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ミツバチと共に90年――

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蜂蜜エッセイ応募作品

ティースプーン一杯の

FH

 

 手形の付いた台布巾をほぐして広げ、木目の広がる天板を拭く。布巾は軽く畳んで天板の端に、持って来た丸いお皿は椅子の目の前に置く。立ち上るパンケーキの甘い香りが、角の無い冬の朝日とまろやかに溶け合っていて、寝起き特有の気怠さが残る体に優しかった。
 キッチンに戻りナイフとフォークを取り出す。
 それから冷蔵庫を開けた。よく冷えた麦茶と、タッパーに入れた発酵バターを出す。戸棚からはお気に入りの蜂蜜を持ち出して、食洗機から誕生日に貰った可愛らしいガラスコップを拾い上げる。 
 戻った食卓では、パンケーキが仄かに湯気を上げている。その向こう、窓の側では、幾度となく共に越冬したストーブがこちらをひたと見ている。
 抱えてきた積み荷を下ろし、カトラリーを並べて、座面と背もたれにクッションを置いた椅子に腰を落ち着けると、眠気の合間から食欲が顔をのぞかせ始めた。
 「…いただきます」
 まだ少し底冷えのする冬暁の空気が、さながら降り積もった新雪のように音もなく声を吸収する。
 冷やした麦茶をコップに注ぐ。トポトポという音とともに、コップを持つ指先が冷たくなってきた。もこもこと着込んでいたので、冷たい麦茶が食道をするると滑り落ちる感覚は温泉にいるときの様だった。少し粘ついていた口の中が引き締まる。心なしか、視界も澄んだ気がした。
 並べたカトラリーからナイフを選び取る。それからタッパーを開け、ほんの少しの逡巡を挟んでから、気持ち大きめにバターを切り出す。細心の注意を払って中央に落とした魅惑の直方体が、自身を中心に黄金色の水溜まりを形成する。
 次に逆さに立てておいた蜂蜜のボトルを持つ。半透明の蓋を開け、バターの滑落を防止する囲いの円をゆっくりと描いていく。
 随分近くで鳥の声が聞こえる。ベランダにでもやってきたのだろうかと目を向けるが、分厚い結露に阻まれ、姿を見ることは出来なかった。諦めて、手元に視線を戻す。
 「…あ」
 机上に、美しい蜂蜜色の小さな半球体が出来ている。球体の内部には、湾曲した木目が見える。
 取り敢えず、蓋を閉めてボトルを立てる。次いでティッシュ箱に手を伸ばすが、その上には文庫本が鎮座している。
 昨夜、寝る前に読んでいた本だ。そうだ、主人公の養父たる養蜂家の訃報を受け取ったところで本を閉じた記憶がある。
 思えば私はこの本から、蜂について多くのことを知った。群れが大きくなりすぎると、新たに女王蜂を作り分蜂すること。一度針を刺したら死んでしまうこと。一匹の蜂が一生で作り出せる蜂蜜の量が、わずかティースプーン一杯程度だということ。
 少し考えて私は、本をティッシュ箱の上に戻し、蜂蜜の球を指で掬い取る。

 

(完)

 

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