青木 郁雄
私には忘れられない「甘い」思い出がある。
私が通った進学校の野球部はかつて甲子園出場も果たした古豪だが、夏休みの練習はカンカン照りの午後1時から6時までだった。3時に15分の休憩が与えられたが、その前にもトイレに行って、掃除もしていない手洗いの蛇口から密かに水をがぶ飲みしたこともあった。私は比較的体力には恵まれていた方だが、思い返すと練習が終わった時にはいつも頭に白い靄がかかっていた。熱中症という言葉がなかった時代、とにかくそうして鍛えられたことは間違いない。
とは言え、3時の休憩は待ち遠しかった。スポーツ飲料や炭酸ばかり音を立てる中、私だけ祖母に貰った蜂蜜にレモン水を混ぜ、凍らせて持ってくる蜂蜜レモン党だった。家を出る時にはボトルが膨張するほどにカチンコチンだった氷が3時にはちょうど良い具合のシャーベットに溶ける。初めシャリシャリ、ボトルを振ると氷が溶ける。飲みながらも尚氷は溶けて、最後はキンキンに冷えた蜂蜜レモンを一気に喉へ流し込んだ。フーッ、とそれぞれ違う匂いを部員たちが吐き出す頃、また練習は始まった。腹の重さが少し苦しい出陣でも、帰宅する時にはまた喉がカラカラに渇いていた。そういう青春の日 々だった。
ある日、部室で隣り合うSが休憩時に言い放つ。「俺、青木の蜂蜜レモンが飲みたくて飲みたくて、今日はずっと狙ってた。」それなら自分で作ればよいものを、私からボトルを引ったくり「うめぇ」と言い出したものだから、同期12名の口 々に回されて私には空っぽが戻ってきた。盗人たちの飲み物を少しずつ奪取して私はその日の渇きを癒やしたが、蜂蜜レモンに敵う魔法の水はなかった。甘くてすっきり、人を生き返らせる蜂蜜レモンを、なんと次の日には一人残らず持ってきた。これには驚いたが、私は王様になれた。
あれから30余年が過ぎ、娘は中学で剣道を始めた。夏、暑い道場での小休止にと、私は蜂蜜レモンを作ってあげた。たちまちに娘も信者となった。甘酸っぱい思い出は、きっと子から孫へと伝えられるだろう。
(完)
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