門歩 鸞
幼少の頃、心臓病の手術をして以来、母からは体にいいからあれもいい、これもいいといろいろなものを口に入れさせられた記憶がある。
その中でもとりわけ思い出深いものが、らっきょうの蜂蜜漬け。
カレーライスが食卓に出るときはもちろんのこと、普段の食事の時もシャリシャリ、らっきょうを食べるのが当たり前の光景になっていた。
私自身、らっきょうそのものはそれほど好きではなかったが、蜂蜜の甘さがそのグロテスクな食感と味を優しくしてくれたような気がする。
いつしかそれは、いつまでも変わらぬ母親の味として、私の体や心を滋養し、溶け込んでいった。
結婚してからも、母は何かと差し入れをくれた。もちろん、あのらっきょうの蜂蜜漬けも例外ではなかった。
そんな母も長い闘病生活の末に68歳でこの世を去った。
母の遺品のほとんどは着物や食器類ばかり。
口に入れるもので残されていたのは、1年前にもらってそのまま自宅の冷蔵庫の奥にあるらっきょうの蜂蜜漬けだけ。
家族の誰も口につけずそのままになっていた。
冷蔵庫の中から瓶を取り出す。
1年も経っているからもう無理かな。
そう思いつつ、おそるおそる中身を一粒スプーンですくい、口の中に入れてみる。
おや……思った以上にいける。
長らく蜂蜜に浸かっていたので、硬さも味もいいあんばいになっている。
普段は口にしない妻もそばにやって来てひとつまみ。するとまたひとつまみ。食わず嫌いもあったのだろう。今ようやくお気に召したようだった。
そんなある時、いい年にもなって再び母の味が恋しくなり、瓶の蓋を開けてみた。中を見ると、なんと残り数えるほど。少々ショックを受ける。
そうだ! 妹もたくさん母からもらっていたはず。
すぐに連絡を取ってみると、うちではほとんど食べないから、瓶ごと全部あげると言ってくれた。
楽しみに待っていると電話の音。妹からだ。しかし彼女の声は沈んでいる。
なんと家から持ち出した途端、瓶を地面に落として割ってしまい、中身は全部パーになったのだという。
ああ、なんてこと。母の思い出の味が次々と僕の口から遠ざかっていく。
生前にもっと心して味わうべきだった。
後悔先に立たず。
今でも我が家の食卓では、蜂蜜は欠かせないものとなっている。
特にヨーグルトに混ぜて食べるのは毎日の習慣ともなった。
健康を取り戻せたのも蜂蜜のおかげだと今でも思っている。
母との思い出も重なり、その存在は日増しに大きくなっている。
自分の心と体を成長させてくれた蜂蜜。
亡き母や家族、そして美味しく安全な蜂蜜をつくってくれる養蜂家の皆様への感謝の気持ちを表したい。
そんな思いだけでここまで書き進めてきた。
ありがとうございました。
(完)
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