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復活後、イエスは巣蜜も食された?(五)

渡辺 碧水

 

 【同タイトル(四)から続く】
それ以降は、時代的世相をも反映されるようになったのか、分裂によって教派が多数生じ、それぞれが独自の聖書を発刊するようになったためか、改訳ごとに徐々に「蜜房」が除かれ「焼き魚」だけが残る記述のものが世界的に増えたのだという。
こんなうがった説もある。初期のキリスト教徒は、「イクトゥス」などと称する、弧をなす二本の線を交差させて「魚」を横から見た形に描いたシンボルやエンブレム(象徴画)を用いた。迫害から逃れ、互いを確認し合う隠号でもあった。改訳者は、その「魚」を強く印象付けるために、蜂蜜は除いたほうが効果的と考えたのだろうというもの。
その他、諸説多彩。
ルカ書の当該聖句の並行記述が他文書にないことも、掘り下げを難しくしている。だれもが、最初から「焼き魚」だけだったと思い、蜂蜜のことなど少しも思い浮かべないであろうと予想されるからである。
また、聖書を構成する各文書を詳細に対照してみれば、『聖書』によって蜂蜜に関する当該聖句の有無が問題視される箇所は他にもあり、たまたまこの箇所だけが指摘されたにすぎないかもしれない。
いずれにせよ、渡辺孝が述べているように、当該場面で食べ物「焼き魚とハチミツ」が登場することには、何か特別な宗教的意味があつたと思われる。
以上の程度で、私には既にお手上げなのだが、もし復活後の姿をイエスが実証して見せる場面でなかったら、もし食べ物が「焼き魚とパン」であったなら、改訳を重ねる過程で当該記述が変更されることはなかっただろう、と思うのである。
いろいろな意味合いで、「パン」ではなく「蜂蜜(蜜房)」であった点に、聖書利用者に違和感を与えないようにと、改訳者の配慮・忖度が働いたのではなかろうか。
渡辺孝は願いを記している。「新旧両約聖書の養蜂資料としての価値を大いに尊重する私としては、改訳の際には、ぜひ原典どおりハチミツという訳語を入れていただきたいという気持ちです」と。
同感である。蜂蜜の効能が高く評価される今日だからこそ、次の改訳では、原典に戻って「…イエスは『ここに何か食べ物があるか』と言われた。そこで、焼いた魚と巣蜜をそれぞれ一切れ差し出すと、イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた」と述べられれば、聖書の教えが一層深まると思うのである。
以上の私の取り組みは、少なくとも話題提起にはなったと思う。読者・識者による多くの補訂や論議を期待するところである。

 

(完)

 

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