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蜂蜜エッセイ応募作品

蜂蜜豆腐

中原 賢治

 

 年は越せないと思います。
 病棟の廊下で、医師から母の死が予告され
た。私は、母の口に、毎日、好物の豆腐に蜂
蜜をかけた特製の「蜂蜜豆腐」を流し込むよ
うに食べさせた。流動食もほとんど受けつけ
ないのに、蜂蜜豆腐だけは食べる。その口に
は歯がなかった。
 歯がいなくなった。
 病室にはいると、待っていたように母が声
をかけてくる。物を食べない時は口から外し
た歯だ。どこかに紛れ込んだと思い、私はさ
して気にもせず、枕もとを探し始める。
 歯はなかった。両隣に寝ている老女たちの
蒲団の中も調べたがなかった。母は、外した
歯をちり紙に包み、枕もとにころがしてあっ
ただろう。掃除の時、紙屑と間違えられて捨
てられたかもしれない。
 歯医者へ行く。
 寝たきりの母の真顔の訴え。一歩も歩けな
い、足の曲がった母が、歯医者の椅子にくく
りつけられている姿を想像したあと、私は苦
笑した。
 歯医者さんに来てもらおうか。
 虫歯になることもなかった人工の歯は、母
の口から離れてどこへ行ったのだろう。焼却
炉で灰になったかもしれない。母の体と共に
焼場の陽に燃えるはずだったのに。
 歯もなくても舌だけで食べられる軟なるも
の。すなわち蜂蜜豆腐が母の好物になったの
は、歯を失ってまもなくのことだった。その
蜂蜜豆腐を母は垂死の床で毎日食べ続け、医
師の予告を裏切って年を越した。その夏も母
は私の差し出すスプーンに黄金色に揺れる蜂
蜜豆腐を、とろとろと喉に流しこんでいる。
 蜂蜜豆腐がどれほどの医療的効果があるの
か知らない。母が目尻に目脂をため、皺だら
けの顔が妙な笑顔を浮かべる。「アトヒトク
チデ、ムコウニイクヨ」。そんな声がしたの
か。時は忘れてはいなかった。

 

(完)

 

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