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蜂蜜エッセイ応募作品

蜂蜜と母の思い出

赤堀初江

 

 私が初めて蜂蜜と言うものに出会ったのは、物心ついたばかりの幼い頃だったと思う。今のように大きな瓶に入ってすぐ手にはいるといったものではなかったと記憶している。
 
 冬に私がくちびるを荒らしていた時に、今のようにリップクリームもなく、子供が舐めて口に入っても安心な蜂蜜を母が買って塗りつけてくれた。
 
 高さが五センチほどで、直径二センチもないくらいの小さな小さな小瓶に入ったお薬のような扱いで、実際薬局で母は購入したようだった。値段も高価だったのだと思う。
 
 かすかに口に入った初めての何とも言えない甘さだった。実際私の唇の荒れが治ったのかどうかは記憶にないけれど、小さな小瓶から、少しずつ指にのせて私の唇に塗ってくれたことと、あの不思議な甘さがいつまでも記憶にある。
 
 その後は、蜂蜜に縁もなくずいぶん年月もたち、いつの間にか蜂蜜は、スーパーなどでも売られて、以前のお薬のようなジャンルではなく、嗜好品として普通に手にはいるようになっていた。
 
 リップクリームも普通に出回り、唇に塗ることもなく、たまにトーストにつけたり、紅茶に落としてみたりはしていたけれど、それほどわが家でポピュラーではなかった。
 
 それが、私が咳が止まらなかったり、喉に痛みがある時に、母が再び蜂蜜をお薬として登場させた。
 
 刻んだ大根の上にはちみつをたっぷりたらして、暫く置いておく。私の唇に塗っていた頃のように、ちょっぴりを大事にではなく、すでにそれほど贅沢品ではなくなっていたのか、たっぷりと蜂蜜をかけていた。
 
 すると大根から水が上がってきて、更 々のジュースのような感じに仕上がる。母はそれを大根あめ、と言って私に飲ませてくれた。
 
 ほんのり甘いけれど、大根と混ざった蜂蜜はさほど美味しくはなかったけれど、ほんとに喉によく効いた。
 
 唇に塗ってもらった蜂蜜から、再び鮮明に蜂蜜を認識したのが大根あめだった。
 
 どうも私のなかでは蜂蜜は、常にお薬として認識されている。そしていつも母の存在があった。私も以来喉を痛めたら自分でも大根あめを作って飲んできたし、自分の子供達にも作って飲ませてきた。
 
 母から引き継いだ優しいお薬として、いつもわが家では蜂蜜は常に常備している。
 
 母は今施設で寝たきりになってしまっているけれど、蜂蜜の瓶を見るたびに、元気だった頃の母を思い出す。私にとって蜂蜜は、常に母の思い出とともにある。

 

(完)

 

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