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蜂蜜エッセイ応募作品

「蜜ギレ」の良いボトル

熊井裕一

 

 大学生の私は生まれて初めてスーパーで蜂蜜を買った。久しぶりに眺めた蜂蜜のボトルには「蜜ギレが良い」と書いてある。意味は察しが付く。けれど生まれて初めて聞く、「蜜」と「ギレ」のコンビネーション。きっと広辞苑にも載ってない、そんな言葉であって、他では使いようの無いことば。
 とにかくその「蜜ギレ」の良いボトルとやらで、トーストにはちみつを落としてみる。ボトルを押している間だけ、蜂蜜が流れる。力を緩めれば、蜜はピタリと止まった。「なんて便利な」。感動した私は、その日から蜂蜜をいろんなものにかけてはピタリと止めて、食べに食べた。すすりにすすった。
 今になって振り返ってみれば、それは人生二度目の経験なのだ。しかし一度目のとき、私は蜂蜜が嫌いになった。味のせいではない。幼少の頃、蜂蜜を加減の分からぬ私が垂らしてしまったからである。カーペットに垂れればベトベトする。母に怒られる。一生懸命ふたりでふき取る。けれど努力の甲斐なく、そのままカーペットにシミになることもある。そういうことを何度か繰り返して、シミがぽつぽつと目立つようになった時、カーペットに負い目を感じた私は蜂蜜に触れなくなった。
 きっとこの悩みは世界共通である。、かくして広辞苑に載っていない「蜜ギレ」という言葉は生まれた。その言葉が印字されたボトルのおかげで、いま私はかつてのトラウマを気にしなくて良い事を知った。小さな子供のような無茶な食べ方をしても垂れる事はもうないだろう。しかしひとつ心配なことがある。母の元を離れ大学生になった私であるが、「蜜ギレ」に頼らずとも蜂蜜をたらしたりしないかどうか気になる。というのも、技術が進化しても人 々の能力が変わる訳ではない、そういう事が結構あるものなのだ。ただ、試してみようとは思わない。

 

(完)

 

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