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蜂蜜エッセイ応募作品

日本での西洋式養蜂の導入(前)

渡辺 碧水

 

 二〇一九年四月十六日、日本農業新聞に「日本の西洋式養蜂/一八七七年から/発祥地は新宿御苑/埼玉の男性ら二人が特定」の記事が載った。
 埼玉県の養蜂家 ・貝瀬収一氏と玉川大学大学院元教授 ・干場英弘氏が、日本の西洋式養蜂発祥の時期と場所を特定した、というもの。
 日本での西洋式養蜂の発祥といえば、西洋蜜蜂や西洋式養蜂技術の導入開始を意味し、日本の養蜂が近代化への転換を図った百四十年以上も前の明治時代にさかのぼる。
 わが国の近代養蜂の歴史と進展が説明されるとき、必ず言及される核心部分である。その発祥の時期と場所が特定されたとはどういうことだろうか。
 不明とはされていなかったので、より正確な時点が判明した、または、曖昧だった部分がより明確になったということであろう。
 例えば、日本を代表する養蜂団体の説明はどうであろうか。ホームページの「日本の養蜂の歴史」の関係部分は次のように記述されている。
 「…明治十年(一八七七年)一月、内藤新宿勧業寮出張所は、勧農局試験場と改称され、同年九月には、貞市右衛門の息子である市次郎が招かれ、ミツバチ係として研究に携わることになりました。十二月二十八日には、勧農局においては、アメリカからイタリア国種のミツバチを購求し、これを新宿試験場に飼養し、内外ミツバチの得失を試験しました。おそらくこれがわが国にセイヨウミツバチを輸入した最初のものだと考えられます。市次郎は、蜜市流の養蜂の研究と指導に没頭し、蜜源植物として、茶およびソバの蒔き付けなども行って、ミツバチの集蜜活動を観察する環境をつくりました。
 明治十三年(一八八〇)には、勧業寮から転出した武田昌次が、小笠原島でセイヨウミツバチの養蜂に着手し、数百郡まで繁殖に成功しました。…」
 この記述と、貝瀬氏による膨大な史料の精査結果や詳解とを照合し比較してみると、どんな違いがあるだろうか。時期や場所以外の記述についても検討してみたい。
 【日本での西洋式養蜂の導入(後)へ続く】

 

(完)

 

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