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蜂蜜エッセイ応募作品

四等分の甘い愛情

跡部佐知

 

 火の通っていない素朴な食パンに、銀のスプーンに乗った大さじいっぱいのハチミツをお母さんに垂らしてもらう。そのあと、四等分にされている食パンの一切れを食べる。口をべたべたにしながら、私は夢中で食パンを頬張る。
 それが、小学生のころの私のちょっと贅沢な朝ごはんだった。
 朝ごはんなのにしょっぱくなくて、夢うつつになるくらい甘かった。いつも鮭と味噌汁とご飯を中心とした朝ごはんが出てきていた私にとって、朝からハチミツがたっぷりと乗った甘い食パンを食べられるのは、指折りの贅沢だった。
 お母さんは、まだ顎の小さな私のために、食パンをいつも四等分にしてくれた。
 一人で暮らすようになってから、和朝食を毎日作ることの手間がわかった。一人で暮らすこの家で焼き魚や、一汁三菜の揃ったご飯を食べることのできた朝の数は、指で数えられるほどだ。自分一人の献立の帳尻は昼や夜でも合わせられるから、朝ごはんは軽食で済ませてしまうことも少なくない。
 一人暮らしが始まって二年目の春、私は初めてハチミツを買った。ふと、昔に母が作ってくれていたハチミツの乗った食パンの味を思い出したのだ。それまでは、ハチミツはおろか食パンさえ買ったことがなかった。
 ハチミツを一枚の食パンの上に垂らした春の朝は、冬が開けたばかりで、ずいぶんと空が広かった。
 もう、四等分にしなくても一枚の食パンをまるまる食べられる私は、大人になったのだと思った。それは同時に、四等分に切り分けてくれるような相手が傍にいなくなったということを意味していた。
 ハチミツを零し落とさないように慎重に食べあげたその日の食パンは、あのころみたいにちょっと贅沢な味がした。けれど、口をべたべたにすることはなかった。
 一人暮らしも三年目にして、素朴な手料理に込められた愛情の味の意味が、わかってきたような気がする。
 きっと、相手の心や体のことを、手に取るように思いやりながら作り振る舞うものが手料理なのだ。
 だから、手料理は素朴だけれど特段においしくて、心に残る味をしている。まだ子供だったころ、四等分にされた食パンが、ハチミツの甘さが、お母さんからの愛情の味だったのだと一人になって気がついた。

 

(完)

 

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