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蜂蜜エッセイ応募作品

師匠と尊敬された元養蜂家(一)

渡辺 碧水

 

 蜂蜜や蜜蜂のことを知りたくて、いつものようにネット上で新聞の読み漁りをしていた時、ある話題に目が止まった。二〇一九年十一月十五日付の佐賀新聞の記事であった。
 その見出しは「佐賀と札幌をミツバチでつなぐ/亡き父の養蜂まちづくりを発信、多久島さん/実家で活動紹介、蜂蜜試食も」とあり、写真も添えられていた。
 話題に出てくる地域、南の九州佐賀県神埼市と、北の北海道札幌市とは、ずいぶん距離が離れている。このことも興味をそそられた。
 記事には、「佐賀にルーツを持ったミツバチたちが札幌の街中を元気に飛んでいる」とあり、話題の主人公、主婦の多久島和子さんは、「北海道開拓の父」として知られる佐賀藩士になぞらえて「札幌では父(城島常雄さん)のことを『平成の島義勇』と言ってくれた人もいる」と語ったとある。
 札幌市民の私は、直感的に「これは面白い物語になる」とマークした。早速、記事の内容を手掛かりに資料で詳細を追究する深読みに着手した。
 物語は蜜蜂と蜂蜜をこよなく愛する、佐賀を故郷とする親子(父娘)を中心に進行する。舞台の主な場所は札幌市都心部ビルの屋上。主な時期は平成の後期、平成二十二年(二〇一〇年)三月からの約十年間。
 物語を始める前に、親子の、出身の誇りと望郷の念とを支え続けたであろう佐賀藩士の島義勇についてふれておこう。
 二〇一八年四月、北海道神宮で営まれた島義勇の顕彰祭の集いで、「北海道は佐賀の夢と志が花開いた大地です」と、佐賀県知事が述べている。
 札幌では、島の銅像を建て、開拓の先覚者 ・父として慕い、偉業を称え、慰霊祭を毎年開いており、同年は明治維新 ・北海道命名百五十年だった。
 明治維新での貢献は、薩摩等三藩の武力に対して、肥前佐賀は知力であった。西欧の情報に精通した佐賀藩は対ロシア防衛で北海道の重要性に気づき、藩主が自ら初代開拓長官に就き、島を初代主席開拓判官に任命した。
 島の仕事は北海道本府としての札幌の建設。整然とした札幌市の碁盤目状の区画を構想するなど、島義勇は都市整備の基盤を築いた。
 城島常雄さんが「平成の島義勇」と言われたのは、こうした歴史的由縁を指していると思われる。
 【師匠と尊敬された元養蜂家(二)へ続く】

 

(完)

 

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