渡辺 碧水
[「虻蜂とらず」の由来(五)から続く]
新海記述は次のように続く。
この説については賛否両論あったようですが、現在では主流を占め、成語大辞典(主婦と生活社)はじめ、小学館、成美堂出版、梧桐書院、あすとろ出版、集英社、ナツメ社、日本文芸社他、多くの出版社の「ことわざ辞典」にとりあげられています。
蜘蛛説について「賛否両論」があったとする具体的内容は不明であるが、虻や蜂をとろうとした主体は蜘蛛のほかに小鳥、蛙、人間だとする説もあるので、そのことを指しているのかも知れない。
新海は一九九七年当時に発行されている多数の「ことわざ辞典」を調べ上げ、蜘蛛説が主流であることを確認している。
新海記述は、次のように述べ、この話題を結んでいる。
私も大磯高麗山でアシナガバチとツクツクボウシを逃がしたジョロウグモを、八王子市小下沢ではガガンボとガを逃がしたコゲチャオニグモなどを観察しているので、金子説は十分信憑性があると考えています。
蜘蛛研究の専門家であり、蜘蛛の生態を撮影している写真家でもある新海は、複数の獲物を蜘蛛が同時に捕り逃がした現場を実際に観察したことがあり、実体験に基づいて金子の唱える蜘蛛説は信用できる、としたわけである。
ついでに加えれば、金子武雄の記述には、次のような説明も書かれている。(一部分省略)
どちらか一方だけに専念すれば、一つだけは捕らえることができたのに、両方をえようとしたばかりに、どちらも捕らえることができなかった。こんな情景を見た人間が、人の世の同じような事象に思い当って生んだのが、この諺なのではなかろうか。
どんなものでも、力を二分すれば、一つ一つの力は弱くなるにきまっている。数多くの事物を望み過ぎて、結局、獲得のところが少なくなったり、無になったりする例は、世の中にしばしば起こることである。
……人間の世の中は複雑である。虻も蜂も共にとることのできる場合もある。だからそれにひかされて、人間はなん度も失敗を重ねるのである。こうして「虻蜂とらず」という諺は、永遠に生きて行くであろう。
新海栄一は、この諺を追悼文の中で触れた。蜜蜂の絶滅と人類の滅亡の予言が脳裏をよぎる。「虻蜂とらず」の由来の探究は、藪に一歩踏み入った段階でいったん終了する。
(完)
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