碧魚 まり
「これは、特別な蜂蜜やからな。」
そう言って遠い親戚のおじさんは、わたしにスプーン一杯分だけの蜂蜜を差し出した。まだ小学生になって間もないわたしと祖母で田舎の曽祖母の家に泊まりがけで訪れていたときのことだ。
とろりと重量感のある蜂蜜。普段食べていた蜂蜜よりもずっと甘い、濃厚な一口。口の中から消えてもなおその存在感を放ち続けていることに、幼いわたしは衝撃を受けた。
「もうちょっとだけ、食べたい。」
そうねだったが、
「これは小学生にはまだ早い蜂蜜なんや。」
そう言って、おじさんはもう瓶の蓋を開けようとはしなかった。聞けば近所の養蜂場からもらった、採れたての蜂蜜なんだと言う。
今思えば、1歳未満の乳幼児に蜂蜜を与えると乳児ボツリヌス症を発症する恐れがあることから、小学生とはいえ幼い子どもに生の蜂蜜をあげるのはあまり良くないと判断したのだろう。
しかし、もちろん当時そんなことを知らなかったわたし。
きっと独り占めしたいから、くれないんだろうな。
とうらめしく思っていた。
パンにはバターと蜂蜜。喉が痛いときにも蜂蜜。我が家にとって、身近な存在だった蜂蜜。社会人になり実家を出て一人暮らしを始めたときには、蜂蜜は家にあるものではなく、わざわざ買わなければいけないものとなった。しかし一人では食べきれないので買うこともなく、蜂蜜とは少し疎遠になってしまう。
そんなときだった、旅行先で入った蜂蜜専門店で様々な蜂蜜を見かけたのは。
食べ比べをさせてもらい、一口に蜂蜜と言っても花によって随分甘さの種類が違うことを知った。微妙に違う黄金色を味わいながら、そういえばかつてとても美味しい蜂蜜を食べたことがあると思い出した。
記憶とは不思議なものだ。20年以上思い出さなかったのに、突然あの日の蜂蜜の味と驚きがぶわりと鮮明に蘇ってきた。スプーン一杯だけだったからこそより記憶に刻まれていたのかもしれない。
あれは何の蜂蜜だったんだろう。
聞いておけば良かったが、もう曽祖母も亡くなりあの家を訪れることもなくなった。あのおじさん、元気にしているだろうか。消息も分からないし確かめることは難しそうだ。
あの蜂蜜との再会を求めて、旅行先で見かけるたびにどこのだろう、何の蜂蜜だろう、と貼られたラベルをまじまじと見つめてしまう癖は、この先治りそうにない。
(完)
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