ミツバチと共に90年――

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日本におけるハチミツの歴史

「蜜蜂」という文字が日本ではじめて文献に登場するのは、「日本書紀」の皇極2年の条、西暦でいうと643年のことです。

この年、百済の余豊という太子がミツバチ4枚群を大和の三輪山に放養したそうなのですが「ついに蕃息せず」、つまり増やそうとしたが失敗したと記されているのが最初ということです。
しかしこの時はハチミツではなく、仏像を鋳造するのに用いる蜜ろうを得るのが目的だったようです。
 
食用の蜂蜜としては天平11年(739年)に、渤海国から聖武天皇に寄進されたのが最初で、渤海国とは満洲から朝鮮半島北部、現在のロシアの沿海地方にかけて存在していた国のことです。
そこには、「大虫皮、羆皮各7張、豹皮6張、人参30斤、蜜3斤」とあり、蜜3斤がハチミツのことで、当時はものすごく貴重な物だったのです。

さらに天平宝字4年(760年)には、天皇が五大寺に使者を派遣し、各寺院に「雑薬2櫃と、蜜缶1口とを施す」と、ハチミツが貴重な薬であったことをうかがい知ることができます。

その後、国内各地に養蜂技術が広まったようで、9世紀の末ころになると、ハチミツが献上物として登場するようになります。
養蜂技術といっても現在のようなものでなく、古式養蜂という昔のやりかたですネ。

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