渡辺 碧水
【再生農地で蜜源確保(四)から続く】
二〇一五年度に発表された町内の「耕作放棄地解消に係る優良事例」には改称?「みつばち菜の花クラブ」の名で、耕作放棄地再生利用緊急対策交付金活用事業として、さらに百十四アールを解消した旨が記されている。
二〇一七年四月発行の広報『やまつり』六百七十三号には、「ガンバっている人おじゃまします」で「菊池農園」の菊池正一さんの家族が紹介されている。
二〇一七年十月発行の雑誌『季刊地域』三十一号には、益子孝一さんの「耕作放棄再生で一石二鳥『ミツバチ飼って、イチゴの交配バチも自給』」の寄稿が載せられている。
二〇一八年十月発行の広報『やまつり』六百九十一号には、「ガンバっている人おじゃまします」で「近藤農園」の近藤隆夫さん夫妻が紹介されている。この時点で、七十歳になる近藤さんはイチゴ栽培を始めてから四十二年になり、イチゴ生産者十六人のまとめ役的存在として活躍していた。授粉率を高めるために飼われている蜜蜂は、自家用蜂蜜の生産にも一役買い、友人にも分けたりしていてとても好評だそうだ。隆夫さんは、その蜜を梅干しにかけるのがとても好きだと言う。
二〇一九年十月十二日に日本に上陸した大型台風(四十二年ぶりに命名された「令和元年台風第十九号」)は、関東甲信地方や東北地方などで記録的な大雨となり、甚大な被害をもたらした。大規模災害復興法の非常災害などが適用され、東日本大震災を超えて過去最大の適用となった。
この時、福島県矢祭町の特産イチゴ農家十七軒のうち、久慈川沿いの四軒で栽培用ハウスが水につかるなどの被害にとどまり、奇跡的に壊滅的な被災からは免れた。久慈川流域から離れた地にある近藤隆夫さんの「近藤農園」は冠水から免れていた。
二〇一九年十二月十三日、NHKテレビは「台風被害を免れたイチゴの収穫進む」と題して、矢祭町の収穫と出荷の様子を伝えた。
ハウス十七棟が浸水を受けた農家は、イチゴの収穫量が前年比三割減となったものの、クリスマスケーキや年末年始贈答用などとして前月末から何とか出荷にこぎ着けていた。
このように、関係農家の並 々ならぬ努力で、二〇二〇年一月下旬現在、矢祭町のイチゴ栽培は力強く進展し続けていた。
(完)
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