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蜂蜜エッセイ応募作品

ハチミツ愛

池之上あひる

 

 小学六年生の孫が好んで飲むハチミツ紅茶、母親である私の長女がストアーで買ってくる粉末を孫がお湯で解いて飲んでいる。
 甘いその香りは、私のある記憶を、よみがえらせた。
 満開のレンゲソウのなかにたたづみ、ハチミツを集める養蜂家の姿だ。
 実際には見たことのないその姿は、私のあこがれで、何度も夢に見た。
 出水郡野田村に住んでいた母方の祖母の家には、広い水田があり、レンゲソウを植えていた。
 毎年そのレンゲソウのみつをもとめて、養蜂家が来るのだと祖母から聞いていた。
 高校教師だった私の父は私が幼稚園に入る前に緑内障の手術のため入院していた。
 その時、私は母方の祖母に預けられた。
 ぜんそくもちの私はよく熱を出し、祖母はハチミツをお湯で解いて飲ませてくれた。
 母も身体が弱かったので、度々祖母に預けられた。
 私は中学時代まで夏休み冬休みはほとんど祖母の家で過ごしたが、養蜂家が来る時期にはタイミングが合わず一度も会ったことがなかったがそれがますますあこがれの気持ちを強くした。
 祖母は幼い頃に母親を亡くし後妻に入った母親は素行の悪い人で、愛情に恵まれず、あまり笑わないし愛想も悪い人だったが、孫の私は大事にされていた。
 口下手ではあったが愛情は感じられた。
 祖母はレンゲソウのハチミツを買って私の家に送ってくれていた。不器用な祖母の愛情表現だったのかな?と今は思える。
 毎年届くレンゲソウのハチミツがどれほどありがたいものだったかは、私がおばあちゃんと呼ばれるようになってから知ることができた。
 すでに他界した祖母に感謝の気持ちを伝えるすべもない。
 不器用な祖母に育てられた私の母も無愛想で口数も少なかったが料理やお菓子作りは上手かった。
 ハチミツ入りの果物のゼリーやケーキなど自慢だった。
 祖母が認知症を煩い、介護をめぐって母の兄弟と争いになり、祖母の家には行きづらくなり、ハチミツもとだえ、養蜂家のこともしばらくは忘れていた。
 時代の流れと共に親子関係も変わってきたが、長女に元気を出してほしいときは私がハチミツの飲み物出してやり、長女が孫にハチミツの飲み物を、教えた。
 これからも、ずっとハチミツ愛はつながっていくことだろう

 

(完)

 

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