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蜂蜜エッセイ応募作品

残った後悔

蛙屋無二斎

 

 病室に入った途端にびっくりした。あの豪放磊落だった先輩がベッドに横たわっており、お腹の部分が大きく盛り上がっている。当然ながら話し声にも元気がなく、相当に状態の悪いことが窺えた。お腹の膨満は原爆症の進行によるものであった。この時先輩は58歳位、私より5歳年長であったから、7歳の頃に広島で被爆していた。それがこの年頃になって、その影響が牙を剝いた訳である。原爆症の怖さを改めて認識させられたことである。
 私は高校を1年休んで働くなど苦学の末に、地元では最大手の鋼管工場に就職出来た。配属は経理課原価計算掛であったが、そこにいたのが先輩であった。チビでがりがりに痩せていた上、強度の近眼であった私は、最初は(こいつ大丈夫かな?)と心配されたようだが、それなりに物覚えも良く、物おじせずに質問をしたりしている内に、先輩を始めとしてみんなから可愛がられるようになった。
 その後会社が大会社に吸収されるなど、晴天の霹靂的なことが相次いだ。先輩とは離れ離れになったものの、私が広島の先輩の実家の喫茶店を訪ねたり、西宮での結婚式に参列したり、転勤先の製鉄所を訪れたりと、比較的縁が続いたのであるが、50歳頃になると音信が途絶えた。数年後東京の本社に転勤となった時に、先輩のご長男が茨城県牛久市に住んでいることが分かり、手紙を出して先輩の状況を問い合わせたところ、先輩自身から手紙が来て、都内北区の病院に入院していることが分かったのである。
 当時は、病状の悪化で会社は辞めざるを得ず、プロポリスの販売を手懸けていたようだった。私も微力ながらそのお手伝いが出来ればと申し出ていた。ところが半年程後、海外赴任の準備等に追われて具体的な活動を始める前に、先輩の訃報が届いた。葬儀に参列してお詫びを申し上げたが、長い間、何にも出来なかったことへの後悔が残った。

 

(完)

 

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