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ミツバチと共に90年――

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蜂蜜エッセイ応募作品

難解な味と、語らないやさしさ

ミュ!

 

 プロポリス。初めてこの言葉を知ったのは、私がまだ4歳の頃だっただろうか。プロポリス。小さな私には、不思議で、面白い、変な響きの言葉だった。この言葉との出会いには、祖父とのちょっとした思い出話が関係している。
 さて、私の祖父は、口で優しさを語らない。背中で語るような、そんな人だ。ちょっぴり無口で、多くを語らない人だけれど、たまに電話をすると、直接は言わないまでも、嬉しそうなのが全力で伝わってくる。その声を聴くと、ああ、愛されているなぁ、と私までうれしくなってしまう。
 祖父は素直じゃない。だから、母にも私にも軽口も叩くしちょっぴり口も悪い。でも、久々に祖父と会った後、祖母がこっそり教えてくれた。「元気そうでよかった、会えてよかった。」と、お酒を飲んで泣いていたってこと。やっぱりこっそり優しい人だなぁとしみじみ思った。
 プロポリスの話に戻ろう。祖父は飴が大好きだ。私がまだ小さなとき、よくお気に入りの飴を持ち歩いていて、会うたびに私にくれた。祖父は甘党だから、甘い飴がほとんどで、祖父に似て甘党の私はそれが大好きだった。それに、小さなときから喉が弱くて扁桃炎になりがちな私は、大人からよくのど飴をなめさせられていたように思う。すーすーするのど飴のおいしさがまだわからなかったから、祖父の甘い飴のおいしさは際立っていた。
 そんな私が、またのどを痛めた時のこと。祖父が、いつもと違う飴をくれた。なんの飴?
 と私がきくと、「プロポリス」。プロポリス、そう一言だけいって、何の飴なのかも何にも説明しないまま、昼寝を始める祖父。当たり前だが、当時の私には喉にいいなんてこと知る由もない。(やっぱり祖父は口で優しさを語らない人であった。)プロポリス、変な響きであった。響きが面白くて、ご機嫌のまま飴をなめた私は、じわじわとその不思議な味に驚いた。いつも甘い飴をくれていた祖父が、子どもの私にはあまりにも難解な味の飴を寄越してきたのである。変な名前で、変な味。プロポリスとの出会いは何とも言えないものだった。でも確かに、あの時私の喉の痛みは少しずつ和らいでいった。それもまた不思議なことに思えて、それから私は祖父と会うたびにプロポリスキャンディをねだった。難解な味ではあるけれど、なんだか不思議と癖になって、いつの間にか私のお気に入りになっていた。
 そして、今でもプロポリスキャンディは私のお気に入りの飴である。あんなに弱かった喉も、成長するに伴ってか、プロポリスキャンディの効果もあってか、そうそう痛めることもなくなった。最近は、時勢のこともあって、なかなか会えない祖父だけれど、お店でプロポリスキャンディを見るたびに、祖父との記憶がよみがえる。そして、たまには電話でもして、祖父の嬉しい声を聴いてみようと、祖父の優しさを思いだすのだ。

 

(完)

 

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