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ハチミツと思い出

坪山 倫

 

小学生のとき、僕が母と住んでいたアパートのすぐ近くに養蜂場があった。当時は、看板に書かれた「養蜂場」という漢字の正しい読み方がわからず(厳密には「蜂」の音読みがわからず)、僕は勝手に「ようちゅうじょう」と呼んでいた。広い敷地には雑草がボーボー生えていて、いつも人のいる気配がなかった。幼い僕はそれが何のための場所なのかは分からなかった。

ある日、母と散歩をしている時に、その広い雑草地のことを尋ねてみた。
「ここはね、ハチたちが作るハチミツを採取するための場所なのよ」
当時、僕は「ハチミツ」というものについて、漫画なんかで見たことはあったものの、実際に口にしたことはなかった。
「ハチミツ…!食べたい!」
「そっか。じゃあ今度買ってきてあげるね」
「やったー!」

それから一週間ほどが経ったある日のこと。小学校の僕のクラスにて、4時間目の国語の授業中にハチが教室に侵入する、という事件があった。2時間目と3時間目との間の15分休みにお昼ご飯を食べて、ちょうど眠気のピークに達していた生徒たちは、
「ハチだ!逃げろー!」
という活発な男の子たちの大騒ぎに一斉に目を見開き、慌てて周りを見渡し始めた。

先生が、急いでみんなを廊下に追い出す。教室には、先生とスズメバチだけが残された。生徒たちは廊下と教室を隔てる窓から、中の様子を固唾を飲んで見守っている。その時、一人の生徒が言った。
「ハチはね、二回刺されたら死んじゃうんだって」

「死」という言葉は、まだその響きを知って間もない僕の心に重くのしかかった。
「先生…!」
僕は心の中で叫んでいた。

他の生徒たちも、教室の中でただ一人ハチに対峙する先生に対してますます真剣な眼差しを向ける。

すると次の瞬間。

バチン!!

大きな音がした。先生が、脱いだスリッパで、窓にとまったハチを叩き潰したのだ。

僕は、先生が無事に「死」を免れてほっとする気持ちと一緒に、美味しい「ハチミツ」を作り出す貴重な生命が失われたことに対する残念さも、自分が抱いていることに気がついた。

僕はその授業が終わって昼休みに入ってから、教室のデスクでプリントを取りまとめていた先生のところに行き、さっきのハチについて訊いてみた。
「アハハハ」
先生が屈託なく笑う。
「あれは“スズメバチ”という種類のハチでね、君の家の近くにあるヨウホウジョウで育てられているハチとは種類が違うんだよ。ハチミツを作るのは、“ミツバチ”っていう種類なんだ」
僕はそれを聞いて、少しだけ恥ずかしくなった。

その日、家に帰ると、母がスーパーで買ったハチミツといっしょに待っていた。
「ハチミツ、買ってきたよ。食べたいって言ってたでしょ」
僕は一日に「ハチ」にまつわる出来事が二度も起こる偶然に驚きながらも、
「うん!」
と喜びを示した。

「はい、ハチミツトーストだよ」
僕は初めて口にするハチミツに、わくわくを抑えられなかった。一口食べて、
「美味しい!」
「良かったわ」
食べ終えると、当時、自分が獲得した知識を周りの人々に伝えることに快楽を覚え始めていた僕は、
「ハチミツはね、ミツバチだけが作れるんだよ。他のスズメバチなんかは、ハチミツ、作れないんだよ」
と母に嬉しそうに言った。すると母はニッコリと微笑んで
「そうなんだね。よく知ってるね」
と優しく応えてくれた。

今思えば、あの時の母があのことを知らなかったはずはない。あれは母なりの教育方針の一つの表れだったのかな、と振り返る。

その時から今に至るまで、ハチミツは僕の大好物の一つになっている。大学生になり、一人暮らしを始めてから口にする機会は減ったが、夏休みやお正月に実家に帰省したときに母特製のハチミツトーストを食べては、時々、今はもう無くなってしまったあの養蜂場のことや、教室で起こったスズメバチ事件のことなんかを思い返したりするものだ。

 

(完)

 

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