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ミツバチと共に90年――

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蜂蜜エッセイ応募作品

はちみつは黙って

泣き虫太郎

 

 信州の国に住む人から、歓びの里老人ホームにはちみつが届けられた。その日の昼食に、それが入所者全員にふるまわれた。
 認知症で寝たきりのスエノさんの部屋にもそれが届けられたが、ひとりで食べられることができない。介護人のタダノさんが、スエノさんの鼻先にスプーンに入れたはちみつをかざした。
 焦点の定まらない老人の目。しばらくすると、ぼんやりと虚ろに、その目が開いた。乾いた小さな眼窩から、スエノさんの涙が清らかな水のように湧き出てきた。それは深い皺の中へと浸み込み、頬へと伝わった。
 スエノさんは、このホームに来るまで一人暮らしを楽しんでいた。息子が一緒に住もうと勧めても、断り続けた。それが、農作業をしている時に、畦道で転んで骨折してしまった。それを境に体が不自由になってしまった。
 その様子に、タダノさんが、廊下に向かって大きな声で「ムラカミさんが起きたよ」と叫んだ。スエノさんの顔がピンク色に染まっていくのがわかった。レンゲや菜の花の畑を自由に歩いているように見えた。はちみつの香りには、そんな鼻の成分が含まれている。スエノさんが一口はちみつを舐めると、また潤んだまま瞳をゆっくり閉じた。
 「スエノさん、眠ったらあかんよ」。タダノさんがそう呼び掛け、またはちみつを口元に添えたが、スエノさんはいつものように眠ってしまった。
 はちみつが、スエノさんの枕元に置かれた。ガラス窓から陽射しが、それを金色に染めた。
 きっと、スエノさんは、夢の中で、蜜蜂が花々の中で舞いながら、はちみつ集めをする風景を眺めているのだろう。そして、はちみつは、黙って部屋に香り続けた。
 あとで知ったことだが、信州に住む人とは、スエノさんの息子らしい。

 

(完)

 

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