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「虻蜂取らず」の意味(三)

渡辺 碧水

 

 [「虻蜂取らず」の意味(二)から続く]
 諺「虻蜂取らず」の初出は江戸時代の人情本とされ、理解の容易さからは「小鳥説」が、発想の面白さからは「蜘蛛(クモ)説」が選ばれる。他にも説があるが、国文学者の金子武雄氏が「蜘蛛説」で説明し、この解釈が主流となっているようだ。
 だが私は、やはり主人公は人間で、人や家畜にまとわりつき危害をも加える「虻と蜂」を両方とも一緒に退治しようする人が、どちらかの一つはおろか、両方とも取り逃がしてしまう、というのに親近感を持つ。
 なお、「虻蜂…」と「二兎を追う者一兎をも得ず」とは意味が異なるという説もある。
 別説の「虻蜂…」では、簡単に手に入りそうな物があるのに、少しだけ良さそうな別の物に手を伸ばし、簡単に手に入るはずだったものさえ失ってしまうようなことをいう。
 別の「蜘蛛説」によると、蜘蛛は決して「両方を欲しい」と思ったわけではない。別の虻が網にかかったとしても蜘蛛はおそらく気に留めることはなかった。より美味しそうな蜂がかかったので迷いが生じた。つまり、「虻蜂…」は「高望みをして手近なものさえ失う」や「目移りしているうちにすべてを失う」という意味で使われる。
 とすると、「虻蜂…」と「二兎…」は必ずしも同義ではない。
 複数といっても虻と蜂の両方が欲しいわけではなく、蜂が手に入れば虻は取れなくても構わない。欲を出すという意味では同じでも、「虻蜂…」は質に関する欲であり、「二兎…」は量(または異なる複数目的)に関する欲である。
 「目標を絞りきれていない」という意味では同じでも、「虻蜂…」は明らかに片方を「容易に取れる」とし、より良い方を求めている。これに対し「二兎…」は同等の両方を欲しいのである。虻と蜂では価値が違う。二兎には価値の差はない。
 「虻蜂…」は、わかりやすさからか、明治期に入り一気に西洋の翻訳「二兎…」に主流を奪われてしまった。含蓄のある意味合いを含む「虻蜂…」も末永く残したい諺である。

 

(完)

 

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