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 小学校三年生の春、前の東京オリンピックの年の一九六四年四月に、米子高島屋が開店した。私のふるさと米子市は山陰地方の小都市で、人口は十万人程だった。JR米子駅近くの市街地にも、それまで百貨店らしきものはなかった。私が人生で初めてエレベーターに乗ったのも、この米子高島屋である。五階に大食堂があって、その上が催事場、その上が屋上だったと思う。
 小学校の三・四年の頃は、「高島屋へもう行った?」「何回行った?」が友達同士の挨拶代わりとなっていた。店までは十数㎞ほど離れていたので、電車かバスで行かなければならなかった。その頃は、親に連れて行ってもらわなければならない場所であった。中学生になると、段々行動範囲が広がって、自転車で自分達だけで行くようになった。当時は「子ども達だけで校区外に行かない」とか、そんな細かいことはあまり言われなかった。子ども達だけで店にいて補導されるようなこともなかった。子ども達だけで行くと、特に何を買うという訳でもないのに、一階から全部の階を見て回った。地階にも行った。屋上でも遊んだ。
 自分達だけで高島屋へ行ったときの一番の楽しみは、何といっても大食堂での昼食である。とはいっても、みんながそんなにお金を持ってきている訳ではない。大食堂のメニューでラーメンより安く、小学校の高学年や中学生の子の昼食代わりになるもの‥それはホットケーキである。たしか百円だったと思う。八十円だったかもしれない。間違いなくラーメンより安かった。食べ物の中では一番安かった。
 一時、パンケーキがブームだったが、ホットケーキはパンケーキのようにフルーツやらクリームやらがのっているわけではない。二枚重ねになっていて、上にバターマルメで球形に仕上げたバターがのっているだけだった。そして、ハチミツがピッチャーで添えられていた。折角出してもらったハチミツなので、全部かけた。何ともおいしかった。そのせいか子どもの頃のホットケーキの印象は「とても甘くて美味しい食べ物」であった。 
 そして、ホットケーキはナイフとフォークで食べた。ナイフとフォークなど、勿論生涯初めてである。それが何とも格好良かった。ちなみに、私は初めてのナイフとフォークで、ホットケーキの残り半枚を皿ごと床に落としてしまった苦い思い出を今でも覚えている。

 

(完)

 

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