渡辺 碧水
【ヨーロッパ最後の自然養蜂家(前)から続く】
再度、映画ライター池谷律代氏の表現を引用し、状況の変貌ぶりを追う。
「…一家の主人フセインが養蜂に興味を示すと、彼女は快く蜂の育て方を教える。蜂蜜をとる際に半分は残して、蜂の生活を守ることが重要と説く。だが、彼は教えをきかず、蜜を全部とってしまった。その貪欲さはハティツェの巣にも影響し、彼女が育てた蜂を全滅させてしまう。フセインは養蜂に失敗すると、川辺の木にある蜂の巣を壊して蜜を採取する。彼は家族を養うための金を得たいだけで、悪人ではない。だが、その行動は生態系を壊してまで利潤を追求する経済活動の縮図と言える。人間の短絡的で利己的な欲望が、自然の営みに綻びをもたらすことを考える余裕がないのだ。…」(同前)
ゆったりと自然に平穏に生きる母娘の生活に激変をもたらした移住者の行為には、観客の大半が嫌悪感を覚えるだろう。
だが、無謀に振る舞う侵入者の姿は、資本主義社会の中で生産性効率性を重視し自己中心的に生きてしまう私たちの姿と重なることに気づく人も少なくないであろう。
近代養蜂の名の下で、少しでも多く、少しでも速く、蜂蜜類を蜜蜂の巣から得るために、蜜蜂たちの生態系を歪めてまでも、蜜源花を求めて移動し、発明した巣箱を使い、巧みに造った模倣巣を使い、勤勉な蜜蜂にさらに勤勉を求め過剰労働を強いる養蜂もまた、似ていることに気づかされる。
作品は三年、四百時間かけて撮影された。
ドキュメンタリーは感動のドラマを展開し、人間がもたらす残酷さを生 々しく記録し、喪失感と悲しみと怒りを観客に共有させる。
それでも、長い冬が過ぎ、山にも谷にも光が増えてくるころには、現実を受け入れた主人公がその光に再出発の希望を見出し、静かに見つめる様子に、私たちは安堵する。
印象に残るのは、主人公の信条「半分はわたしに、半分はあなたに」。
今、持続可能な社会への見直しが、そして、蜜蜂の生態と摂理を重んじる自然養蜂への見直しが高まりつつある。作品の主人公と同様に、増える光に希望を見出したい。
(完)
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