にゃんママ
祖母や曾祖母に合わせて焼魚や煮物が食卓の中心だったせいか、蜂蜜というのは子供の私にはどこか洋風なものに感じられた。台所ではなくてキッチンで、割烹着ではなくエプロンを着けたお母さんが焼きたてのお菓子にとろりとかけるもの、というのが幼い私の想像の中の蜂蜜だった。
焼きたてのお菓子も、優しく微笑むエプロンのお母さんも、家にはまったく縁のないものだったが、蜂蜜を口にしたことがなかったわけではない。高気密・高断熱という言葉などなかった昭和の家は寒かった。暖かいのはストーブがある部屋だけで、それも消してしまえばすぐに息が白くなる。それでも薄着で走り回る子供たちは霜焼けをつくり、唇をガサガサにして鼻水を垂らしていた。熱を出してもすぐには病院など行かないから、家には干してカサカサになった薬草や、何かの実を漬け込んだ怪しげな瓶がいくつもあった。苦くて薬臭いそれらは子供には大不評だったが、一つだけ喜んで口にしたのが蜂蜜だった。
喉が痛いときには、蜂蜜をお湯で薄めたのを飲ませてもらえる。カップにレモンを添えてなどということはなく、普段使いの湯飲み茶碗に少しの蜂蜜とポットのお湯を注いだものだが、うっすら甘くて残さずに飲めた。
荒れた唇がひび割れするようになると、寝る前に甘い蜂蜜をたっぷり塗ってくれた。この蜂蜜を舐めたい気持ちと戦いながら眠りについた子供は、私だけではなかったと思う。
大人になってドイツのお菓子のレシピを見たときに、「はちみつケーキ」を焼いてみたいと思ったが、大瓶が空になるほどの蜂蜜を使うのを知ってしばらく悩んだ。私にとって大事に大事に使うべき蜂蜜が、かの国ではこんなにも気軽な甘味であることにも驚いた。
悩んだ末に焼いたケーキは、飽きの来ない甘さと風味でみんなに喜ばれた。少し使ってもたくさん使っても、蜂蜜の香りと甘さは私を贅沢で幸せな気持ちにしてくれる。
(完)
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