山根三穂
休日の朝早く、まだ寝ている母を起こさないよう、そうっと起き出して部屋を出る。やや急な階段をこっそり下りて一階へ行くと、既に祖母は起きていて「おはよう」と声をかける。
「朝ごはん食べる?」
「うん、食べたい」
祖母は台所に立って、トースターを温め始め、
「牛乳あっためる?」
と聞く。
私は怠惰にも、その頃はまっていたアニメに夢中なため、
「うーん」
と考えるふりをして、キラキラ着飾った女の子たちが繰り出すキュートな技を見届けてから、
「あっためる!」
と、ようやく答える。そんなときの祖母の返事や表情は覚えていない。
「できたよ」
そんなふうに祖母が声をかけると、なんだかちょうどよくアニメも終わっていて、私は急にお腹が空いていると気づいて、食卓へ駆け寄った。小学生の私にとって、祖母の家のテーブルは少し高くて、イスに座ると両足は宙ぶらりんになった。
「いいにおい」
トースターの香ばしさが鼻を抜けると、わくわくして足をぶらぶらさせて待った。
チン!
電子レンジのなかでホットミルクが完成し、私は顔をしかめながら、カップの上部に出来上がってしまった牛乳の膜をスプーンで避ける。
「いただきます」
私はちゃんと、そう言えていただろうか。
こんがり焼けたトーストに手を伸ばしかけて、ふと祖母の顔を見る。祖母と目が合う。
「あら、忘れてた」
祖母が棚から、大きなハチミツの容器を取り出して、テーブルにどん!と置いてくれる。上部が哺乳瓶のような形で、それより下は寸胴な、黄金色のそいつが、堂々とした佇まいで目の前に現れる。
ハチミツは高価なものだと知っていた。大事に少しずつ食べたほうがいいんだなと思っていた。しかし、母は寝ているし、祖母は私から目を離している。「思う存分、かけたらいいさ」と、黄金色のとろりとしたそいつが私を誘惑する。
私は心のなかでにんまりと笑って、ハチミツをたっぷりとトーストに落として頬張る。手や口の周りがぺとっとしても、気にせず食べる。ハチミツをずっしりと染みこませた食パンをかじると、じゅわっと鋭い甘みが口内に広がり、幼心に抱いた背徳感も相まって、美味しさが頭のてっぺんまで突き抜けた。
「おいしかったあ」
振り返った祖母が微笑む。
その祖母はもういない。けれど、トーストに載ったハチミツが、朝の光を受け、てらてらと光るとき、私はきまって祖母との朝ごはんの光景を思い出しては、じんわりと心が温まるのだ。
(完)
蜂蜜エッセイ一覧 =>
蜂蜜エッセイ
応募要項 =>
Copyright (C) 2011-2025 Suzuki Bee Keeping All Rights Reserved.