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中国アカシア蜂蜜視察紀行(23)《上海観光(外灘)》

《上海観光(外灘)》

ノッポさんが、
「上海でぜひ見せたい場所がある」
と連れて来られたのが『外灘(ワイタン)』だった。

英語では『バンド』と呼ばれるかつての外国租界の玄関口で、中央を流れる黄浦江をはさんで、西側は外国の金融機関の古い建物が立ち並び、東側は近代的な高層ビルが連立する今と昔とが同居する不思議な街だ。

ファイル 644-1.jpg

はちぶんたちは黄浦江の西側に立ち、対岸にそびえたつ高いビルを眺めた。最も高いビルは現在建設中で、次に高くて上に四角い穴が空いたビルは日本が建てた国際貿易ビルだそうだ。
そして3番目に高いのが金茂ビルで、いずれも貿易関係の建物だと言う。

その地に立ってはちぶんはふと思った。

「日本の幕末期、ひょっとしてあの人物もここに来たのではなかろうか?」

“あの人物”とは、日本の歴史上において、はちぶんが最も尊敬するあの人物だ!(尊敬する人物がたくさんいるはちぶんなのだ。)

その人物の名とは―――

『高杉晋作』!

動乱の幕末に四民一体となって幕府勢力に対抗し、たった独りで維新回天を成し遂げ、長州を率いて小倉戦争で幕府を打ち砕いた革命の申し子である。
諸葛孔明に劉備玄徳がいたように、高杉晋作には吉田松陰という師がいた。
彼は松陰の構想を実現するため、命を賭して戦ったのだ!

そういえば二人とも病死―――。
何か似ているところがある。

その高杉晋作は、生涯に一度だけ外国の地を踏んだ。
そこが「上海」なのだ!

ファイル 644-2.jpg

たかぶる気持ちを抑えてノッポさんに聞いてみた。

しかしそんな「歴史おたく」的な知識など知るはずもなく、日本での宿題として持ち帰ることにした。

そして調べてみたら、

やっぱりそうだった!

江戸末期より、長崎と上海を往来する船は、上海の外灘に寄港していた事実を知ったのだ!

高杉晋作は1862(文久2)年、「千歳丸」という船に乗り、下関から長崎を経由して上海に渡っている。そのとき見た景色を、彼はこう日記に残す。

『欧羅波(ヨーロッパ)諸邦の商船、軍艦数千碇泊す。檣花林森として津口を埋めんと欲す。陸上は則ち諸邦の商館紛壁千尺殆ど城閣の如し。その広大厳烈なること筆紙を以て尽くすべからざるなり』

その驚嘆が、後に彼を革命へと導いたとする見方もある。

はちぶんの高杉晋作好きは、その足跡をたどって萩や下関にまで足を運ばせるほどだった。
しかし、さすがに上海までは来れなかった。

しかしその夢がまた一つ実現してしまったのだ!
ああ、なんて幸せなはちぶんだろう!

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