納得がいく。
 「蜘蛛」だとすれば、網を張って獲物を待ち受けていたらまず虻がかかった。食べに行こうとしたとき、同時に蜂も網にかかった。そこで蜘蛛は先に蜂を食べようと向かった。その間に虻は逃げてしまい、あわてているうちに蜂にも逃げられてしまった、という話になる。
 ただ、この解釈は理に適わない? 粘着性のある蜘蛛の巣にかかると、昆虫は脱出不可能では? 蜘蛛はあわてないでも二匹を食べる余裕があるはず? などと疑問符が付く。
 「小鳥」だとすれば、「二兎…」と全く同じ意味で、つかまえて食べようと、小鳥が虻と蜂の両方を追いかけたが、どちらにも逃げられてしまった、という話になる。同類に「虻蜂取らず鷹の餌食」(虻も蜂も取れず、なおかつ鷹の餌になる)という諺もある。「鷹の餌食」が省略されたので、意味がわかりづらくなった。この説のほうが説得力はある。
 虻と蜂の両方を追いかけていた小鳥が、追いかけるのに夢中になって警戒を怠り、自分が鷹の餌食になってしまったとなる。「欲張って二つの事柄に夢中になると落とし穴が待っている。どちらも達成できないばかりか、周囲が見えなくなり、危険に陥り、果てには身を滅ぼしてしまう」という教訓である。
 ところが、「虻蜂取らず蚊の餌食」という諺もある。虻蜂が蚊の餌食になるのは考えづらい。主人公は人間で、虻や蜂を取ろうと草むらに分け入ったら、蚊に刺されて散 々な目に遭うという解釈が妥当だ。そうすると、また前に挙げた疑問に立ち返ってしまう。
 [「虻蜂取らず」の意味(三)へ続く]

 

(完)

 

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