山口史郎
私が小学校低学年のころ、我が家でミツバチを飼っていた。戦後からまだ数年の当時は、今のような飽食の時代と違って食料も充分でなく、甘いものも少なかった。
冬が終わり春が訪れると早速ハチミツの採取が始まり、私もその作業の一員となる。甘い香りが鼻をつき、遠心を利用して回した輪転機から流れ出るハチミツは、まるで飴のようだ。陰に隠れながら指でそれをすくい、口に含むとイッキに甘さが広がり、口内が麻痺する。頬っぺたが落ちるとは、このことだ。
次の日、私の級友に自慢をし私は有頂天だった。みんなが滅多に手に入らない代物である。悪童の私は、この級友たちにハチミツを餌に自分の手下にしようと試みた。親の目を盗み、たった一滴で幸いにもその計画は成功した。
また、担任の家庭訪問があると、親は心づてとしてビンに詰めたハチミツを渡した。お陰で成績が悪かったにもかかわらず、私は可愛がられた。
しかし、ミツバチにも大敵がいた。雀バチである。巣箱の入口でミツバチを襲い、連れ去るのである。
私にも義理がある。私は昆虫取りの網を取り出し、憎しみも露わに雀バチをとらえ踏みつぶした。ある夏の暑い日、一時間くらい見張りをしただろうか、私は気を失った。熱中症だった。それ以後、私の門番兵は禁止された。
あれから数十年、食卓でハチミツを口にする度、私は少年期に戻る。あの懐かしい思い出がよみがえってくるのだ。
そして今、喜寿を迎える私は、まだ現役で働いている。あの働きバチの姿は消えることなく魂が、またハチミツの力が私に宿っているのである。
(完)
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