暇戸皇子
私が蜂蜜に驚いたのは、二〇一八年九月の雨の日のことだった。
ヨーグルトにプルーンと蜂蜜をかけて食べる家庭で育った私は、早 々に蜂蜜に辟易してしまった。辟易なんて言葉を覚える前の話だ。それから蜂蜜と私の人生との間にみぞができてしまった。ヨーグルトと蜂蜜の組み合わせに問題があったのだと思うが、いずれにせよ「食わず嫌い」の罠に十数年かかり続けることになる。
二〇一八年九月、大学二年生になった私はモスクワにいた。短期の語学留学だった。日本人のルームメイトは、紅茶同好会所属だ。彼の発案で留学の締めとしてアフタヌーンティーに行くことになった。
学生にできる目一杯の正装した四人がホテル ・メトロポールに集まった。生憎の雨で上着はびしょ濡れだったが、そんなことはどうでもよかった。
毒 々しいほど鮮やかなマカロン。ベリーののったムース。何層にもなったホットサンド。名前のわからない三段になったワゴンに乗せられている食べ物は全て紅茶を嗜むために存在している。ロシアンティーに欠かせない深い赤のジャムも添えられている。そして、名産品である蜂蜜もあった。
ラーメンをスープから飲むように、紅茶の前に蜂蜜を生(き)で舐めてみた。蜂たちの全ての努力が凝縮された味に驚いた。感動を分かち合える仲間がすぐ近くにいることがありがたく感じた。同時に、今まで蜂蜜を過小評価していた過ちに気づき、羞恥の笑みが溢れた。黄金色の蜂蜜はなんの抵抗もせず、私の罪を許した。
お土産の蜂蜜はスーツケースで暴れ、成田に着く頃には半分になっていたようだ。帰国後誰もが知っている蜂蜜の美味しさを吹聴して回った。しかし、人間は進歩と後退を繰り返す愚かな生き物だ。私は調子に乗って、蜂蜜をヨーグルトと食べてしまった。
(完)
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