辻 基倫子
私の産まれた家は店舗と住まいが同じ建物の中にあるパン屋だ。母は、冬場はガスストーブ一つを頼りに一日中寒い店の中で働いていた。そんな冬の一日の中で、午後のお茶の時間は大切な憩いのひとときであった。ストーブの上に食パンの切りそこないを載せ、香ばしい匂いがしてきたらそれにバターとはちみつをのせて食べる。その時、幼かった私はいつも母の膝に乗って、特別にはちみつをたっぷり付けてもらって頬張り、母の白衣にしがみついた。商店街の暖簾を揺らす木枯らしも、楽し気なサーカスのように見えた、こんな冬を何回過ごしたことだろう。
私が大学生になった頃、母は長年車の排ガスを店で吸い込んだことが原因か、肺ガンになってしまった。診断では手術後の経過観察と養生が必要と言われた。そんな中、新聞にプロポリスがガンに対する免疫を作る、ということが書かれていた。私はすぐにそれを注文し、母に飲ませた。その成果があったのか、母の予後の経過は順調で、その後、ガンの再発はなく元気に過ごしている。
このことがあってから、母の蜂蜜贔屓に拍車がかかり、私が結婚する時には、嫁入り道具の中にこの大瓶を持たせてくれた。母は「蜂蜜は長持ちするし、嫁に行った直後は、どっと疲れるから、これをもって行って、時々舐めて力を付けなよ。」と言った。重い瓶が割れないように気をつけてお姑さんのところで荷をほどくと、お姑さんはにっこりして言った。「ああ、蜂蜜が好きなんだね。うちも瓶でいくつか買ってあるよ。うちのもあげるよ。」そう言ってもう一瓶くれた。
二つの大瓶を前に、どうしようかと思案していたら、夫は喜びし、「今日はホットココアとパンで昼食にしよう」と言った。そこで、私がトーストしたパンに蜂蜜を付けようとすると、制して、「これはココアに入れるんだよ。」と言ったのだ。一杯のココアに蜂蜜を大匙三匙入れ、カリカリに焼いたパンには何も塗らず、ココアに浸しながら食べるという。私には、蜂蜜を溶かして飲む、という考えがまず新鮮であり、しかも、元々甘いココアにさらに蜂蜜を加える、ということが驚きの展開だった。
試してみると、甘いココアにわずかな酸味が生まれ、えもいわれぬ深い味わいになった。今では、実家のパンと、婚家の蜂蜜入りココアが作る濃厚な関係の中にすっぽり埋まって過ごしている。
(完)
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