如月 七日
独身で非正規雇用で一人暮らし。血縁や親族とは縁薄く、四十歳に近づくにつれて不定愁訴も少しずつ出てきた。結婚は一度懲りて、職場は最低賃金すれすれの時給で既婚女性ばかり。どこからどう見ても、私は立派に「貧乏」である。家賃と光熱費・通信費を確保して、食費と日用費を切り詰め、雑誌や本は図書館で読み、基本的に自転車と徒歩で移動する。そんな私の、唯一と言っていい贅沢が、はちみつだ。
生活費の中で一番削りやすいのが、私にとっては食費である。もともと小食で胃腸も弱いので、毎日の食事は米と野菜の味噌汁があれば事足りる。職場には当然弁当持参だし、外食は年に片手で数えるほどしか行かない。こった料理はしないし嗜好品も多くは摂らない。なのに、私の台所にはいつもはちみつがある。
毎日はちみつを使うわけではない。休みの日の朝食のトーストや紅茶に少し垂らしたり、喉の調子が心配な日にひとさじ舐めることが主な使い道だ。その、はちみつとのひとときが、私の心をしっかり潤してくれている。
ガツンとした砂糖の甘さも好きだった。疲れている時に菓子類を食べるとホッとするし、若い頃はお腹いっぱいケーキやチョコレートを食べたいと思ったこともある。が、貧しさ故の長年の粗食が原因か単なる加齢か、だんだんと私の体は強く重い甘さを楽しめなくなり、自然に行きついたのがはちみつだった。
花によって味が違うという奥深さや、あたたかい紅茶の中にやわらかいもやとなって溶けていく姿。いつものトーストを簡単にちょっといい」ものにしてくれる金色の不思議。痛む喉を通る時、誰よりも何よりも優しく患部を労わってくれる見えないやわらかな手。様々な表情を見せてくれるはちみつ。
はちみつとの時間は、私は何を頑張ることも装うことも偽ることもしなくていい。自分だけのために、はちみつを愛おしむ。なるべく静かな場所で一人ひっそりとはちみつを楽しむ。はちみつの優しく儚い甘さは、雑音や情報過多な液晶画面にはかき消されてしまうから。一人だから、貧乏だから、このひとときを私は余すことなく享受している。
はちみつは、他の甘味料に比べて安価であるわけではない。日頃から食費を削っている身で、贅沢だろうとも思う。しかし、この贅沢のおかげで、私はおそらく「自分を大事にする」という生活や人生のボーダーラインを保っている気がするのだ。
(完)
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