ミツバチと共に90年――

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「ハチのムサシは死んだのさ」

こんな曲を見つけました。



どこかで聞いたことがある有名な曲ですね。

これは『ハチのムサシは死んだのさ』という1972(昭和47年)のヒット曲で、その年のレコード大賞編曲賞を受賞した上にNHK紅白歌合戦にも出場したそうです。(作詞:内田良平/作曲:平田隆夫)

歌っているのは平田隆夫とセルスターズ。
このグループのことはよく知りませんが、それより歌詞が意味していることがよく分からないことに大きな興味をそそります。

「ハチのムサシは死んだのさ
畑の日だまり土の上
遠い山奥麦の穂が
キラキラゆれてる午後でした」

ハチといえば誰もが昆虫の蜂を連想するでしょう。
だから「ハチのムサシ」といえばムサシという名前のミツバチではないかと、たいていの人は思うに違いありません。

続いて、

「ハチのムサシは向こう見ず
真赤に燃えてるお日様に
試合をいどんで負けたのさ
焼かれて落ちて死んだのさ」

このハチは、無謀にも太陽に戦いを挑み、負けたと歌っています。
なぜそんな無茶な戦いをしたかは分かりませんが、太陽が相手では勝てるわけがありません!(笑)

「ハチのムサシは死んだのさ
お日様仰いで死んだのさ
高い青空麦畑
いつもと変わらぬ午後でした」

ここでハチのムサシが死んだことを強調し、その死に様は、挑んだ相手(太陽)を「仰いで」と言っていますから、死んでも前進しようとする勇ましさを謳っているのでしょうか?
そして麦畑は、青空と同様、広い草原をイメージさせようとしているのでしょう。
ところがそれは、いつもと変わらぬ午後と言っていますから、ハチが死んだことはとても小さな出来事だったことを表現していますね。

2番に入り、

「ハチのムサシは死んだのさ
夢を見ながら死んだのさ
遠い昔の恋の夢
ひとりぼっちで死んだのさ」

ここで実はムサシは昔、恋をしていたことが明かされます。
そして、一抹の未練を残して一人で死んでいったのでした。。。

続く歌詞は、

「ハチのムサシは向こう見ず
お日様めがけて剣を抜き
たたかいやぶれて死んだのさ
焼かれて落ちて死んだのさ」

ここは1番と同じ繰り返しですが、ムサシは剣を使って戦ったことが分かります。
ハチですから蜂女(前回のブログで扱った)と同じフェンシングでしょうか?(笑)

「ハチのムサシは死んだのさ
たしかにムサシは死んだのさ
やがて日は落ち夕暮れに
真赤な夕日が燃えていた」

青空が夕焼けに変わる時間の経過を表現しているのでしょう。
しかし、「たしかに死んだ」と、死んだことを強調していることにより、もしかしたらハチのムサシは死んでいないかもしれないというニュアンスを引き出していますね。

しかし全体を通して結局なにを言おうとしているのかよく分かりませんヨ~(笑)

Wikipediaによれば、1960年代の学生運動を示唆したものだともありますが、ある人は「ハチのムサシ」とは「八八艦隊」の「戦艦武蔵」のことだと言う人もいるようです。
いずれにせよ真意はよく分かりませんね。

ちなみにはちぶんは「ハチのムサシ」とははちぶんと同じミツバチだと思っています。
きっと遠いむかし日照りが続き、干ばつで愛する彼女を太陽に焼き殺されたのでしょう。
時を経て、同じ太陽の日差しを見たとき、ムサシはメラメラと当時のことを想い出し、太陽に復讐しようと一人で勝てるはずのない太陽に戦いを挑んだのだと思いました。
その背景には、ミツバチという小さな自然と、太陽という大きな自然の間に通う、大自然の厳しさと摂理を感じますネ!

当時はアニメ『みなしごハッチ』の人気も高かったようだし、作詞者はきっとその人気にあやかって冗談半分で作った曲が、たまたま大ヒットを記録したのではないかと思っています。(ファンの方がいたらゴメンナサイ!)

でも曲調も含めた全体として、なんだかとても不可思議な魅力が漂う曲ではありませんか?

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