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第8回 蜂蜜エッセイ応募作品

蜜な日々

彩川陽子

 

 夫と見合い結婚をしたのは、大学を卒業して腰掛け程度の就職をした頃であっただろうか。昭和五十六年三月には今の西東京市の小さなアパートで一緒に暮らしていた。
 当時、一世帯当たりの平均貯蓄額は一千二百九十一万で、中央値は四百万であったとか。二人合わしても中央値を満たしていたかどうか自信がない。二人で「平均なければ中流とは言えないよね」と笑いながら、年々上昇する平均貯蓄額を追いかけていた。
 それを超えたのが、夫が転職をして五、六年たったころであろうか、娘も生まれていた。
 この娘が小学校に上がるのに勉強部屋を持たせてやりたくて、埼玉県の入間市に2LDKの新築マンションを買ったのが、バブル崩壊が始まったころだった。結局マンションの価格は三分の一、四分の一になってしまったが、娘は大学を卒業して、日本を代表するような一流企業のシステムエンジニアとして就職し、寮に入るべく家を出て行った。
 娘は就職して十七年目になる。練馬の、遠くにスカイツリーの見える3LDKの新築マンションを購入して、結婚し、二人の孫がいる。
 結局、私たちの子供は娘一人だけだった。私のメンタルの病気の発症もあったので致し方ないと思う。
 夫の心臓に難病の疾患があるのがわかったのが、十三年前、夫五十八歳の時である。当初、十年は持たないと言われた。七十はないとも言われたが、再来月には七十二になる。かなり高名なお医者サマらしいが、当てにならなかった。その後、点々と医者を変わったが、最後のお医者には地方の医学部の教授になられて転勤するまで、「この心臓なら寿命を延ばしてあげられる」との言葉通り、十年以上もお世話になった。ドクターショッピングはするものである。
 夫は会社の重役の仕事を七十までやると豪語していたが、病のため六十一の手前でリタイヤした。努力家の夫は、今までの自分の仕事の集大成であると、ファイナンシャルプランナーのCFPの資格に挑戦し始めた。
 病を押して、試験の前後はホテルをとって調整しながら、六個の全科目に合格していった。最後はファイナンシャルプランナー一級にも合格した。
 朝起きると夫は、お気に入りの薄い緑の花柄の器に、バナナをスプーンでカットし、ヨーグルトをかけ、たっぷりの蜂蜜をかけて召し上がる。これが我が家の富と幸福と平和の象徴である。

 

(完)

 

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