渡辺 碧水
【同タイトル(三)から続く】
わが家での話に戻るが、外国語関連の聖書は八冊が蔵書の中に含まれていた。これらに関しては簡単に述べる。
『新約聖書』「ルカ書、第二十四章第四十一~四十三節」に相当する箇所について、記載の違いを確認してみた。
英語版聖書五冊(種類)のうち、「焼いた魚」だけを記載のものが三冊、「焼いた魚」と「蜂の巣」(巣蜜)の両方を記載のものが二冊であった。
「ギリシア語→英語」「英語→日本語」「日本語→英語」の対照聖書各一冊は、「焼いた魚」だけを記載したものだった。ただし、「ギリシア語→英語」の注記には「蜜蜂の巣が加わった聖書もある」とあり、ギリシア語版の段階で二様の表現があったらしい。
このことから推測すると、外国語の聖書の場合も、昔から「ハチミツ(巣蜜)」の言葉が入っている聖書と入っていない聖書、両方が存在してきたといえる。
したがって、当タイトル(一)の最初に挙げた著書『ハチミツの百科』の中で渡辺孝が述べている説明も、その直後の文で提起している疑問「ギリシア語の原典にも英訳本にも明記されているハチミツが、日本語訳ではなぜ訳されていないのでしょうか」も、少し的が外れていると言わざるを得ない。
そうは言っても、英語文でのネット検索でもヒットするのだが、「なぜ、聖書によってイエスが復活後に蜜蜂の巣蜜を食べたとする記述があったりなかったりするのか」「改訳(翻訳)の過程で変えられたとすれば、『あった記述がなぜ除かれたのか』、あるいは『なかった記述がなぜ加えられたのか』」などという疑問はどうしても残るのである。
素朴な疑問を抱く人もいるかもしれない。例えば、イエスの突然の求めに、使徒が日常の食べ物を差し出したと想像すれば、魚とパンならわかるが、魚と蜂蜜というのには違和感がある、と。それは現代人の感覚で理解するからであろう。
旧約聖書にも、新約聖書にも、蜂蜜や蜂蜜と思わせる表現の聖句はいくつも出てくるように、洗礼者ヨハネやイエスの時代には、魚も野蜜(蜂蜜)もごくありふれた食べ物であった。ところが、蜂蜜は時代の進化とともに入手が容易でない高価なものへと変化した。
一説によると、四世紀ごろまでは、ルカ書の当該聖句はギリシア語で書かれた原典どおりに「焼き魚と蜜房」と記述されていたのだそうだ。
【同タイトル(五)へ続く】
(完)
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