渡辺 碧水
国際デーの一つに「世界蜜蜂の日(ワールド ・ビー ・デー)」がある。
二〇一八年から実施の運動だが、毎年五月二十日と定められている。この記念日には、スロベニア出身の近代養蜂の先駆者、アントン ・ヤンシャ(一七三四~一七七三年)の誕生日が選ばれた。
「近代養蜂の父」といえば、普通、一九世紀半ばに「ラングストロス式養蜂箱」を発明し、近代の養蜂業を飛躍的に進展させた米国人聖職者 ・養蜂家、ロレンゾ ・ラングストロスを指すが、あまり知られていなかったヤンシャが選ばれた。
この養蜂家 ・画家のヤンシャとはどんな人物なのであろうか。
アントン ・ヤンシャは、一七三四年、スロベニアがハプスブルク帝国の支配下にあった時代、アルプス南麓にあるブレズニカという小村で生まれた。生誕地で、父の養蜂場を手伝い、養蜂家として青年時代まで過ごした。そして、一七七三年、三十九歳で早世した人物である。
観点の分かれる各種紹介があるので、公的な記事二つを採り上げてみる。いずれも、前記と重なる内容は省略し、主要部分を抜粋して示す。
在スロベニア日本国大使館発行のメールマガジン『スロベニア ・マンスリー』の二〇一六年五月号、ミニコラム「スロベニアに迫る!」(二十一)は「近代養蜂の父、アントン ・ヤンシャ」の題で紹介記事を載せている。
「…彼は絵の才能にも恵まれていましたが、養蜂家になることを決め、ウィーンで学びました。ヤンシャは新たな蜂箱の設計、雄バチと女王バチの役割の定義、ソバの花のハチミツの生産技術の確立など多くの功績を残しました。また、彼は持って生まれた絵の才能を生かし、蜂箱に絵を描くスロベニアの伝統も有名にしました。
ヤンシャの評判はすぐにハプスブルク帝国のマリア ・テレジア女帝の耳に入り、インペリアル ・ガーデンのお抱え養蜂家に任命されることとなります。ヤンシャの死後、彼の著作はハプスブルク帝国内における養蜂の公式教科書となりました。…」
【近代養蜂の先駆者 ・ヤンシャ(後)へ続く】
(完)
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