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ミツバチと共に90年――

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蜂蜜エッセイ応募作品

蜜蜂ありがとう

高東 久美子

 

 父が西洋蜜蜂を飼い始めたのは五十年程前のこと、私は小学生だった。東京オリンピックを、買い替えたカラーテレビに齧り付いて観ていた秋、妹の通っていた幼稚園で赤痢が流行り、妹も罹患した。しかし、園児全員が罹った訳ではない。抵抗力の差と医師は言った。体を丈夫にするには蜂蜜がよいと勧められ、母の実家で蜜蜂を飼っていたので蜂蜜を分けてもらっていた。飼ってみるよう祖父に勧められ、手ほどきを受けた。巣箱は少しずつ増えていった。最盛期には二十箱もあっただろうか。
 あの頃は今より自然も豊かだったし、そう強い農薬もそれほど使われていなかった。時に女王も生まれ、うっかり油断をすると分蜂してしまう。蜂団子を追いかける若き日の父の姿も目に浮かんでくる。
 二十年程は順調だったが、ある日突然全滅した。この地方に蜜蜂の伝染病が流行り、薬品散布に巡回してきた養蜂組合の職員から家の巣箱にも伝染したらしい。あんなに小さな昆虫でも父は可愛がっていたので、巣箱の中や周りに山のようになって息絶えた蜜蜂の姿にショックは大きく、しばらくは蜜蜂を飼わずにいた。
 八年程前、今度は業者から蜜蜂を購入して養蜂を再開した。けれどなかなか蜂の数は増えず、女王も思うように生まれない。冬を越すたびに巣は弱り、毎年春には新しい女王と働き蜂を巣ごと購入しなければならなかった。それでも、たった一つの道楽だからと毎年二箱ずつ購入してはいたが、一昨年、購入を止めた。自分も齢八十九歳、弱って死んでいく蜂達を見るのは切なくなったとぽつりと話した。昔と違って農薬もいろいろ開発され、どうも蜂にも強すぎるらしい。特にきゅうり農家の散布する農薬と水田のカメムシ退治の農薬は応えるようだった。蜂だけでなく、蜻蛉もバッタも野鳥さえも少なくなってきている。
 父が今でも現役で働きながら畑仕事もできるのは、蜂蜜のお蔭も大きいだろう。父は毎朝パンにたっぷりと蜂蜜をかけている。

 

(完)

 

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