おぐま かなみ
10年経った今でも忘れない、蜂蜜の記憶がある。
1月31日、小学6年生だった私は中学受験を控えていた。来たる受験日、2月1日のために、小学1年生の時から毎週欠かすことなく学習塾に通って必死に勉強をした。今振り返っても、人生の中で最も必死に勉強した時期だったのではないかと思う。憧れの女子校に入りたくてたまらなかったのだ。
人は本気になればなるほど緊張する。1月31日の夜に小学生の私を覆った不安と緊張は、人生で初めての、お腹の底から冷え込むような感覚だった。ベッドにもぐりこんだとき、自分の身体の周りの空気がピンと張りつめきっていて、鼓動だけが不自然に大きく響いていたのを今でも鮮明に覚えている。「これまで、こんなに努力したんだから、絶対に合格できるはずだ」と自分に言い聞かせるほど、得体の知れない不安は大きくなり、息が詰まって目が冴えた。
試験の日は、朝早く起きなければならない。「脳の活動は起床後4時間経ってから活発になるので、試験の4時間前には起きるように」という塾の先生からのアドバイスを守り、午前9時30分の試験開始から逆算して、5時30分に起きるのだ。8時間の睡眠を確保できるよう、21時30分には就寝していたいところだったが、その日の私には難しかった。目を閉じても眠れる兆しは一向になく、「寝なきゃいけないのに」という焦りだけが大きくなった。
そんな私を不安から救ったのが、母がつくってくれた蜂蜜入りのホットミルクだった。普段の母は、ホットミルクに蜂蜜を入れない。でもその夜は、温めた牛乳に1周、2周と蜂蜜を回し入れて、「眠くな~る、眠くな~る」とおまじないをかけながら、スプーンでゆっくりと混ぜた。母のおまじないは実に効果的だった。一口飲むごとに、優しい甘さが私の不安をじんわりと溶かし、そのあと私はすぐに眠りについた。あの時、母の蜂蜜がなかったら、私は合格していなかったのではないかと今でも思う。
それ以来、私は節目ごとに蜂蜜の魔法を頼ってきた。大学受験の前夜、就活の最終面接の前夜、大事なプレゼンの前夜、実家を出る日の前夜、結婚式の前夜。金色の糸がゆっくりと、白い背景に溶け込んでいくのを見つめて、「眠くな~る…」と呟きながら蜂蜜を溶かすたび、私の不安も一緒にほどけていく。この先何回、私は夜に蜂蜜を溶かすのだろう。自分だけではなく、大切な誰かのためにも。向き合う不安の数だけ、その甘さを楽しもうと思う。
(完)
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