渡辺 碧水
二〇二〇年七月中旬、東京都立大学『小笠原研究年報』四十三号掲載の最新論文「小笠原諸島への養蜂の移入」を読んだ。
著者は、埼玉県さいたま市の貝瀬養蜂場主、貝瀬収一氏。「日本養蜂の歴史」を究める養蜂家研究者として知られる。
日本の近代養蜂の出発点であり核心部分である西洋式養蜂の導入については、明治期から現在まで百年以上もの間、不明確な根拠の諸説が混乱したまま伝えられてきた。
筆者も、その一端を当エッセイ欄で採り上げ、「日本での西洋式養蜂の導入」と題して、二〇二〇年六月初旬、二回に分けて寄稿している。
貝瀬氏の新論文は、同氏の執念とも言えるほど努力を重ねた探索の結果探し出した数多い客観的な事実と資料に基づき、二つの時期等(西洋蜜蜂の、日本最初の輸入と小笠原諸島最初の移入)を確証的に示した。
決定づける新史料の発見等によって、長年の諸説混迷に終止符を打つもので、画期的で説得力のある内容にまとめられている。
新論文の主旨を速報的に広く伝えるために、以下に「要約」をそのまま引用した。
「明治政府の内務省勧農局は農業振興策の一環として、明治一〇(一八七七)年にアメリカからイタリア種セイヨウミツバチ六箱を輸入し、内藤新宿試験場で飼育試験をした。イタリア種は温厚で、多収蜜である事からアメリカ、オーストラリア、ブラジルへと移入が進み、家畜昆虫として世界中に普及していった。この品種を日本でも普及させようとの意図であった。内務省勧農局一等属武田昌次は明治一一(一八七八)年九月に飼育試験済みの蜂群二群の小笠原島移入を勧農局で申請し、一一月五日に勧農局小笠原島出張所長として小笠原島父島に到着、セイヨウミツバチ二箱を小笠原諸島に移入し、同月中に飼育を開始した。」
なお、筆者も例示した、日本を代表する「日本養蜂協会」のホームページで「日本の養蜂の歴史」の関係部分の記述に当たって引用された文献の誤り等も指摘されている。定説とされ、転載されることも多いだけに、早急な修正が賢明と思われる。
(完)
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