清宮 けい
わたしが通った小学校は、街を見下ろせる高台にあった。学校まで続く長く緩やかな坂道は、春には桜、秋にはすすき、夏にはセミのシャワー、冬には冬枯れの樹木の歌声を目に耳に四季折々の色香を届けてくれた。
坂を上りきると、体育館の赤い屋根が見えてくる。正門の向いには、小さな文房具店があって、ノートや消しゴム、給食用のマスク、折り紙など、登校ついでにちゃちゃっと買えた。稀にその店に大人が出入りするのを見かけると、子どもたちは、奇怪な視線を送ったものだ。そこは普通の小さな文房具店なのに、子どもたちには、子どもだけが入れる安全地帯かと思えていたからだ。
登校する頃には、毎朝小柄なおばあちゃんが店の前を几帳面に箒で掃いていた。子どもたちは皆、思い思いの「おはようございます」をおばあちゃんに唱える。それはまるで合言葉のように何度も何度も繰り返されるのに、おばあちゃんは、毎度「ああ。おはよう。」とか「はいはい。いってらっしゃい。」とか、それはそれはやさしい声で、誰にも欠かさず返してくれた。私は、それを春の初めにうぐいすがホーホケキョを繰り返すように、学校の始まりを告げる心地よいさえずりみたいに聞いていた。
下校の時刻には、もう店は閉まっている。閉店の時刻は定かでないが、登校する時には開いていて、下校の時には、閉店しているのが、子どもたちの常識だった。
おばあちゃんがいない店の前には、代わりにおじいちゃんがいる。いつも店の前で木の椅子に座って、何やら作業をしていた。子どもたちは、「さようなら」と言って通り過ぎるか「こんにちは」と声をかけて、おじいちゃんに近寄る。すると、おじいちゃんは、決まって使い込んだ一斗缶に割りばしを突っ込んで、二三回くるくるとかき回した後、その割り箸を子どもに渡してくれる。
一斗缶には、黄金色のとろみがある甘い液体がたっぷり入っているのを常連の子どもは知っている。初めて足を止めた子は、決まり文句のように「何?」と聞く。常連組のわたしには、パターン化された問いが面白く、自分はその答えを知っていることが誇らしかった。寡黙なおじいちゃんの答えは、いつだって「蜂の恵」ただそれだけだった。
思い浮かべれば、とろけるようなやさしい甘さが口の中に広がる感覚をイメージできる。蜂蜜というのは、単なる甘味の栄養物ではなく、ほんわかとしたやさしい気持ちを思い出させてくれる不思議なポーションだ。
(完)
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