ナイショの子
塗ってよし、溶かしてよし、そのまま一口食べてよし、子供の頃から蜂蜜の虜だ。とりわけ一口パクッと派の私は、8歳の夜、母の差し出す一匙のマヌカハニーを初めて食べて衝撃を受けた。当時の感情は筆舌に尽くしがたいが、なんとか言語化するならばモッタリとした舌触りで、普段食べる蜂蜜とはまた違った濃厚な味わい、最初に優しい甘みが口の中に広がり、芳醇な香りが鼻腔を抜けていく、といったところか。とにかくそんな間怠っこしいの無しで美味しすぎた。
「この蜂蜜は高いから、ちょっとずつね。」
と言う母の言葉も宇宙の彼方、その夜から私のナイショの一匙が始まった。深夜にフッと起きては一匙、夕飯前に目を盗んでは一匙、時には登校前に一匙、パクッと食べてはスッと消えていく美味しい美味しい蜂蜜、体感よりも早いスピードで瓶の中身は減っていった。流石に半分くらいになったところで母にバレて大目玉をくらい、愛するマヌカハニーも隠されてしまった。一休さんにも似た話があったが、とんちもいんちきもない幼い私は只々打ちひしがれた。とはいえ、そこからは発見もあった。隠れてコソコソ食べるナイショの一匙も背徳の味だったが、偶に貰える母からのゴホウビの一匙はどうしてだか自分にとってはベストタイミングで、カクベツの一匙なのだと気付いたのだ。例えば試合で負けた日の夜、ホットミルクの中に、例えばテストの日の朝、トーストの上に、例えば何でもない日、木の匙で。毎日でも食べたいマヌカハニーは、ここぞと言う時にとてつもないエネルギーを与えてくれるのであった。不思議なのは、私が話してもないのに手に取るかの様に、絶妙なタイミングで、絶妙な量を母がくれることだ。今になってどうしてと聞いてみるが、「あんたは分かりやすいからね。」と笑うだけで明確な答えは得られなかった。これも親の成せる業か。今でもその謎は解けていない。
月日は流れ、自分で稼ぐようになり、幼い日を懐かしみながらネット通販を見て目玉が飛び出た。当時の母の怒り様も納得だと苦笑い、ナイショの一匙は今ではゴホウビの一匙になった。もちろん、実家にも時々マヌカハニーを送る。
「今は食べ放題で喜んでるんじゃない?」
「いえいえ、貧乏なので大事に食べております。」
あの日の話は今では家族の笑い話。
そんな母が父に隠れてナイショの一匙をしていたのは、また別のお話……。
(完)
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