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蜂蜜エッセイ応募作品

はちみつれもん

和田 美祈

 

「それまだ漬かってないかもよ」
はちみつれもんの入ったタッパーを冷蔵庫から取り出す私を見て、母が言う。
「別にいいよ」
いつも通り、そっけない返事をする。
実家の台所にはちみつが溢れ始めたのは、母が癌を発症した七年ほど前からだ。それまでは口にするものについて深く考えていなかったが、オーガニック食材の使用や減塩、そして砂糖のはちみつでの代用等をするようになった。特に「酸化」には敏感になり、薄く輪切りにしたレモンをはちみつに漬け込んだ、抗酸化作用のある「はちみつれもん」を、よく母が作るようになった。とはいえ、母がそれを使うのは、紅茶に入れたりヨーグルトやパンケーキに乗せたりする程度であったため、私が帰省した時に消費しなければならないのだった。
大学卒業後に実家を出て一人暮らしをすると話した時、母は大反対した。「癌の私を置いていくの?そんな冷たい娘に育てた覚えはない」と。転勤の多い仕事に就いたのは、仕事内容に惹かれたことが最大の理由だったけれど、実家を出たい気持ちもあった。見合い結婚の両親は昔から仲が悪く、一方で結婚十年目にようやく生まれた一人娘に、専業主婦の母はたくさんの愛情を注ぎ、徐々に依存するようになった。そんな母をいつからか私は反面教師のように見るようになり、自立する術を身に付けるようになった。
それでも最低月に一回、愛犬が病気に罹った時は毎週末、帰省していた。実家から戻る日、母は「お休みあっという間だったね、寂しいな」とよく口にしていた。「社会人なんだからいつまでもこうしていられないよ」と、尤もらしいことを口にし、それ以上感情に訴えられることから逃げていた。
そんな生活も四年目に入り、愛犬の死やコロナ禍といった悲惨な出来事は起こったが、母の癌の再発はなく、新たな生活が安定してきたと思っていたある日のこと、母は脳出血で急逝した。実家の冷蔵庫には、はちみつれもんがなかった。いつも私の帰省に合わせて作っていたのか。
はちみつの瓶一つ見ては、開かなくなった瓶を二人で笑いながらなんとか開けたことを思い出すように、母との思い出は数えきれない。二十五年もあったのに、愛情に溢れた母となぜ素直に向き合えなかったのだろう。後悔はしてもしきれない。けれど、今自分にできることは、その気持ちに何十年もかけて向き合い、そして健康に生きることだろう。冷蔵庫にはちみつれもんを忍ばせながら。

 

(完)

 

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