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第7回蜂蜜エッセイ優秀賞作品

黄金色の証

鈴木 華子

 

 いつも泣くのは決まって電車の中だ。有難いことに前の席に座っている人が心配そうに見てくれるが、その時は優しい目線だって心を抉る。友達と喧嘩したとき、先生に怒られたとき、それでも私は電車に乗って家に帰る。そして、電車の中で一人になったときに涙が溢れる。目の前の広告がぼやけて、マスクが濡れる。泣きながら家に帰り、キッチンの扉を開けると、キラキラと太陽に反射する瓶があった。その中には、黄金色のとろっとした液体がたっぷり入っていて、思わず私の頬が綻ぶ。見ただけで口の中に広がる、蜂蜜の甘い味に誘われ、私は5年前を思い出していた。
 「来年の正月は一緒に過ごせない」
 そう言った父は、いつも通りの父だった。長年患っていた肺癌が脳に転移し、もう長くはない。冷静で、口数が少ない父が発したとは思えない、非現実的な言葉を、15歳の私は受け止められず、図書館で、インターネットで、癌の治療法を血眼になって調べた。怪しい商品の宣伝も鵜呑みにし、父親に話した。しかし、父は首を横に振るだけだった。それに加えて、末期、父は頑なに病院での治療を受けず、白米を玄米にし、野菜中心の生活にし、そして、砂糖を蜂蜜に変えた。私は、蜂蜜も玄米も嫌いになった。
 当時、父に怒っていた。右半身が動かなくなり、呂律が回らず、筆談しかできなくなった父親を見て、私は涙を堪えながら呟いた。
 「蜂蜜で癌を治せるはずない」
 父は、少し驚いた目をした後に、紙に文字を書いた。そこには
 「ここが幸せ」
 という震えた手で書かれた文字があった。顔を上げると、初めて見る父親の涙があった。堰が切れたように、私も泣いた。今まで我慢していた分、涙が溢れて止まらなかった。父は、病院で管に繋がれながら長生きするよりも、できる範囲で命を永らえながら、私たち家族と共にいることを選んだのだ。父にとって蜂蜜は、私たちとの時間を大切にする約束だった。それから、私は毎朝パンに蜂蜜を塗って、父の隣で食べ、学校へ出かけた。父は話すことはできなかったが、学校であった嬉しいこと、悲しいこと、全部話した。
 そんなある日、学校から帰ってきた途端、母からすぐに父の部屋に行くようにと伝えられた。その瞬間、全てを悟った。冷たくなった父親を呆然と見て、その場にいることに耐えられず、私は家を飛び出して電車に揺られた。嗚咽混じりの涙が止まらず、前の人が心配そうに私を見る。ぼやけた車窓から田園風景が流れていくと、口の中に蜂蜜の甘い味が広がり、ハッとした。私には、優しい母親と元気な妹がいる。そして、この味が口の中から消えない限り、父親も側にいてくれる。私は電車を降りて、玄関の前で涙を拭き、母親の腕の中に飛び込んだ。
 5年経った今も変わらない。悲しいことがあっても、電車に揺られた後、家に帰り、朝、家族と一緒に蜂蜜をたっぷり塗ったパンを食べると、父と過ごした時間を思い出す。そして、涙を拭いて、玄関を開ける。「いってらっしゃい」そう声が聞こえた気がして、後ろを振り向くと、机の上に仕舞うのを忘れた蜂蜜の瓶があった。日光に照らされ、きらきらと輝く蜂蜜は、父親が私たちを大切にしてくれた証だ。頬が緩んで、前を向く。太陽で輝く雨上がりの空の下、口の中の甘い味を噛み締めて、私は大きな一歩を踏み出した。「いってきます!」

 

(完)

 

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