みんたろう
おばあちゃんはいつも私が風邪を引くとハチミツをスプーンによそってくれた。一口舐める。甘くて思わず目を閉じる。スプーンに残った一滴さえ愛おしく、世界がまろやかに見える瞬間だった。壁も机も椅子も、全部が丸くなって見えた。それはまるでおばあちゃんと二人きり、絵本の中に迷い込んだような可愛くて素敵な世界だった。おばあちゃんが死んでから、おじいちゃんはハチミツを買わなくなった。私もまた、あの魔法のような一口を口にすることはなかった。それは、私が大人になったことを表していた。世界がまろやかに見えることは無くなり、角張って見えた。私は受験生だった。効率が全て。世の中は数字で決まっている気がした。ゆっくり笑いながらハチミツを舐めるような時間は1秒たりともない。忙殺される日々の中にいる自分を、泥臭くも輝かしいと信じ込ませていた。年が明け、もうすぐ受験本番というころ、凍てつく道がいつもの通学路を歩きづらくしていた。元旦には図書館も塾の自習室も閉まっている。家にいたらダラダラしてしまいそうなので、私はおじいちゃんの家に向かった。単語帳を片手に歩いている途中、喉に違和感を覚えた。それは一瞬の出来事だった。一気に身体が熱くなり、おじいちゃんの家についた私は熱で玄関に倒れ込んだ。人生最悪の年明けだった。これから受験がすぐ迫っていて1秒たりとも時間はないというのに。こうしているうちにライバルは勉強している。人生の終わりだと思った。辛すぎる現実に涙も出なかった。気持ちが悪い。もう一生外で元気に走れないような、そんな気がした。私はいつの間にか目を閉じていた。こんなに寝たのはいつぶりだったか。夢の中はふわふわしていた。不思議な気持ちだった。目を覚ますと、窓から夕日が見えた。あまりに綺麗なその景色に驚いた。そのままボーっとしていたら玄関から誰かが帰ってくる音がした。おじいちゃん、出かけていたんだ。おじいちゃんはキッチンに行ってから、私が寝ている部屋に入ってきた。「大丈夫か、大丈夫だから安心してゆっくり寝なさい。その前にこれ。」そう言っておじいちゃんはスプーンによそったたっぷりのハチミツを私に見せた。驚いたが、黙ってそれを貰い、舐めてみる。ふわふわ浮いているみたいだった。優しいものに包まれている気持ち。まろやかな世界を、久々に見た。そしておじいちゃんの顔も久々に見た。こんなに年とってたんだ。だけどこんなに優しい顔をしてたんだ。おばあちゃんがいるみたいだ、そう思った。そして気づいた。大人になると、守りたい優しい世界が消えるわけではない。いつでもそこにあるのに無視して見えないように忙しいふりをして生きているのは自分なんだと。一旦深呼吸、甘い甘い蜜を舐めて自分の世界を作って行こう。そう思った。
(完)
蜂蜜エッセイ一覧 =>
蜂蜜エッセイ
応募要項 =>
Copyright (C) 2011-2026 Suzuki Bee Keeping All Rights Reserved.